第2話 カフェの日常
「あ~~。疲れたよぉ、ムーちゃ~~ん」
金髪の少女は人目もはばからず、デザートムーンの柔らかな銀毛の中にその整った顔を
僕が注文されたピザトーストとカームティーを机に置いても、彼女はなお顔を上げなかった。少しでも長くデザートムーンの感触を堪能していたいのだろう。
「あ~~。このふかふかのお腹の感触だけが私を癒してくれる……」
「今日もずいぶんお疲れみたいだね、ルイス。受付嬢の仕事、そんなに忙しいの?」
「あ、フィートさん。……忙しいなんてもんじゃないですよ、ほんと。透明人間による連続盗難事件! 複数の目撃者がいるにもかかわらず、なぜか一切燃えた痕跡のない火災の報告! ごく一部の地域でのみ発生する異常気象! 最近王都で頻発している怪事件の解決依頼が、みーんな冒険者ギルドに集まってくるんです! 王都民の皆様は、冒険者ギルドを便利屋さんか何かだと勘違いしてるんじゃないですかね!!」
「しーーっ! うん、大変なのは分かったからちょっと落ち着こう。このカフェにだってその王都民の皆様はいらっしゃるんだから」
『みゃぅ……』
お腹に顔を埋めたまま悲痛な叫びを上げるルイスに同情したのだろうか。デザートムーンはまるで慰めるかのように彼女の額をぺろぺろと舐める。ルイスは「う~~~っ」と唸って足をばたばたさせた。喜んでいるらしい。
「ほんと、ここでムーちゃんと触れあってる時間だけが私の癒やしですよ。……最近は行列がすごくて、お店に入るのにも一苦労ですけど」
「それについては申し訳ない。なんとか改善したいとは思ってるんだけどね」
「なんかもうちょっと、広いお店に引っ越したりはできないんですか? これだけ人気なら、今の5倍は広いところに移っても十分やっていけると思いますけど」
確かに、ルイスの指摘はもっともだった。ハルトール王太子の広報の効果もあってか、『desert & feed』は連日超満員だ。店の前には常にけっこうな行列ができていて、このままだと近隣住民から苦情が来るのも時間の問題かもしれない。
だが。
「……引っ越しは、検討してるよ。ただ、今より広いところにするかは微妙なところだ」
「え。なんでですか?」
「収容できるお客様の数が増えても、デザートムーンは増えないから」
実際のところ、これはわりと深刻な問題だった。
現在『desert & feed』に置かれている机は3つ。そしてこの机の数は、デザートムーンが対応できる団体数の上限でもあると僕は思っている。机を増やすほどに、ひと団体がデザートムーンと触れあう時間は減ってしまうし、短時間にあちこち行ったり来たりさせすぎるのはデザートムーンのストレス要因にもなりかねない。
そのあたりのことをかいつまんで話すと、ルイスはデザートムーンに埋もれたまま首を傾げた。
「んー。じゃあほら、ムーちゃん以外の魔法生物もお迎えすればいいんじゃないですか? 前にフィートさん、言ってましたよね。ゆくゆくはこのカフェにエルフキャット以外も迎え入れて、魔法生物カフェにしたいって」
「うん、いずれはね。でもその決断を軽々にはできない。同じ空間で別種の魔法生物を一緒に過ごさせるのは、とてもリスクのあることなんだ。相性が悪ければ双方に強いストレスがかかるし、最悪の場合お互いに傷付け合うようなことにもなりかねない」
デザートムーンと相性の良い魔法生物が見付かればいいのだが、相性なんてものは実際に一緒に過ごしてみるまで分からないものだ。相性が悪かった時に「残念でした」で一度飼った魔法生物を手放すような無責任なことはできない以上、そう簡単に事を進めるわけにはいかなかった。
「んー……。だったらムーちゃん以外のエルフキャットをお迎えするのは? 同じエルフキャット同士なら、そんなに相性が悪いってこともないですよね」
「うん。確かにその案ならリスクはかなり小さい。でもひとつ、重要な問題があってね」
「あっあっ、あ~~~~っ」
僕が言いかけたのと同じタイミングで、ルイスは悲しげな声を上げた。別に僕の話が気に入らなかったわけではなく、デザートムーンが立ち上がり、別の机へと歩き去ってしまったのだ。
「うぅぅぅ……。通い詰めて多少は仲良くなったはずなのに……。ちょっと纏ってる魔力が強い子がいると、ムーちゃんはすぐ浮気しちゃう……」
「あの、ルイス。そんなに恨めしそうな顔で手を伸ばさないであげてほしいな。ほら、向こうのテーブルの人がすごく気まずそうにしてる」
「はっ。……あはは、失礼しました。うちのムーちゃんのこと、可愛がってあげてくださいね~」
我に返ったらしいルイスが慌てて頭を下げる。デザートムーンが向かった先のテーブルのお客様は、ほっとした様子で笑い返すと銀色の毛を撫で始めた。
「あ、あぶない……。ムーちゃんのお仕事を邪魔しちゃうところだった……」
ため息をついたルイスは、ようやくピザトースト(チーズでデザートムーンの顔を、サラミで瞳を表現している)に口を付けた。さく、と小気味良い音が聞こえる。
「……図らずもデザートムーンが実演してくれる形になったけど、こういうことだよ。エルフキャットは強い魔力に惹かれる。である以上、複数のエルフキャットがお店にいても、ちょっと魔力が強い人が来れば全員でそこに群がってしまうだろう」
「ああ……。なるほど、確かに」
15のテーブルが置かれた店内。5匹のエルフキャットは全員がひとつのテーブルに集結し、他の14テーブルの全員がそれを眺めている。……これはたぶん、あまり楽しいカフェにはならないだろう。
ちなみに現状、デザートムーンは基本的にすべての机を回ってくれている。実にサービス精神旺盛な猫……というわけではなく、単にひと団体につきひとつおやつを無料であげられるサービスのおかげだ。『魔封棺』にはいま、煮干し以外にも様々な種類の魔力を込めたおやつが入っていて、お客様はそこからひとつ選んでデザートムーンに与えることができる。
「そういうわけで、すぐに店舗拡大はちょっと難しい。本当に申し訳ないんだけれど、しばらくは行列に並んでもらうしかなさそうだ」
「むぐぐ……。まあ仕方ないですね。何十分並ぶことになろうとも、結局私は明日もここに来るんでしょうし……」
「明日も来るつもりなんだ……。ここんとこ毎日来てるけど、お金は大丈夫なの?」
「大丈夫です。日々の長時間労働で得た残業代はすべてムーちゃんに費やします……。私は頑張ってるんだから、自分へのご褒美くらい許されて良いと思うんです」
ルイスの目の中では青い炎が燃えていた。……大丈夫かな、この子。もはやエルフキャット依存症だ。出禁にでもしてあげた方が、長期的には本人のためになるんじゃないだろうか。
ま、それはともかく。
「申し訳ないんだけど、ルイス。明日はダメだよ。休業にする予定なんだ」
「え……えええええぇぇぇぇぇっ!!!!!」
「そ……そこまで絶望的な表情をされると罪悪感がすごいね。でもごめん、どうしても外せない用事なんだ」
なんせこのお店の広告塔……ハルトール・クラウゼル王太子からの呼び出しなのだ。
王太子殿下から直々のお呼び出しなんてそうそうあることじゃない。しかもデザートムーン同伴で王城に来るようにとの申しつけだ。いったいどんな用事なのか、正直言って見当も付かない。
「うぅ……。ムーちゃん……ムーちゃん……」
「え、えーと……。あ……明後日はやってるからさ」
「うぅぅぅ~~……」
「うん……えぇと、ごめんね」
少なくとも、いたいけな少女の表情をここまで曇らせる価値のある用件であってほしいものだ。そんなことを思いながら僕は、お会計を呼びかける別のお客様の方に小走りで駆けていった。
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