第14話 雪解けの兆し

「ギルドの受付嬢なんて、大したお給料がもらえる仕事ではないんです。家賃と水道代を払って、月に1着新しい服を買って、たまに美味しい物を食べる。それでもう手元にはほとんど残りません」

「はあ」

「しかしそれでも、私は残り少ないお小遣いをここで使うことに決めました」ルイスさんは決然たる表情で宣言した。「もう1本、煮干しをください」


 今度は1人でデザートムーンに煮干し差し出したルイスさんは、溶けたようなでれでれとした表情でその首元を撫でている。

 エルフキャットの可愛さが最も破壊力を発揮するのは、間違いなく『自分が甘えられている時』だ。自分が差し出す煮干しに夢中でかじりつき、食べ終わった後は指をぺろぺろと舐め回す。このコンボ攻撃を受けて落ちない人間はいないだろう。


「つーかルイスよぉ、ここは俺が奢るぜ。休みの日に無理やり連れてきたのは俺だからなぁ」

「本当ですか!? 分かりました。ではフィートさん、煮干しをもう1本追加で」

「あ~……。ほどほどにな」


 ちなみに最初僕は料金を無料にするつもりだったのだが、クレール隊長に止められた。なんでも、王立天馬部隊の面々は順番に休みを取ってこの店に来る予定なのだそうだ。

 あの大所帯全員を知り合い特典で無料にするつもりかと問われて、僕は素直に正規の料金を受け取ることにした。……だってあいつらいっぱいいるんだもん。あとだいたいみんな遠慮がないし。


「うへへ……可愛い。かわいいよぉ……」

「なあ、ルイスよぉ。俺もその、餌をやるやつやってみたいんだが」

「後にしてください」





 結局。この日デザートムーンは、クレール隊長とルイスさんから1本、ルイスさん単独から3本、ガウスさんから1本の煮干しをせしめた。なかなか贅沢なやつだ。


「……ルイスよぉ。何やってんだそれ?」

「『記憶共有』でツイスタに投稿してます。感謝してくださいよ、フィートさん。私、フォロワー1万人いるんですから」

「ツイス、タ? えー……と、それはその、何?」

「…………。まあその、若者の間で流行ってるやつです」


 ルイスさんの視線は完全に時代に取り残されたおじさんを見るもので、僕はちょっと傷ついた。僕だってまだ23歳だぞ。十分若者の範疇だと思うんだけどな!


 ともかくそんなわけで、3人とも満足してくれたし、エルフキャットへの恐怖心も取り除くことが出来たはずだ。『desert & feed』最初の稼働は、大成功に終わったと言えるだろう。


「ありがとう、デザートムーン。君のおかげだよ」

『みゃぅ!』

「うん、そうだね。僕たちならやれるはずだ。1人でも多くの人を――」

『みゃ! みゃ! みゃ!!』

「……ああ、煮干しばっかり食べて喉が渇いたんだね。待ってて、いま水を用意するから」


 えーと、つまり。僕たちならやれるはずだ。1人でも多くの人をエルフキャットへの過度な恐怖から解放して、今の世論を変えることが。

 少なくとも今日のルイスさんの反応は、その確信を抱くのに十分なものだったと思う。





「……なるほど、そんなことが」

「ああ。君が去って、魔法生物管理局はかなりの混乱状態にある」


 ルイスさんとガウスさんが帰った後、クレール隊長は店に残っていた。

 そこで隊長は話してくれた。魔法生物管理局が現在混乱状態にあること。クレール隊長の助力もあってそれが王太子閣下に暴かれ、アルゴ局長の地位が危ぶまれる状態になったこと。その翌日にアルゴ局長がクレール隊長の元を訪れて暴言を吐いたが、隊長はきわめて冷静かつ理性的に対応したということ。


「で、本当はどんな風に対応したんですか?」

「……いや、その。ちょっと脅かしただけだ。ちょっと尿が漏れるくらい。なあ、なんで私の嘘はすぐにバレるんだ?」

「そこが隊長の美徳ですよ」


 つまり隊長はどうやら、アルゴ局長と全面的に事を構えてしまったらしい。アルゴ局長とクレール隊長は直接の上司、部下の関係ではないが、役職としては管理局局長の方が特殊部隊の隊長より格上だ。これはなかなかにまずい状況だと言えるだろう。

 正直、責任を感じるところではある。クレール隊長の暴走は、間違いなく僕が傷付けられたことへの怒りによるものだろうから。おまけに――


「ま……まぁ心配はいらないさ。いまのアルゴ殿には、私に構っているだけの余裕はないはずだ。それに管理局の混乱状態は今後も続くだろう。王太子閣下が目を光らせている中でそんな状態が続けば、いずれあの男は地位を追われるはず」

「そのことについて。……クレール隊長に、1つお願いがあります」


 おまけに僕はいま、クレール隊長の立場をさらに危うくすることを頼もうとしている。


 僕は1度カフェ店舗の裏にある自分の部屋に戻り、1冊のノートを持って戻った。ノートをクレール隊長に差し出す。隊長はぱらぱらと何枚かをめくり、そして驚いて目を見開いた。


「……これは。現在管理局に収容されている魔法生物たちについて、管理方法が事細かに記されているな」

「こうなる可能性があると思って、カフェ準備のかたわら用意していました。隊長は告発に至る確信をもてるほど、管理局の内情を把握していた。つまり管理局の局員を数名抱き込んでいるということ、ですよね?」

「…………」

「その局員たちに、このノートを渡してもらえませんか。僕からの情報であることは局長に伝えず、ただ現場レベルで正しい管理方法を実施する。これならきっと、管理局の混乱状態も収拾が付くはずです」

「……。ふむ」


 クレール隊長は少しだけ沈黙し、


「いいのか?」

「えっ」

「このノートがあれば、確かに管理局の混乱は収まるだろう。だがそれはつまり、アルゴ殿の地位と名誉の回復を意味する。フィート。君が復讐を好むタイプじゃないのは知っているが、自分を失職に追いやった男を助けてやる義理などあるのか?」

「あぁ……。確かにまあ、局長を恨む気持ちがないと言えば嘘になりますが。でもそんなことより、管理局にいる魔法生物たちがちゃんとお世話を受けられることの方がはるかに大切ですから」


 それに実際のところ、僕はアルゴ局長に感謝すらしている。追放されたおかげで僕はデザートムーンと出会い、エルフキャットの現状を知り、こうしてカフェを開くことが出来た。


「君は相変わらずだな。だがまあ、それでこそフィート・ベガパークだ。分かった、このノートは管理局の局員に流しておく」

「すみません、隊長。アルゴ局長の地位が回復すれば隊長の立場も危うくなる。僕はそれが分かった上でなお、魔法生物たちを今のまま放置したくないと思っています」

「ん? いや、そんなことは気にするな。大人は頼るものだよ、フィート」

「……僕はもう23歳ですよ、隊長。出会った時のあなたの年齢と変わらない。僕ももう、十分大人です」

「いいや、まだまだ子供だよ。私にとってはな」


 そう言ってクレール隊長は微笑む。かつてと変わらない、春の雪解けを思わせる柔らかく暖かい笑みだった。

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