第10話 迷惑で汚いけだもの(局長サイド)
特殊部隊の隊長などという職は、案外に机仕事も多いものだ。
今日もクレールは執務室の自席に腰掛けて、淡々と書類を処理していた。部屋の片隅では彼女のペガサスであるスノウウイングがくつろいでいる。本来魔法生物は王城の屋内に立ち入ることが許されていないのだが、先の帝国との戦いで魔法生物として初めて王国栄誉勲章を与えられたスノウウイングは例外だった。
不意にスノウウイングが顔を上げ、不快そうに鼻を鳴らしてみせた。人間よりはるかに鋭敏なその感覚で、なにか不愉快なものが近付いてきているのを察知したらしい。
ほどなくして執務室の扉が乱暴に開かれる。クレールはその形のいい眉をひそめてみせてから、闖入者に声をかけた。
「これは、アルゴ局長殿。ノックもなしにいかがなさいましたか」
「よくも貴様、白々しいことを! 何が狙いだ! 私の地位か? 言っておくが、管理局局長の仕事は貴様のような若造に務まるものではないぞ!」
「なんのことでしょう? 私は天馬部隊隊長以外の職に就くつもりなどありませんが」
もちろんクレールは、なんのことだがしっかり理解していた。
昨日クレールは天馬部隊の演習と称して王太子を誘導し、アルゴの失態を暴いた。偶然第1セクターへの道がすべて塞がれてしまったなどという話、アルゴは(そして王太子も)当然信じていないはずだ。直接その体裁を取っていないというだけの、それはあきらかな告発行為だった。
「くそ、くそ、くそ!! どこまでも白々しい女だ!! 貴様のおかげで私の権威は失墜し、管理局長の座も危うくなったんだぞ!!」
「おや。それは魔法生物たちにとって何よりの朗報でしょうね。新任の局長は、マナラビットに餌をやるという大仕事をやり遂げられる方だといいのですが」
「っっっっがああああああああああああああああ!!!!!!!」
クレールの露骨な皮肉に激昂し、アルゴが机に詰め寄ろうとする。が、
『きゅぉぉぉ~ん』
「な、んだくそ、邪魔をするな!!」
スノウウイングが立ち上がり、その進路を塞いだ。
「くそ、人間様の会話を邪魔するんじゃない!! ああもう、だいたいなんで汚い獣が神聖な王城の中に入り込んでいるんだ!!」
「……ご存知ありませんでしたか? スノウウイングは先の帝国との戦いで立てた功績により、特別に王城内への立ち入りを許可されています」
「特別に許可、特別に許可だと!? 馬鹿な! いくら戦いの道具に便利だろうが、しょせん獣だろう! いつ糞尿をまき散らすか分からない迷惑で汚いけだものを王城に入れるなど、上の連中はどうかしている!!」
『きゅるぉぉぉ~~ん』
「おや」
「ひぃっ!?」
ひときわ甲高くいなないたスノウウイングが、その翼を大きく広げ、前脚を上げてアルゴを威嚇した。アルゴは尻餅をついて後ずさるが、スノウウイングはその上に覆い被さるように前脚を下ろした。アルゴは思わず後ろに倒れ込む。
「お……おい、くそ、やっぱりしつけがなってない! こんな危険生物、王城からさっさと追い出すように上申しておいてやる! おいクレール、さっさとこいつをなんとかしろ!!」
「スノウウイングが理由もなく人を襲う事はありませんよ」
「何を言っている! 現にこうして襲ってきているだろうが!!」
「きっと、2年前の件が原因でしょうね」
「に、2年前だと?」
「ええ。覚えていませんか? あなた、天馬部隊の視察に来た時、砂が掛かったことに怒ってペガサスを蹴り飛ばしたでしょう」
「そ、その時のペガサスがこいつだと言うのか!?」
「違いますよ。でもスノウウイングは仲間が蹴られたことを覚えていて、あなたが来てからずっと警戒態勢でした。それなのに無闇に大声なんて出して刺激するから……」
『きゅぉぉぉぉ~ん』
「ひぁっ!?」
「……そうなるんですよ」
スノウウイングが、アルゴの上に覆い被さったままいななき、脚を数度踏み換えた。ただ脚を踏み換えただけの動作だが、鉄をも砕く強靱な脚が顔のすぐそばに打ち付けられて、アルゴの顔面は蒼白になった。
「ば……ふざけるな、たかが獣がそんなに前のことを覚えているはずがない! お前がやらせているんだろう!! こ、これは暴行罪だぞ!!」
「は? ……仮にもペガサスは魔法生物。あなたの管轄のはずですが、本当に何も知らないんですね」
「な、なんだ! 何を言っている! くそ、いいからこの獣を止めろ!」
『きゅぉぉ~ん』
「ふむ」
クレールが立ち上がり、ゆっくりとアルゴに向かって歩み寄る。
「……神聖で高貴なイメージに反して、ペガサスはとても執念深い生き物なのですよ。相手が忘れているような些細なことも、ペガサスはずっと覚えていて復讐の機会を探しています」
「ひっ、あっ、おい! 御託はいい、本当に助けてくれ! このままではいつこの獣に私の頭が踏み潰されるか分からん!」
「特に仲間が傷付けられたことはいつまでも覚えていて、何年後であろうと徹底的に復讐します。……ああ、ところで、以前ある男が面白いことを言っていましたよ」
スノウウイングに組み敷かれたアルゴのすぐそばにたどり着いたクレールは、雪のように冷たい目でアルゴを見下ろしながら言った。
「私の思考回路は、ペガサスに似ているそうです」
『きゅぉぉぉぉぉぉ~~~ん!!』
「うわあああああああああっっ!!!!!」
スノウウイングがひときわ高く前脚を振り上げ、
恐怖で真っ白になったアルゴの顔面に向けて、その脚を振り下ろした。
●
「あ……あ、ひ……」
「……おや、困ったものですね。執務室が汚れてしまった」
クレールが背中を撫でると、スノウウイングが数歩後ろに下がってアルゴの上から退いた。
アルゴの顔のすぐ横には深々と穴が空いている。スノウウイングの脚によって貫かれたものだ。
そしてアルゴの股間はじんわりと湿っていて、特有のアンモニア臭が周囲には立ちこめていた。
「まったく、人事局はどうかしていますね。いつ糞尿をまき散らすか分からない迷惑で汚いけだものを、魔法生物管理局の局長に据えるなんて」
「……ぅ、あ」
「出て行っていただけますか? 臭いが染み付く前に掃除をしなくては」
アルゴは何も答えず、這うようにして後ろに下がる。
そしてそのまま扉を押し開け、執務室を転がり出た。
●
「……やりすぎた」
『洗浄』の魔法でアルゴの尿を綺麗さっぱり掃除してから、クレールはため息をついた。
「ちょっといじめるだけのつもりだったのに、これじゃあ普通に全面対立じゃないか。……スノウウイング、お前がそそのかすからだぞ」
『きゅるぅ~ん?』
なんのことだか、という風に首を傾げるスノウウイング。クレールは唇の端に笑みを浮かべてその背中を強めに撫でた。
「クレール隊長。執務中に失礼いたします」
「構わない。入ってくれ」
不意にノックの音がして、軽やかな声が呼びかけた。クレールが答えると扉が開き、栗毛色の髪を揺らして見慣れた顔が現われる。ロナ・ファッジ――天馬部隊の隊員で、クレールの部下だ。
「お届け物です。手紙が来ましたよ」
「ありがとう。緊急のものか?」
「いえ。でも、早く読みたいかと思いまして」
言いながらロナは、その手に持った封筒の差出人欄を示してみせる。フィート・ベガパークと、そこには示されていた。
「……お気遣いありがとう」
「いえいえ。じゃ、自分はこれで!」
元気よく答えて、ロナが執務室を立ち去る。クレールは素早く封を切り、中身を確認した。……文字は読めないだろうに、なぜかスノウウイングも手紙を覗き込んできた。
時候の挨拶。世話になった事への感謝。クレールがフィートの職を探している事への感謝。そういったことが、フィートらしい丁寧な筆致で綴られていた。
「そして……ふむ。ついに自分の方で職が見付かった、と。良かったじゃないか!」
『きゅぅぉ~~ん』
「……む、ほう。なるほど。……まったく、フィートめ。急な話だ。日程を調整しなくては」
『エルフキャットカフェのオープン日は、●月×日に決まりました』
手紙にはそう書かれていた。クレールが多忙であることを知っているフィートはこの日に来てほしいとは書かなかったのだが、彼女は行く気満々だった。
うきうきでスケジュール帳を開き、猛然と日程の調整を始めたクレールを眺めながら、スノウウイングは短い鳴き声を漏らした。これはたぶん人間で言うところの、呆れてため息をついた、という行動に相当するのだろう。
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