第7話 忘れていた夢

『みゃ~~ぉ』

「あ。……戻ってきたんだ」


 家の前まで着くと、物陰にいた昨日のエルフキャットが鳴き声で居場所を知らせた。

 ……物陰に隠れていたのは、人間に見付かると排除されることを既に知っているからだろうか。ともあれ、おかげでエルフキャットを見付けた近隣住民が騒ぎ出すような事態には今のところなっていないようだ。


「えっと、それは……。ネズミ?」

『みゃ』


 エルフキャットの前には、なぜか3匹のファングラットの死体が並べられていた。

 エルフキャットはこちらを見上げている。ええと……。エルフキャット語を翻訳するようなスキルを持っていないのだけれど、この状況に字幕を付けるとすれば『どうぞお納めください』という風になるだろうか。


「……あー。3匹持ってきてくれたんだね。部屋を荒らした事への謝罪と、昨日のミルクへのお礼と……。あと1匹はなんだ?」

『みゃぅ~~』

「ああごめんごめん。もらう、もらうよ」


 なかなかファングラットを手に取らない僕に、銀毛の猫は不満げだ。あわてて拾い上げると、エルフキャットは満足げに『みゃぉ~ぅ』と鳴いた。

 ……どうしようかなぁ、これ。人間はファングラットを食べないという事実を、どうすればこのエルフキャットを傷付けずに伝えられるだろうか。


「……あれ。付いてくるの?」


 家に入ろうとすると、うしろからエルフキャットも付いてきた。

 ちょっと意外だ。てっきりまたすぐ別の根城に行ってしまうのかと。


「あ。もしかして最後の1匹は、今後の家賃代わりってこと?」

『みゃぅ』

「そりゃいいや。僕も君と一緒に過ごしたいと思ってたんだ。……どうも、外は想像以上に君たちにとって危険みたいだしね」

『みゃん』


 棚から平皿を取り出す。結局ミルクを買ってくるのは忘れてしまったので、昨日の残りを平皿に注ぎ、魔力を込める。

 差し出すと、エルフキャットは美味しそうにミルクを舐め始めた。


 僕は僕でベッドに腰を下ろすと、市場で買ってきた新聞を広げた。

 王都の自警団が発行しているもので、主に王都で起きたさまざまな事件を報じている。やたらと王立騎士団を敵視した論調が特色で、その主張は正直客観性を欠くところも多いが、事実の確認に用いるだけなら十分有益な資料だ。


「……あった。エルフキャットに襲われ重傷の少年、順調に快復中」


 事件自体は3日前だけあって、この記事では直接的な事件の概要はさほど詳しく書かれていない。とはいえ、経緯を知るには十分だった。


 武官学校からの帰宅中。家に帰るための近道として裏路地に潜り込んだ齢8歳の少年は、偶然エルフキャットに遭遇した。少年は勇敢にも手元にあった模造刀でエルフキャットを攻撃。しかし惜しくもエルフキャットを撃退するにはいたらず、逆に魔法攻撃を受けて昏倒することになった。魔法の音を聞いて駆けつけた近隣住民によって少年は保護。なお近隣住民が到着した時には、すでにエルフキャットは立ち去った後だったとのこと。


「……なんだこれ。つまり先に攻撃したのは人間の方じゃないか」


 にもかかわらず、新聞の論調は少年の勇気を称え、エルフキャットの凶暴性を強調している。エルフキャットびいきの僕にしてみれば、ちょっと公平性を欠くのではないかと抗議したくなる内容だ。

 だが実際のところ、この新聞の論調は市井の意見を反映したものなのだろう。それだけ王都の人間のエルフキャットへの恐怖と憎悪が強いのだ。


 この少年のことも責められない。エルフキャットが人類に害をなす生物であるという話を、彼は何度も聞かされていたはずだ。突然危険な生物に遭遇した事への恐怖もあっただろう。結局のところ問題は、知識の不足から来る敵意と恐怖なのだ。


「んん……。つまり、王都の人間にエルフキャットのことを詳しく知ってもらうことが大事なんだと思うんだけど。なにか良い方法はないかなぁ」

『みゃう』


 ミルクを飲み終えたらしいエルフキャットがすたんと跳び上がってベッドに乗り、僕の隣で幸せそうに丸くなった。撫でてやると、溶けたような声を出してさらに丸くなる。


「実際のエルフキャットはこんなに可愛いのに。……まあ多少、ほんの少し、危ないところはあるかもしれないけど」


 僕はため息をついて、読んでいた新聞を折りたたむ。

 その時不意に新聞の一面の記事が目に入った。


『勇者ルーク、またお手柄! さらなる魔物王討伐、快進撃留まることを知らず』


「……頑張ってるなぁ、旧友」


 その後もしばらくうんうんと悩み続けたが、相変わらずエルフキャットのことを王都の人間に知ってもらう良いアイデアは出ず。

 明るいところでは眠れないらしいエルフキャットの抗議の『みゃうううぅ』を受けて、僕は仕方なく照明を消して眠りについた。





「なーフィート、聞いてんのかよ?」

「え」


 気が付くと僕は、汚れたおもちゃの散乱する汚らしい小庭にいた。

 どうやら僕は夢を見ているらしいな、と気付く。

 これはずっと前、僕が暮らしていた孤児院の景色だ。そして目の前でこちらを覗き込んでいる男は、今ではずいぶんな有名人になった僕の親友だ。


「……ルーク」

「おう。なにぼーっとしてんだよ。お前が聞きたがったんだろ、俺の前世話」

「ああ……。そうだった。ごめんごめん」


 幼い僕の口が勝手に動く。

 どうやらこれは実際にあった場面の再現らしい。そういえば確かに、こんなやり取りをした記憶があるな。


「しっかし珍しいよな。フィートが俺の前世話に興味持つなんてよ」

「だってルーク、基本的に話すのが下手なんだもん」

「……ほー? なんだフィート、聞くのが嫌なら話さなくたっていいんだぜ?」

「わー、ごめん、ごめんってば! 聞かせてよ! 昨日その単語を聞いてから、気になって眠れなかったんだから!」

「くくく……。そうだろうそうだろう。この話題なら、絶対にフィートが食いつくと思ったんだ」


 記憶の中のルークはにやにやと腹の立つ笑みを浮かべている。そうだそうだ、こいつはこういうやつだった。

 ……しかしこの話の流れ、なんだったっけな。なにかこう、僕にとってとても大事な会話だった気がするんだけど……。


「俺が前世で住んでいた『ニホン』じゃあそれなりに知られた文化だったんだが、こっちの世界に似たようなもんはないからなぁ」

「焦らしすぎだってば。いいから早く聞かせてよ!」

「くっくっく。良いだろう、話してやる。癒やしに満ちた暖かな毛玉が歩き回る、丸みを帯びたその空間……」


 ルークがその顔を、ぐい、と幼い僕の顔に近付ける。


「……『猫カフェ』についてな!!」





「それだ!!!」

『みゃ!?』


 夜中に飛び起きた僕に、隣で寝ていたエルフキャットが驚く。

 

「あ……。ごめんごめん。なんでもないよ」

『みゃぅ……』


 まったくもう……と少し機嫌を損ねた様子で、エルフキャットがまた体を丸める。申し訳ないことをしちゃったな。


 だがそれだけ、この気付きは大きかった。

 あの日ルークに聞かされた『猫カフェ』の話。可愛い猫たちが歩き回る中でお菓子とお茶を楽しむ至高の空間。僕はその話に魅了され、そしていつしか夢見るようになったのだ。


 ――魔法生物カフェ。仕事に忙殺されるうちにいつの間にか忘れてしまっていた、僕の夢だ。


 今の僕には、有り余るほどの時間がある。1人で住むには少々立派すぎるこの家もある。今のところ1匹だけだが、魔法生物だってここにいる。

 それになにより。魔法生物カフェを通してエルフキャットの愛らしさや接し方を知ってもらえれば、エルフキャットの『魔物』認定も避けられるかもしれない。


「……見付けた。これが最適解だ」

『みゃ』


 すぐにでもきちんとした構想を練りたいところだが、エルフキャットの赤い瞳がこちらをたしなめるように睨んでいる。仕方ない、考えを詰めるのは明日にしておこう。

 わくわくした気持ちを抱えたまま、僕は再びベッドに潜り込んだ。

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