近付くもの⑤
カラオケを選んだのは、ハニートーストが美味いと聞いたからだった。そこにハルと向かったのは、前回の会合から再び二週間後と少しが経ったころだ。
「それで? どうだったんだ?」
カラオケの個室に入り、一息を吐く。二人でハニートーストやポテトを注文してから、会話を開始した。
カラオケをするつもりはない。俺は曲が分からないし、ハルは歌が苦手と自己申告している。気にならなくもないが、知らない曲を歌われても、音痴かどうかなんて判断できない。
「上手くいった、と思いますけど」
「けど?」
「スキンシップはできませんでした」
ハルはだらしなく、低めのテーブルに上半身を預ける。だらっとした姿勢は、つらくはないのだろうか。
「どこに行ったんだ?」
「水族館です」
「魚を展示しているんだったか?」
ざっくりとした知識しかない。それを告げると、ハルは苦い顔になった。
「そう言われると何かの研究所みたいですね。もっと娯楽っぽいですよ」
「どういうものがある?」
「イルカショーとかありますし、触れ合い広場? みたいなものがありますよ」
「触れ合えるのか? 生物と? 危険じゃないのか」
「危険な生物とは触れ合えませんよ」
こちらの生物は従属させることなくペットにできるものも多い。そのようなものと触れ合えるのだろう。いまいち想像はできないが、納得はできた。
「湊人は危険なのか?」
「とんでもない弄りしないでくださいよ」
ぷくうと膨れる。確かこんな生物がチキュウにいると聞いたことがあった。毒があると聞いたが、ハルにはそんなものはなく弱々しいばかりだ。
「別の進展もなかったのか? 一緒にいることはできたんだろ?」
それさえも失敗していれば、この程度の失意で済んでいるとは思えない。それを察するほどには、ハルと交流を重ねているつもりだ。
いや、こうして会うこと以外に、ハルと深い連絡を取っているわけではない。ハルは律儀なので、俺から連絡をしたら返してくれと最初に言った通りに、魔道具を無駄遣いすることはなかった。
なので、時折こちらから具合を尋ねる旨を送っている。湊人と会えなかったときに連絡を取ったときのハルは、思った以上にへこんでいるのが文字からも透けていた。そのことを思えば、今はまだマシのへこみ具合だろう。
「それはできましたけど、水族館ですから見て回るばっかりで、特にこれといった何かがあったわけじゃないです……話はできましたし、お昼ご飯は分け合ったりしましたよ」
「いいじゃないか」
およそ失敗しているのだと断じていた。ハル自身がそう言ったのだから、それを真に受けた形だ。しかし、実際にはことを成し得ていたらしい。
「いいんですか?」
「食事を分け合うのは気を許していないとやらないと思うぞ」
「本当ですか?」
変なところで関係を察する力が弱かった。それとも、チキュウの友人関係は特殊なのだろうか。だとすると、今までの進展具合も見直す必要が出てくるが。
「その辺の男と分け合えるのか?」
「嫌です」
それが即答できるのに、相手のこととなると察することができないらしい。勘がいいくせに、どこかズレている。
「じゃあ、いいことじゃないか? その調子でこれからも遊びに行って、少しずつスキンシップが取れるようになれば、もうちょっと深くなれるだろう」
深く、という漠然とした言い方をしたが、ハルにはしっかりと想像できたらしい。かぁと頬が赤く染まっていった。
L字のようなソファの一片同士に腰をかけているので、それなりに距離はある。しかしながら、これほど鮮明に分かるものか。それほどに、一気に色付いた。思わず笑ってしまうほどだ。
「何を笑ってるんですか」
きっと睨みつけてくる。責め立てられたって、真っ赤なものだから迫力はない。
「いや、微笑ましいな、と」
「意地悪ですね、カインさん」
「悪かったよ」
そんなつもりもないが、折れるところでは折れておくものだ。素直に謝罪すると、ハルも言葉を引っ込めた。ここで無駄な言い争いをするつもりはない。
「堕とすと言ったわりに、初心だなと思っただけだ。とにかく、上手くいけばいいな」
ざっくばらんな言いざまになってしまったのは、他に言いようもなかったからだ。
当然、これ以上もアドバイスしようと思えばできる。だが、現状順調であることが窺い知れるのだ。初心なところのあるハルに下手な行動を取らせると、今まで積み上げたものをぶち壊しかねない。
そろそろ、慎重さを考えるべきタイミングに差し掛かっている。実際に湊人と対峙していない分、その判断が確実であるかどうかは自信はない。
だが、ハルの状態はまだ読める。
順調と呼べる調子を、あえてズラすようなことをすれば度を失いかねない。ハルは根本的には穏やかだ。だが、穏やかであるがゆえに、動乱することもある。わたわたと慌てふためいている印象があるのは、ほとんど第一印象だろうか。とにかく、そうなった場合、ハルの調子は一息に芳しくなくなる。
「もう、アドバイスはしてくれないんですか?」
見捨てられたとでも思ったのか。耳やしっぽがあれば、しょぼんと垂れているのが目に見えたことだろう。
依存と断じるつもりはないが、よくない傾向かもしれない。俺がいつまでもそばについていられるわけではないのだ。そのために、一人で動けることを前提に声をかけてきた。すべてをこなせるほどに教えられたとは思っていないが。
しかし、ハルはここまで自分で決めて進んできた。情けない顔をするようなことはひとつもない。
「必要なときは、ちゃんとしてやる」
まだまだ、学ばせることはある。ハニトラにしては不出来であろうし、それ以外においても不足のはずだ。自ら声をかけて拾ったようなものなのだから、捨てたりはしない。
ハルは目に見えて脱力し、肩の位置を落とした。俺の逐一に感情を揺らす。これも、打てば響く、というものだろうか。
「だけど、ハルは大丈夫だろ?」
「だから、どうしてカインさんが私のことを請け負うんですか」
心底不思議そうに、首を傾げられる。ぱちぱちと重ねられる睫毛は長い。化粧っけはないので、天然ものだろう。
こちらは化粧用品まで高品質だ。ちょっと見ただけでは、天然かどうかは判別がつかない。だから、俺には区別がついているわけではなかった。ただ、ハルの素朴さを知っているだけだ。
「俺とこうしているだろ?」
ハルはつぶらな瞳を丸くした。理解ができないのか。そのまま呆然としている。
「出会って二ヶ月にも満たない男と密室に二人きりだ」
あえて意識を促すような言い回しをした。その効果はあったようで、ハルの目が更に見開かれる。そして、頬にバラが咲いた。
「そういう言い方をしなくてもいいじゃないですか」
ほんの少し恨み節を交えて不貞腐れたように言う。拒絶などが戻ってくることはない。その信頼を得たような関係に、ほんのりと胸が暖かくなった。
「でも、事実だろ?」
ふっと笑ってやると、ハルは眉を下げながらも力を抜く。赤みも収まったようだ。
「カインさんの技術って気がしますけど」
「ほだされたのか?」
「えー、湊人君がいますよ」
「じゃあ、俺の技術は不発だな」
肩を竦めてふざける。ハルは片眉を上げた。
「でも、カインさんだって、私にほだされてくれたわけじゃないでしょ」
「まぁ、そうだけど」
「だから、私の力がついたってことにはならないでしょう?」
「でも、こうして男慣れしただろ」
手を伸ばせば届く距離にいる。俺はそれを成し遂げて、ハルの長い髪を撫でるように梳いた。
「そんなに馴れ馴れしくなったわけじゃありませんよ」
「慣らすか?」
からかうように笑って、毛先に唇を触れさせる。音を鳴らしたのはわざとだ。
「なな、に、何して、!」
かっと広がった赤みは、いつもの比ではない。首筋まで赤くなったハルは、びゃっと距離を取って、髪を自分の元へ引き寄せた。
「き、きざ! ハレンチ!」
破廉恥って……女子高生が口にする単語か。タメ口になっている。だいぶパニックに陥っているようだ。
やはり、これ以上強引なアドバイスで推し進めるのをやめておいたのは正解だったかもしれない。緩やかに距離を詰めるほうが、ハルの速度と性格に合っている。
「頑張れよ」
「からかってますね?!」
疑問形でないから、結論は出ているのだろう。俺も誤魔化す気はなく、くつくつと笑い声を立てた。からかい甲斐がある。
「もう! カインさんが意地悪なのはよーく、分かりました!」
「慣れたいんじゃなかったのか?」
「アドバイスの話でしたよね?!」
「からかわれた後でも、これだけちゃんと話せてれば何の心配もない」
さくっとまとめれば、ハルは反駁の勢いを止めた。
目を瞬いてから、軽やかな笑みになる。それから、背を正してぐっと拳を握り締めた。それは、よく見せる気合いの格好だ。分かりやすくて、微笑ましい。頬が和らぐ。
そして、ハルは前と同じように凛と響く声で宣誓した。
「カインさんの教えを胸に頑張りますっ」
まばゆい顔つきは、魅力を放っている。きっと湊人にまで届くだろうと思うほどに純白で、こちらまで浄化されるようだった。
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