近付くもの④

「甘いものが好きなんですか?」

「……ああ、そうなのかもしれない」

「なんで他人事みたいな言い方するんですか?」


 ハルが眉間に皺を寄せる。不満や疑問にしても、こうもきつい顔をするのは珍しい。どうして、ここでそんな顔になるのかがてんで分からずに、首を傾げる。

 ハルの心情を読むのは難しい。

 日頃、思惑を見通すのは簡単だ。しかし、そこには確かな策略や謀略があることが多い。俺の仕事は、そうした裏の読み合いだ。ハルのように屈託のないものの心を察する経験はあまりなかった。情報量が不足していて、推し量ることが難しい。


「自分のことですよね? カインさん、自分のこと分からないんですか?」


 そう指摘されて、怪訝な顔をされる意味は分かった。だが、あたりの強い言い方をされる理由が分からない。何をそんなにムキになることがあるのか。


「自分に興味ないんですか?」


 確かめるような。噛み締めるような。探るような。何かの感情を抑え込んだような。含みのある言葉を吟味する。

 自分への興味。改めて言われると、そう強くないのかもしれないとぼんやりとした思考が浮かぶ。

 昔から、人の中に溶け込むことを是としてきた。その能力を伸ばすことに邁進してきたのだ。自分を際立たせることなど、考えたことはない。それが興味のなさに繋がるのであれば、まさにその通りであるだろう。

 ハルの指摘はなかなか鋭い。だが、だからと言ってこのような自己分析を表に出す気は更々ない。自己主張をしない論法は、骨の髄まで染み付いている。


「カインさん?」

「チキュウのものは全部美味しいから、甘いものを図抜けて好んでいる自覚がなかっただけだ」


 すらすらと答えると、ハルはあっけなく納得したようだ。

 あまりにもチョロい。こんなことでは、どんなに俺が薫陶を授けたとしても、技能を引き上げられるのか怪しい。心配しているのは初めからだが、それは倍増した。


「他にどんなものが好きなんですか?」

「ハンバーグやカレー。刺身も美味いな」

「生食に抵抗はありませんでしたか?」

「最初は驚いた。生臭いしな。だが、慣れれば慣れる。海鮮丼はとてもいい」

「やっぱり食いしん坊ですね」


 穏やかな物言いをされるのは、変わらずに落ち着かない。しかし、美味しいものを食べるのが息抜きになっているのは事実だ。俺は無言を貫くことで、否定しないことにした。


「湊人君もそうですよ」


 俺が黙ってしまったからか。それとも、話したかったからか。ハルは愉快に言葉を重ねる。


「すっかり仲良くなったんだな」

「分かりますか?」


 そんなもの、今日顔を合わせた時点で分かりきっていた。話を聞くまでもない。それだと言うのに、ハルは今更なことを聞いてくる。その緩みきった顔は、喜びを思い知らされるばかりだ。


「名前呼びになってるじゃないか」

「あ、はい」


 恥ずかしいとばかりに、頬を両側から押さえる。ベタな仕草だが、さまになっていた。ハルには自然だ。


「だったら、次の段階に進めそうだな」

「次ですか?」


 このまま仲良くなっていけばいいと思っているのだろうか。もしくは、今の段階では十分だとでも。

 しかし、流れに身を任せていては、堕とすのがいつになるか分からない。成し遂げられるのかすら怪しいものだ。俺は最後まで手を抜くつもりはない。


「もう遊びに行くくらいはできそうだろ? 二人でなくていい」

「う、まぁ、それなら、できなくはありませんけど……」


 自信がないのだろう。半人前ではあるが、ここまでやってこられたのだ。何をそんなに弱腰になっているのか。俺の言葉が足りないのだろうか。

 教育や指導をしたことはない。どう導くのが正解なのかは、見当がつかなかった。


「今のハルになら、難しくはない」

「どうしてカインさんが自信満々なんですか?」

「ハルを信用しているからな」


 でなければ、自分の知識を渡したりはしない。ハルは目を見開くと、じわじわと頬に桃色を滲ませていく。


「カインさんって、恥ずかしいことさらりと言いますよね」

「事実だ」

「そういうところですよ!」


 どうしたって事実であるのだから、そんなふうに主張を念押しされても、ピンとこない。


「ハルは信用に答えてくれるだろ?」

「卑怯な言い方をしないでくださいよ。遊びに行くたけでいいんですよね?」

「スキンシップも取ってこられれば万々歳だな」

「スキ……っ」

「堕とすんだろ?」

「それはそうですけどっ」


 今までは、まだ友人の距離の詰め方でしかない。親交を深めるに過ぎなかった。堕とすとならば、男女の情を刺激しなければならない。

 分かりやすい好意の示し方は、接触だろう。ベタベタすればいいと言うものでもないが、少しもないのとでは印象が違う。現状、湊人がどれくらいハルを意識しているのかは分からないが、ここから先に意識は必要不可欠だ。

 ハルは想像でもしたのだろうか。頬を赤くしながら、頭を抱えた。仮に頭を抱えるような杞憂が芽生えたとしても、実際に行動に移さずともいいだろうに。


「ハルが意識してどうするんだよ」

「せずにいられるわけないじゃないじゃないで、ないじゃ??」


 敬語がこんがらがったようだ。動揺しているらしい。


「大丈夫だから、一旦落ち着け」


 動転させているのも俺だと言うのに、俺の言葉を聞き入れるようだ。ふぅと長く息を吐き出して、気を落ち着けていた。素直なうえに、分かりやすい。


「……からかい混じりに肩を叩くとか、そういうのでいいんだよ。手を繋げとか、抱きつけとか、腕を組めとか言ってんじゃないからな」

「肩を、叩く……」


 どうやら、ハルが想像したものは後者だったらしい。簡単なほうを呟く顔は、ほんの少しだけ明度を取り戻していた。


「簡単なことでいい。そばにいることが嫌じゃないって湊人に分かりやすい態度で示すんだよ」


 もう否定はなくなって、ふんふんと頷いている。アドバイスと分かると、聞く耳が立つらしい。ハルは前回見せたやる気の片鱗を滲ませた。


「複数人で行ってもいいけど、隣は確保しておくといい」

「他にどんなことをすればいいですか?」


 意欲的になったのはいい。だが、それ以上のアドバイスをする気はなかった。緩く首を左右に振ると、ハルはくじけたような顔をする。


「あまり意識し過ぎると上手くいかないだろ?」

「うっ」


 図星だったのだろう。喉を詰めたハルに、苦笑した。項垂れた頭頂部をとんと叩くように撫でてやる。


「頑張れよ」


 精いっぱい励ませば、ハルはぎゅっと表情を引き締めて頷いた。

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