近付くもの③

 この会議は、どこから数えるべきなのか。顔を合わせてからは三度目。成果を報告するようになってなら、というなら二度目。

 何にせよ、次の会議は二週間ほど後になった。長い時間ではあったが、それはハルの猶予期間になったようだ。


「私、この前ついにやり遂げました。この通りです!」


 駅前で待ち合わせて移動してから、ハルは上機嫌でスマホの画面をこちらに向けてきた。何が書かれているのか。そこにあるものが何なのかは分からない。だが、それが連絡先であることは流れから察することができた。

 あれほど難しい態度を崩さなかった。もしかしたらダメかもしれないと、俺は今回の任務中何度か思ったものだ。しかし、ハルは見事にやり遂げた。

 俺は簡単に口にしたが、連絡先を得るのは非常に難しい。いや、これは文明の問題もあるだろう。アグニスでは、実家との縁を繋ぐ意味合いになってしまうのだ。ゆえに、難易度は相当に高い。

 こちらではまだ簡単なのかもしれないが、それでも壁はあるだろう。思ったよりも、根性は据わっていたらしい。


「テスト勉強をするってことで、図書室で何度も待ち合わせもしましたよ!」


 鼻歌でも奏で始めそうなほどのハルが、ニコニコ笑っている。向かい合っているはずなのに距離が近いと錯覚してしまいそうなほどの気迫だ。


「上出来ですよね?」


 にぱっと笑いを弾けさせたハルが、成果を問うように首を傾げる。


「……そうだな」


 まだまだ、とは言わぬほうがいいだろう。成功していることは間違いない。

 ただ、堕とすのであれば、道順は長いものだ。ことはそう簡単ではない。ここまでの慌ただしい態度を見るにつけ、この後が順調に行くかは正直半々だ。

 ハルが湊人に気に入られる確率は低くない。この子は不思議な子だが素直だし、愛嬌がある。妙ちきりんな態度を取っていなければ、色よい反応がもらえるだろう。だが、堕とせるのかと考えると、途端に不安要素が大きくなった。

 ハルは人がよすぎる。そもそも、何故スパイに似たバイトをしているのかも分からない。とてもじゃないが、人を騙すことには向いていない。

 無論、スパイは騙すことが主軸ではないが、任務上偽ることばかりになる。堕とすということになれば、身分だけを偽るだけでは済まない。口先だけではないのだ。その身を使うことになる。

 そんなことが、距離を詰められただけのことにこんなにはしゃいでいるハルに実行できるのだろうか。不安しかなかった。

 それを飲み込んだ相槌だったが、どうやら勘だけはいいハルには通じてしまったようだ。


「まだまだ、なんですね」


 チキュウでは気を抜いている自覚はある。だが、それにしたって、ハルの見抜く力は上質だ。こんなふうに、表情を看破されるのは久しぶりのことだった。それも、ここまで正確に。

 思わず、苦笑いが零れてしまった。

 どう励ますべきか。ここで折れてもらっては困る。ここまで手を貸したからには、成功させたい気持ちが膨らんでいた。自分の任務と同じほどの責任感が芽生えている。

 適切な返答を巡らせているうちに、目の前にいちごパフェが運ばれてきた。ハルのほうには、スフレチーズケーキとカフェオレが並ぶ。

 今日はファミレスではなく、オシャレなカフェに来ていた。


「ご褒美を食べても許されるほどの成果じゃないか?」


 俺はハルがどの程度の期限で任務を受けているのか知らない。もし、学園にいる間が期間であるなら、後一年半ほどはあるはずだ。期間は十分にあった。

 何にしても、息抜きするコツくらいは掴んでもらわなければ困る。思いつめ続けてこなせるほど、スパイの精神力はヤワではいられない。

 強度を鍛えるには経験を積むしかないが、柔軟性を持つのは今すぐにでもできる。制御を覚えなければ、後々困るのはハルだ。


「どちらかと言うと、これはカインさんのご褒美じゃありませんか?」


 ハルは苦笑いを浮かべる。

 確かに、カフェに行きたいと言ったのは俺だ。それじゃあ、とハルが人気のオシャレなカフェを紹介してくれた。これは最初に言っていた俺への報酬だろう。ご褒美を受け取っているのは俺であるかもしれない。


「ハルだって、ちゃっかり好きなものを頼んだんだろ?」

「来たからには頼まないともったいないじゃありませんか。カインさん、パフェいけるんですか?」

「カフェで食べるのは初めてだ」


 長いスプーンを手に取って、クリームを掬う。

 こちらのデザートが甘くて美味しいのは知っていた。初めて食べたときは、その衝撃に唖然としたものだ。アグニスの砂糖は、とても質が悪い。甘さもあまり感じられない粗悪品だと気がついたのは、こちらの砂糖を食べたときであったが。

 デザートに限らず、料理はすべてこちらに軍配が上がる。俺には食べてみたい食品がたくさんあった。


「美味しいですか?」


 ハルは自らのケーキをよそに置いて、俺の様子を窺っている。

 無邪気に見つめられて、苦々しい気持ちになった。そんなふうに注目されるようなことではない。しかし、見つめ合っていてもどうしようもないこともまた事実だ。俺は妙な感覚を持ちながら、そのままパフェを口に含んだ。


「……美味しいな」

「よかったです」


 ほろっと笑み崩れたハルに、少々面食らう。

 ハルが手作りしたものでもない。そこまで喜ぶ意味がよく分からなかった。その疑問が表に出ていたのだろうか。ハルはまるで自分の行動を説明するかのように口を開いた。


「私がオススメしたお店ですから、お口に合ってよかったです」

「ああ」


 そういう意味であれば納得ができる。頷くと、ハルはニコニコしながらケーキを口に運んだ。そして、ゆるゆると頬を緩める。


「美味しいか?」


 あまりにも蕩けた顔をするものだから、つい尋ねてしまった。

 ハルは言葉なく、笑みを深める。人はこうまでご機嫌になれるものか。まだまだ、などとへこみそうになっていたことなど忘れてしまったようだ。それを望んでいたのだから上々だが、それにしても落ち葉のようにくるくると感情が翻る。見ていて飽きないが、疲れないのだろうかと思った。


「食べますか?」


 するっと言われて、緩く差し出されたお皿を見下ろす。


「いいのか?」

「一口ですよ?」

「分かっている。そこまで食い意地は張っていない」

「だって、瞳がとってもはしゃいでるんですもん」


 まさかの視点に、ぱちくりと目を瞬いてしまった。自分がそれほど喜悦を隠しきれていないとは。ハルの前だと、すっかり気を緩めてしまっているらしい。


「心配しなくても奪ったりしない。ハルも食べればいい」


 同じように、パフェのグラスを相手のほうへと向けた。


「いいんですか?」

「ご褒美が欲しいんだろう?」


 これがご褒美になるかどうかは分からない。だが、ご褒美をやるつもりがある意思を見せるのは大事だろう。

 ハルはほわりと明かりを灯して、


「ありがとうございますっ」


 と音を跳ねさせた。

 そして、フォークでそっと生クリームとアイスの部分を掬っていく。口に含むと、んー! と目を細めて喜びを表した。


「冷たいのも美味しいですねぇ」


 へにゃんと緩めた顔で零される感想も、とろとろと蕩けている。可愛らしいものだ。


「カインさんも、こちらどうぞ」


 ぐいっと、お皿が更にこちらに寄せられる。

 しかし、こちらはパフェスプーンしか持っていない。ケーキを食べるのは、難しかった。何か方法があるのかもしれないが、俺には分からない。

 その戸惑いに、ハルはあっさりと気がついたようだ。相変わらず、感覚は鋭い。気遣い屋なのだろう。お人好しなことを考えると、他人の心理を観察する癖があるようには思えない。俺とは違う。

 ハルはケーキを一口大に切ると、こちらの口元辺りへ差し出してきた。


「どうぞ」


 いいアイデアだと疑わない顔は晴れやかだ。外側からどのように見えるのか。考える余白はないらしい。

 俺は別に、それでどんな目で見られようとも構わなかった。こちらにはハル以外に知り合いはいないし、困ることはひとつもない。

 しかし、ハルは湊人との作戦決行中だ。あらぬ疑いなどを掛けられれば、任務遂行は困難を極めるだろう。こうした刺激が、二人の関係を深める一助になることもあるかもしれない。しかし、そんな不確定な手段を選びたくはなかった。

 その躊躇に、ハルは次第に眉を下げていく。


「……いらなかったですか?」

「いや」


 漂ってくるチーズの良い香りに、食欲は刺激されている。食べられるのならば食べたかった。すぐさま否定したものだから、ハルはますますフォークを差し出してくる。引くに引けない状態に、俺はぱくりとチーズケーキを頬張った。

 解れる舌触りが面白く、濃厚なチーズの味が咥内に溢れる。ハルのように声こそ上げなかったが、気持ちとしては、んー、と堪能の擬音を零したかったくらいだ。


「のったりとしたチーズの感触が滑らかで美味いな」

「ふふっ。カインさん、ケーキ好きなんですね」


 堪えきれない笑い混じりの感想には、思わず眉を顰めた。

 表情に出したつもりもない。それだと言うのに、ハルはさも当然のように俺の好みを把握する。自分の能力の低下がよぎって、渋みが増した。

 チキュウで堕落的な休暇を送っていては、身体が鈍るということだろうか。

 棚上げにしておいた、仕事を減らす方向への舵きりを思い出す。あれを実行に移すのはまだ先だと思っていたが、こんな調子になるのであれば、次世代に継がせるまでは不可能かもしれない。現実的に夢を見ていたわけではないが、手に入らないと分かると、気分は沈むものだ。

 しかし、ハルは淀みなく察した手の内を明かした。


「饒舌になるんですもん。分かりますよ」


 クスクスと鈴の鳴るような笑い声は、微笑ましいと言っていたときのものだ。

 またぞろ、ハルの何かに触れたらしい。そんなふうに思われることには、不思議な感じがする。しかし、悪意を持たれているわけではない。ムキになることもあるまいと、俺はまたパフェへと向き合った。

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