近付くもの②

「日常会話がこなせるようになったんだな?」

「はい! 前進しました。カインさんのおかげです」

「俺はそこまで大袈裟なことは言っていない」

「そんなことありませんよ。挨拶からって分かってても、おはようの後が続かないものですから。天気とか服装とか髪型とか、具体的に言ってもらえると、連鎖的に他のこともぽろぽろ思いつくものです」

「筋がいいだけだろう」


 服装と髪型は話題の掴みとして使い物にならないはずだ。彼女たちは制服で過ごしているのだから、毎日感想が変わるはずもない。他の話題に変換できているのは、ハルの努力だ。

 何より、今日、俺は当たり前のように服装について言及されていた。すっかり身についたのだろう。一週間ほどで距離を縮められる習慣を身につけられるのだから、十分だった。


「こういうのって、筋の問題ですかね?」


 不思議そうに首を傾げているが、適性は確実にある。

 スパイの中でも、身を潜める潜入は得意でも、人に紛れる潜入には向かぬものもいる。暗殺紛いが最も得意という残酷なやつもだ。それぞれに適性がある。

 ハルにはあまり実力があるような気がしていなかったが、人懐っこい。その面が、上手く作用しているのだろう。


「そうじゃなきゃ、こう上手くいっていないだろ?」

「上手くいっているでしょうか?」

「初めてにしてはいいほうだろう。まだ二人きりで会話することはできていないのか?」

「……図書室で一度だけ、話したことがあります」


 二人で話すには、越えねばならぬ障害がある。挨拶を交わすくらいであれば、衆人環視の元だ。それならば、難しくはない。だが、二人きりとなると具合は変わってくる。場所が必要になり、かつ、誘うという手順を踏まなければならない。

 偶然に任せたものではないものがあれば良かったが、どうやらそこまでは進めていないようだ。ハルも不十分だと思っているのだろう。晴れがましさはない。


「誘えるようになれるといいんだが」

「……どうすれば?」


 俺はとんとんと指先でテーブルを叩きながら、考える。

 呼び出すことは、まだ難しいだろうか。となると、湊人の動きを見越して待ち伏せするほうが簡単なのかもしれない。

 だが、学校は授業の時間が決められているはずだ。いつ何時であっても、自由に動けるわけではないだろう。待ち伏せのために、規則を無視して動けるものなのかが分からない。それに、ハルは真面目だ。サボりを率先して行うとは思えなかった。


「連れ出せるところはあるか?」

「図書室くらいなら、何とかできますけど」

「資料室だろう? 話すことはできるのか?」

「大騒ぎしなければ、そこまで咎められませんよ。荒川君は、時々行ってるみたいですし、会うことは難しくないです」

「待ち伏せ?」

「そ、そういう言い方をするのは、やめてください!」

「声を荒ららげるな」


 ハルはどうにも、待ち伏せなどの行為を好ましく思っていないようだ。最初の尾行についても、頑なに否定をしていた。反応が仰々しいことこの上ない。

 自分の唇に指を立てて窘めると、ハルは片方の手のひらでちょこんと唇を押さえた。小さくなっているのを見ると、微笑ましい。

 ハルの仕草は可愛らしいものが多かった。これなら、湊人の気を引くことも難しくはないだろう。……意識せずにやっているのであろうから、効果的に利用できはしないだろうが。何の武器もないよりは、いくらかマシだ。


「とにかく、待ち伏せとか、ストーカーみたいな言い方はやめてください」


 ご丁寧に唇を押さえたまま、声を潜めて零した。


「ストーカー?」


 そういえば、最初に否定の言葉を連ねたときも、そんなことを口にしていた。


「人を追い回して傷つける犯罪者です」


 むっと眉を顰める。

 なるほど。仕事をしているものを犯罪者呼ばわりすれば、不機嫌な面にもなるだろう。反駁が大きくなるのも頷けた。


「悪かったよ」

「あ、いえ。追いかけてるのは本当なんで、アレなんですけど」


 手のひらを離して、複雑そうな顔で唇を尖らす。不貞腐れた顔つきをすると、随分幼く見えた。


「まぁ、人とお近付きになるというのは、多かれ少なかれそういうところがあるだろう。湊人が嫌悪していなければそれでいいんじゃないか?」

「嫌われていないでしょうか?」


 項垂れて、上目にこちらを窺ってくる。

 残念ながら、その判断は俺には難しい。湊人の姿は知っているし、ハルが第一印象で嫌われるような性格でないことも知っている。しかし、二人が会話しているところを俺は見ていない。通常であっても他人の心を看破するのは難しいが、現状推察する情報すらも持ち得ないのだ。

 黙ってしまった俺に、ハルは暗い顔になって、視線まで落としてしまった。


「俺は湊人を知らない」

「……そうですよね」

「だが、嫌いなやつと話そうとはしないだろ? ハルと話して儲けになるようなこともないのだから」

「すごくシビアですけど、説得力はありますね。分かりやすくて」

「納得するのか?」

「私と仲良くして利益はないですから、そこまで後ろ向きにならなくてもいいかな、とは思えました」

「変わっているな」


 俺の言い方がそう優しくはない自覚はある。これが、ハニトラ相手であれば、もっと甘言を与えたりもした。

 しかし、ハルはそうした相手ではない。甘やかすことに利点はないのだから、そんなことをするつもりはなかった。だからと言って、すんなりと納得されるとも思ってもみない。ハルは不思議な子だ。


「カインさんに言われたくないんですが?」


 こちらこそ不思議だとばかりの顔をされた。そんな顔をされる謂れはない。眉間に皺を寄せると、ハルも同じような顔つきになった。

 互いに、互いのことを妙なやつだと思っていることが分かる。そんなことが分かっても、ハルの任務が進むわけではないので無意味だ。


「それよりも、次は二人きりで会話ができるようになるべきだな。図書室で会えると分かっているんだから、無理ではないだろ?」

「うー」


 唸り声で喉を鳴らす。無理ではないが、簡単でもない。こんなに分かりやすい混迷の態度があるだろうか。滑稽で打ち解けやすくはあるが。


「行けそうなら連絡先の交換までいきたいんだけどな」


 行く先を零すと、ハルは顔色を青くする。スマホでのやり取りは簡単だと聞いていたが、交換はそう簡単ではないのだろうか。


「難しいか?」

「あ、アドバイス! アドバイスをくださいっ」

「……諦めないのか」


 唸り声を上げて、顔色を変えるほどだ。よほど苦手であるのなら、別の手もある。にもかかわらず、ハルは他の手段を取るつもりはないらしい。

 ハニトラは、決して易い手口ではないのだ。難易度は高く、慣れないものには最悪とも言える。しかし、ハルは前のめりになって食いついてきた。やはり、不思議な子だ。


「そんな簡単に言わないでくださいよ」


 むんと唇を尖らせて、そっぽを向く。仕事への矜恃は持ち合わせているようだ。その心意気は悪くない。


「だったら、頑張ることだな」

「アドバイスしてくださるんですよね? カインさん。そういう約束ですよね?」


 縋るように見られると、庇護欲を刺激される。俺には弟も妹もいないし、弟子を持ったこともない。年下の生物というのは、どうにも庇護したくなるもののようだ。


「ああ。放り出したりはしない」

「どうすればいいですか?」


 頼りなく揺れる声は、繊細だった。素直にアドバイスを乞えるのも長所だろう。

 変な意地があるものも多い。スパイという特殊な仕事が万能感を湧き上がらせて、自分の実力を見誤るのだ。そんな連中はすぐに終わりがやってくるので、そうではないハルにはスパイの素質が一応は備わっているのだろう。


「まずは、連絡先の交換に必要な手順は何だ?」

「話しかけることさえできれば、特に特殊な手順は……」

「……共通の話題はできたんだよな?」

「他愛ないものですけど」

「そっちのほうがいい」


 ハルはきょとんとしていた。首を傾げてはいないが、ほとんど傾いているも同じくらいのきょとん具合だ。


「何気ないことのほうが長々話していられるだろう? その流れで連絡先を聞ける機会はないか?」

「えーっと……そうですね。オススメの動画の共有とか? そういうのですかね?」

「それはどれくらい勝率がある?」


 数値化を求めると、ハルは途端に渋面になった。ぎゅっぎゅっと顔の要素が中心へと集まる。


「画像とか動画を連絡アプリで送り合ったりすることがあります。何か要件がないと連絡先を聞き出すのは難しいですけど、遊びに行こうとかそういうのがないので、画像とか動画とか……そういうのを見せるって言い訳を用意するしかないです。勝率は、私が嫌われていなければそれなりに」

「嫌われてないという結論にならなかったか?」

「あくまで、私がそう思わずにいられるようになった、という話ですよ。連絡先を交換してもいいほどと思われてるかどうかは分かりません」


 むくーっと頬を膨らませる。まったくもって、豊かな表情だ。見ていて飽きない。


「好かれるように動くしかないな」

「それができたらこんな苦労をしてはないんですけど」


 些か胡乱げな目になる。

 楽観的にも聞こえる言い分が、不満であるのだろう。または、腹立たしいとすら思うのかもしれない。

 しかし、好かれるのは目標であるのだから、楽観的でも何でもなかった。むしろ、手厳しいほどの現実だ。苦労をしていない、なんて嘯いている場合でもない。胡乱になりたいのはこちらだ。


「とにかく、図書室で顔を合わせて、今までと同じように他愛ない会話をする流れで連絡を交換するように動くこと。スマホについて、俺は詳しく知らないから、具体的にアドバイスをしてやれないけど……テストに向けて勉強の相談をしたいとかを持ちかけるのは変か?」

「変じゃないです」


 ぶんと首を左右に振るハルの顔色は、いくらか明度が上がっている。どうやら、俺の発案は前向きに受け止められたようだ。


「じゃあ、そういうのとか……後は、そうだな。遊びに行きたいとかを持ちかけられるなら、それが早いんだが」

「そんな!」


 悲鳴のような声を上げる。そんなことはできない。簡単ではない。感情があけすけに届いてくる。


「持ちかけるだけでいいんだ」


 そう言うと、ハルはいくらか気を落ち着けたようだった。

 実行に移す必要はないと含んだものは通じたらしい。行間を読めるのは、素晴らしいことだ。


「そうだとしても、勇気ありませんよ……二人ですよね?」

「共通の友人がいるなら、それでもいい」

「共通の……分かりました」


 やけにすんなりと頷いたハルは、目を伏せて思考を巡らせているらしい。何か思いつく手段があるのだろう。だったら、後はハルの考え任せるだけだ。

 アドバイスはするが、過干渉になるつもりはない。ハルが精査して欲しいと願い出るのであれば、判別する心積もりはある。そうでもなければ、範疇を超えるつもりはなかった。


「……友達と一緒に、と声をかけてみます」

「勝率は?」

「半々ですけど、まずはやってみるしかありませんから」

「ダメ元という気持ちなら止めておけ」


 そんな生温いことを許すつもりはない。チキュウでは失敗の処罰がどの程度かは知らぬが、それを甘んじて受ける可能性のあるものは排除すべきだ。感情論と言われればそれまでだが、心意気というのは結果に起因する。


「やらないよりはいいんじゃないですか?」


 できることすべてをやる。そうした網羅的なやる気ならば、俺だって忠告していない。しかし、ハルの言い分は半端なものである。


「成功させるつもりでいることは重要だ」

「……分かりました」


 こくんと素直に頷いたハルは、ぎゅっと拳を握り締めて俺の顔を一心に貫いた。


「頑張りますっ」


 ふんす、と鼻息を零す姿は、やる気に満ち溢れている。切り替えの早さが尋常ではない。割り切りが良すぎて、本当に理解しているのも怪しかった。だが、本気になっているのであればよい。

 俺はただ応援して見守っておくだけだった。

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