第二章

近付くもの①

 まず、俺が与えた課題は、声をかけるという至極単純かつ安直なものだった。距離を詰めなければどうしようもない。ハルもそれが分かっていたようで、拳を握る姿で意気込んでいた。

 その課題を与えてから、俺はアグニスに帰ってきている。仕事だ。

 今回は短期の潜入になる。一週間ほどでチキュウに出向けるはずだ。課題を達成するのにも、十分だろう。ハルの実力を測るにもちょうどいい。

 俺は今回、身分を偽って、上級貴族との関係を深めている。派閥争いの調査だった。

 ハニトラも、特殊な魔道具もおおよそ必要はない。友好的な振る舞いや、魔法隠蔽のアクセサリーは常に持ち合わせているものだ。後は、自分の持ちうる技能で話を聞き出すだけだった。

 有益でありながら重要ではない情報を提供し、信用を得る。この半端な情報は、文官が本気を出せば調べられる程度のものだ。肝心なのは本気という点だった。どれほど優秀であろうとも、全力を尽くせるものはそう多くはない。

 文官として主に尽くすというのは自由な時間が絞られる。その中を、情報収集に一点突破というわけにはいかない。それをやり通して、初めて手に入れられる情報だ。

 価値はある。しかし、俺たちのようなスパイが仕事として上げるには、不足のものだった。それを利用して動くことに、躊躇はない。実利を思えば、安いものだ。

 そうして、敵対派閥の情報を相互に補完していく。今回の依頼主は、この派閥争いの均衡を崩そうとしているらしい。そのために、中立を保ち、どちらの情報をも求めている。

 その結果、派閥争いが苛烈と化すのか。なりを潜めるのか。後のことは知ったことではない。それはスパイの領分を超えている。たとえ、人死にが関連しようとも、余計な手出しはしない。それがスパイだ。

 俺は上級貴族の荒波を揉まれながら、自分の任務を遂行した。その報酬は、一度のチキュウ観光に当ててもお釣りがくるほどだ。実入りがいい仕事だった。

 スパイとして年月を重ねている。その分だけ、一本一本の単価は上がっていた。もう少し仕事を抑えたとしても、生活は営めるだろう。

 だが、ジョーカーの一族としては、そう気を緩めるわけにはいかない。代々続いている家業を継いだ。そのしがらみは確実に存在する。

 父は継いだ後のことは、俺に任せると言った。放任主義というわけではない。その身の振り方まで、スパイの性質が染み付いている。ゆえに、俺がどのような仕事のやり方をしても、父は文句をつけたりしないはずだ。

 しかし、だからと言って、今までの依頼主が納得してくれるかは別問題だった。裏切りを行うことも必要になる一方で、人望でもっている仕事でもある。

 敵対組織に依頼されても、その業務期間に得ていない情報を渡すことはない。その人望が仕事を支えているのだ。そうして築き上げたものを、俺の代で途切れさせるわけにはいかない。

 家庭環境としては、俺はかなり自由だが、現状当主である。身勝手な挙措で、次世代へ負担をかけるわけにはいかない。アグニスでは、破格的に自由な身の上だ。今よりも仕事を抑えるのは、もう少ししてからでなければ考えられない。

 今考えてもどうにもならないことは、後へと回す。

 それよりも、今はハルのことだった。

 あれから、一週間。待ち合わせについて尋ねると、平日は放課後でないとならないということと、あまり遠出ばかりを求められると困ると回答があった。

 本心としては、遠出もしたいところであるらしい。しかし、支障になるのはお金だと言う。お小遣いだけでは余裕はないらしい。スパイの支払いは成功報酬だ。現在、任務中であるのなら、余裕がないと言うのも頷ける。

 俺は前回と同じ駅での待ち合わせを持ちかけた。通学路なのだと主張していたはずだ。日頃の行動範囲内であれば、ハルも気兼ねすることはないだろう。

 実際、待ち合わせ場所に現れたハルは明るい表情だった。平日であるから、制服姿だ。

 あの後、学生についていくらか情報を得た。学校には校則というものが存在し、制服の着こなしさえも定められるのだと言う。しかし、形骸化している場合もあり、微に入り細に入り守っている生徒は少ないらしい。

 ハルの通う学園の校則について調べたわけではないので知らないが、ハルは丁寧に着こなしているように思えた。同じ制服を着た別の生徒は、スカート丈も違えば、ブレザーの着方も雑だ。

 ハルにそんな隙はない。真面目であるのだろう。清楚な格好は、ハルによく似合っていた。


「カインさんは、目立ちますね」


 挨拶を交わした後、ハルがぽつりと零す。

 俺はチキュウの服を着ているし、髪色も黒色でチキュウに馴染んでいるはずだ。図体もでかくなければ、凡人に紛れることが遺伝子に刻まれている。心当たりがないどころか、意外性しかない感想に、きょとんとしてしまった。


「派手なので」

「そうか?」


 潜入でもない限り、アグニスでは黒い格好をしていることが多い。それに比べれば、色彩豊かな自覚はある。だが、目立つほどだとは気がついていなかった。


「ハワイシャツに柄物のパンツはとっても目立ちますよ」

「変か?」

「……個性的だと思います」


 その間と遠回しな言い方の真意に気がつけないほど、俺は視野が狭くはない。じっと自分の身体を見下ろした。


「派手なものはいくらでもいるじゃないか」

「確かにいますけど、カインさんにはもっと落ち着いた格好のほうが似合うと思いますよ」

「だが、羽目を外したい」


 それを聞いたハルは大きく瞬きをして、それから表情を緩めた。


「そうですね。カインさんにとっては休暇なんですもんね」

「どうした? 突然」


 理解を示してくれるのはありがたいが、手のひらを返すような態度には疑問が残る。


「好きな格好がするのが一番だと思いますから。羽目を外したいって、なんだか微笑ましくって」


 クスクスと笑いかけられて、無性にむず痒くなった。微笑ましいなどという感想を抱かれるような性格でないことは、自分が一番分かっている。

 憮然としてしまった俺に、ハルはぱっと口元を覆った。


「ごめんなさい。こんな小娘に微笑ましいなんて言われても困りますよね。馬鹿にしたわけじゃありません!」

「そこまでは思ってない」

「ちょっとは思ったんじゃありませんか」


 しょぼんと肩を落とす。目まぐるしく変わる表情は、スパイと思うと手落ち感満載だ。しかし、まだ未成年の少女だと思えば年相応で、それこそ微笑ましい。


「言われ慣れてなくて、困っただけだ。馬鹿にされただとか、小娘だとかは思っていない。服装に対しては、少しへこんでいる」

「へこまないでください。大丈夫ですから!」


 そこまでフォローされるほうが、よっぽど堪えるくらいの想像できないものだろうか。それで傷つくほど、軟弱ではないが。ただ、スパイの能力として心配になった。


「分かったから、それはいい。ひとまず、どこかに入ろう。進捗が聞きたい」

「……安めのお店でお願いします」

「奢るくらいわけないぞ」

「やっぱり、カインさんってお金持ちですよね」

「異世界にはそういう仕事があるんだ」


 単価について話すつもりもなければ、金持ちだと胸を張るつもりもない。世界の違いということにして、俺は歩行を始めた。ハルはすぐに追ってくる。


「奢っていただかなくて結構ですからね! ファミレスとかファーストフードとかカラオケとか、そういう場所で構いません」

「カラオケか」


 聞いたことはあるし、店舗を外から見たこともあった。歌を歌う店だということも知っている。しかし、入ったこともなければ、歌を歌うという仕組みが把握できない。


「入ったことありませんか?」


 どうやら、第六感が働いたらしい。表面を取り繕うのは苦手であるようだが、機微を悟る面では如才なかった。


「面白いのか?」

「楽しいですけど、カインさんはこっちの歌を知らないですから、歌えないんじゃありませんか?」

「ああ、そうか。曲目も違うか」

「あちらにはどのような歌があるのですか?」

「吟遊詩人が歌うようなものが多い。楽器ひとつで演奏し、歌唱をする。こちらは何やら色々な音があるんだろう? 電子音がどうだと聞いたことがある」

「そうですね。色んなジャンルの曲がありますよ」

「ハルは歌えるのか?」

「え」


 ひくんと頬が引き攣る。分かりやすい逡巡に、目を細めた。


「……一人で歌うの嫌ですよ」


 ふいと逸らされた視線で、苦手は悟れる。そこまで苦手な具合も気になったが、確かに一人だけ歌わせるのは可哀想だ。


「なら、ファミレスだな」

「ファミレス好きなんですか?」


 あからさまにほっとした様子のハルが、カラオケを忘れさせようとするかのごとく食いついてきた。話を逸らすのはいい。しかし、息せき切ってしまっているのが、不自然極まりなかった。

 同業者相手……むしろ指導者と呼ぶような相手であるから、あえて何かを整えようというつもりもないのだろうか。


「ちょうどいいだろ。ファーストフード店よりは長居もしやすい」

「そういう考えの基ですか? 一人だとどこに行くんですか?」

「居酒屋とかも入るぞ」

「お酒飲まれるんですね? 地球のお酒はどうですか?」

「種類が多くて雑味がない。美味いな。チキュウのものは飲み物も食べ物も美味い。美味しいものは好きだ」

「食いしん坊ですね」


 クスクスと笑われる。その笑い方は、つい先ほど見たばかりだ。またぞろ、微笑ましいと思われているのか。

 食いしん坊とは、確かに響きが微笑ましい。自分がそんな存在である自覚はまるでなかったが、ハルは楽しそうであるから、まぁ構わなかった。

 そんな穏やかな会話を繰り広げながら、ファミレスに到着する。前回と同じように対面して、ここからが本題だ。


「それで、進展はどうだ?」

「声をかけることはできましたよ!」


 ハルはぱぁと顔色を明るくする。


「どの程度だ?」

「顔を見れば挨拶をするほどにはなったんです」


 ハルはとても嬉しそうに、両手を胸の前で組んだ。うっとり、という顔だろうか。標的との交流をここまで喜ぶスパイも珍しい。そんなにも嬉しいものか。


「廊下で会って、話すこともありますよ」

「どんな?」

「えっと、次の授業とか? テストの話とか」

「テスト? 何をテストするんだ?」


 テストが試験と同一であることは知っている。

 修業時代には、成果を見るための試験のようなものもあった。なので、予想はつく。しかし、試験とはそう何度も行うものではないだろう。段階を達成し、更なる技術を手に入れるための試練。それが、俺の知っている試験だ。

 ハルはほんの少し考えるように、顎に手を当てた。


「授業ではさまざまな教科を学習します。それをきちんと身につけているのか。一定の期間でテストをするんですよ。成績は数値化されるという話は前にしましたよね? その判断材料にされます」

「それについて話すことが……?」

「上手くいったか、とか。範囲が広くて大変だ、とか。あと、抜き打ちの小テストがあったのだ、とか」

「ショウテスト?」

「えーと、そうですね。授業単位で行われる確認、くらいの狭い範囲で行われるテストのことです」


 ハルにとって、それは説明するまでもないほどの日常であるのだろう。平易な言葉を選んでくれているようだった。分かりやすい解説に、謎がするすると解けていく。自分の常識を簡潔にすることは、存外難しいものだ。これはハルの才能であるのかもしれない。

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