堕としたいもの④

 ハルは湊人について、それなりの情報を得ているようだ。どれが重要なものかは、現状判断できない。学生の情報は、これくらいのものなのだろう。家庭事情を手に入れるくらいはしていたほうが良さそうだが。

 個人情報を集めるのは常道だ。背景を想像して、会話を有利に展開させる。欲しい情報を手に入れるために。相手との友好を深めるために。利用する方法は時と場合によりけりだが、重要で常道であることは間違いない。

 どうやら、現状ハルは直接湊人と接触できているわけではないようだ。お近付になりたいと言っているのだから、間違いないのだろう。

 学生であれば、触れ合いがなくとも成績や噂を耳にすることはできるらしい。バンドの話も伝聞調であったし、又聞きであるのだろう。


「……どうするつもりだ?」


 向かう方向を示してもらわなければ、アドバイスのしようもない。進捗状態の確認は必須だ。


「少しでもお近付になりたいとは思ってますけど」


 自信がなさそうな表情は、任務に対する不安だろうか。もしかすると、ハルは初仕事であるのかもしれない。

 俺だって、初めてのときは緊張したものだ。ジョーカー家の跡取りである。失敗など許されるわけもない。そんな中での初仕事は、緊迫感が尋常ではなかった。

 今でも、あの吐き気を催す日のことは鮮烈に覚えている。

 簡単な情報収集だった。初仕事らしく、かなり緩い難易度のものが用意されていたのだろう。後にしてみれば、あんなものは序の口でしかなかった。何の危険もなく、お膳立てされていたにも近い。

 だが、そうして成功体験を得て、俺はスパイとしての道を無事に進むに至った。

 ハルにもそうした体験が必要だろう。ならば、お膳立てと言わずとも、手を貸して、場を整えるくらいはしてもいいのかもしれない。


「最終目標は?」

「お、おとせれば!!」


 あたふたと口にしたハルは、言った後で身を縮めて固まった。分不相応とでも思っているのだろうか。そうした遠慮の塊と思える態度だ。

 堕とす。

 ということは、ハニートラップを企んでいるということか。それにしては、接近具合が足りていなかった。柱から様子を窺っているだけでは、進展はない。


「それじゃあ、仲を深めなくちゃな」

「ぐっ」


 ハルも現状が物足りないものであることは理解しているようだ。喉を詰めて、視線を逸らす。理解しているのはいいが、相変わらず分かりやすくて不安になった。

 ハニトラ中に表情を繕えないのは問題だ。いくらチキュウとアグニスの仕事の状態が違うとしても、ハルの実力不足は否めない。

 ハルはそろそろとこちらを見上げてくる。上目遣いになっている角度は、なかなかさまになっていた。可愛らしく魅せることは知っておいて損はないが、自覚はあるのだろうか。


「アドバイス、いただけるんでしょうか?」


 願いが強いのか。胸の前で祈るように手が組まれる。ジャケットという厚手の生地を着ているわりに、ふっくらと胸が盛り上がっていた。ハニトラをしかけるには、望ましい肉体であるかもしれない。

 無論、好みは個人のものである。だが、ないものを補強するよりは、あるものを使うほうが楽だ。堕とす最終段階になれば、偽装は無用になる。であれば、ないよりはあるほうがいいのだ。


「ああ。俺にできる限りは」

「モテるんですね」

「? どうしてそうなった?」


 文脈が読めずに首を傾げる。ハルも同じように首を傾げていた。相手の仕草を真似るのは、感情を近付けるのにいい手口であるが、俺相手に使う必要はまったくない。

 意図したことではないのだろう。ここまでのハルの態度を見ていると、そちらのほうが確率は高そうだった。


「アドバイスできるほど恋多き方なんだと思いまして」

「……まぁ、それなりにってことで」


 ハニトラを駆使することは多い。自分の身で使えるものは使う。ナルシストでいるつもりはないけれど、利用できる容姿ではあることは自覚していた。それで惹けるものがあるのならば、利用しない手はない。

 おかげで、場数はそれなりにある。男女の違いはあれど、初心者であるハルを助力するくらいの自負もあった。

 プロのスパイという矜持もある。


「それは心強いですね」


 ハルは瞳をきらめかせてこちらを見上げてくる。不審は消え去ったようだ。そこには、尊敬混じりの光が見える。

 スパイの実力というのは、公にされるものではない。ゆえに、こんなふうな憧憬に炙られることもない。

 満更、悪い気はしなかった。


「ハルの努力次第だがな」

「それは言わないでくださいよ。緊張します」

「それくらいがちょうどいい」


 大丈夫などと安請け合いするつもりはない。言質を取られないのも、スパイに必要な能力だ。


「応援してくれるんですよね……?」

「応援しかできないからな」

「ありがたいですけど、思ったよりドライで驚いてます」

「そんなに期待をさせたか?」

「そりゃ、わざわざ駅で声をかけてくれるほどですから……カインさん、変わってますよね」

「そっちも大概だと思うぞ」


 知らぬ男に親身になられて、すっかり口周りがよくなっているハルはチョロい。俺の声かけを変わっているというのならば、ハルの打ち解ける早さも変わっている。

 そこから、俺とハルは雑談を繰り広げた。スパイ業と関係のない会話は久しぶりだ。素性を偽ることもなく、こうして話せることは楽しい。アグニスで会話するよりも、ずっと力を抜いていられる。

 変わったものとの変わった出会いではあったが、こういうのも旅の醍醐味であるのだろう。いつだか、旅をしている人間にそんな話を聞いたことがあった。

 人との出会いは偶然であり、縁であると。

 それをひしひしと感じながら、何の実りもない時間を過ごす。そのうちに、夕焼けも濃くなってきた。


「そろそろ、解散するか」

「そうですね。カインさん、連絡先を聞いてもいいですか?」

「……手紙になるがいいか?」

「そうか。異世界には電波ないんですよね」

「スマホというやつも持っていない」

「大変じゃありませんか?」

「使ったことがないから、特別不便も感じていないな」


 連絡手段としてお手軽だと話は聞いている。便利なのだろうと予測もつく。だが、実際問題所持したところで使い道はなかった。

 アグニスには、そのような技術はない。ただ持ち込めばいいだけではなく、基地局だの何だのとが必要であると聞いている。そのような技術は、持ち込んだところで運用できまい。


「では、これから先の連絡はどうしますか?」


 ことりと首を傾げられた案件は重要だ。そう思うくせに、考えていなかったことに驚いた。やはり、俺はこの世界では随分と気を抜いている。

 そんな自分を気に入ってはいるが、今に至ってはよくない。ハルを助けると決めたのだから、手立てを考えなければならないだろう。

 顎に手を当てて考える。俺とハルが技術に頼らずに、簡潔に連絡を取る方法だ。

 チキュウの技術は科学を利用している。ゆえに、世界の境界線を越えてしまうと、使用不能だ。

 しかし、魔道具はどうだろうか。あれは魔力を含んだ魔方陣を利用して、誰もが魔法現象を使用することが目的に作られている。であれば、世界の境界線を越えることも可能なのではあるまいか。

 俺はひとつの魔道具を取り出す。


「なんですか、それ?」


 ただの紙片ではあるが、このタイミングで出すことで、なにがしかの能力を持っていると察したらしい。そうした能力は高いようだ。他の部分と比べて、勘の部分が鋭い。どうにもちぐはぐだ。ハルの実力を見抜くのは難しい。


「これは魔道具だ」

「こちらでも使えるのですか?」

「試してみよう。こっちを」


 ひとつの紙片を渡すと、ハルはそれを光に翳すように持った。興味津々なのはいいが、持つ前に警戒心を抱いて欲しいところだった。

 魔道具には、魔力を奪い取るものや、呪いがかけられたものもある。不用意に触れるものではなかった。しかし、チキュウで魔道具が流通しているわけではない。持ち込むようなものもいないはずだから、注意するという意識すらないのだろう。

 ハルがじっと紙片を見ているのを確認し、俺は対になる紙片に魔力で作られたインクで文字を書いた。


「あ」


 この紙片は繋がっている。ひとつのほうに専用のインクで文字を書くと、もう一方にも文字が浮かび上がるのだ。


「すごいですね、これ。カインさんが作られたんですか?」

「購入したものだ。こういうものを利用して仕事をする」


 魔法が存在するアグニスでは、魔道具を使うことも多い。魔法干渉を受けないためのピアスやネックレス、ブレスレットを使うのは常識だった。こうした魔道具も頻繁に購入して揃えている。


「これを使うんですか?」

「ああ。こちらのインクも渡しておく。これで書けば、こちらにも文字が浮かび上がってくる。そうして連絡を取ることができる。こちらから連絡を入れると僅かに光を帯びるので気がつけるだろう。そうしたら、インクで文字を書いてくれ」

「……いいんですか?」

「何がだ?」

「購入したものなんですよね?」

「それが?」

「私からお支払いできるものがありません」


 ぱちくりと瞬くと、ハルが眉をハの字にした。


「いえ! 多少は払えますけど、インクって消耗品ですよね? それほど多くは……」

「気にせずとも構わない」


 魔道具の消費は、スパイ活動の一環として日常的なものだ。今更それを惜しむほどではないし、これは無駄遣いではない。消費することへ思うことはひとつもなかった。

 しかし、ハルには驚きの対応であったようだ。呆然としている。


「会うときの事前連絡として使うのなら、回数はさほど多くはないだろう。俺がこっちに来られる日はあまりない。そのときに、連絡をする。そちらからは控えてくれ」

「それは構いませんけど……本当に、いいんですか?」

「何をそんなに遠慮をすることがある?」


 受け取れるものは受け取れる。アグニスでは、それは常識だ。

 もちろん、利を配ることも、褒賞を与えることも、きちんとある。等価交換が可能であれば、それが最も理想の形だ。しかし、それが叶わぬのであれば、受け取れるものは受け取る。それによる余波が甚大でないと確信を持てている場合に限るが。

 ……俺相手に確信を持つことはできないか。


「だって、アドバイスもしてくれるんですよね? そのうえで、魔道具まで使わせてもらえるなんて大バーゲンじゃありませんか?」


 ダイバーゲンとやらが何かは分からないが、大盤振る舞いということであろうと自己変換する。チキュウで過ごすに、文脈から単語を読み解く力は欠かせない。

 ハルは不安そうに首を傾げていた。


「落ち着かないか?」

「こんないい話があるわけないと思ってます」


 それなりの警戒心からきている疑問であるらしい。警戒心を抱くことは悪いことではないが、如何せん遅いと言わざるを得なかった。


「それじゃあ、交換条件にチキュウのことを教えてくれ」

「地球のこと?」

「ニホンのことでいい。何気ないことだ」

「流行とか、そういうことですか?」


 チキュウという大きな枠組みでは、困ったようだ。しかし、範囲を狭めると、打てば響く反応があった。

 興味のある分野を持ってきてくれた問いかけに、笑みが零れる。ここまでの雑談で、こちらのことを多少なりとも拾ってくれていたようだ。能力値の上方修正をしておいた。


「それがいい」

「それなら、問題ありません。任せてください」


 ぎゅっと拳を握って意気込む姿は愛らしい。それから、ハルは手のひらをこちらに差し出してきた。


「これから、よろしくお願いします」

「ああ」


 謎の行動をじっと眺めていると、ハルははっとして苦笑を浮かべる。


「握手です。挨拶のひとつになります」

「そうか。では、よろしく頼む」

「はい」


 その手を取ると、ハルは憂いない笑みを浮かべた。

 滑らかでしっとりとしたハルとの握手を交わし、俺たちの関係は始まったのだ。

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