第四章

すれ違うもの①

 失敗をした。完全なる手落ちだ。

 いや、任務を失敗したわけではない。そちらは問題なく引き上げられた。それどころか、俺の情報は大層有益だったらしい。特別報奨が出て、報酬は思っていた以上の手取りになった。大成功だ。

 帰るタイミングだって、予定の範囲内だった。問題は、情報が有益に過ぎたことだ。

 裏取りが行われるまでの時間は実質的には自由である。だが、さすがにチキュウに向かうわけにはいかなかった。約束をしていたチキュウ時間の金曜日に、俺は間に合わなかったのだ。

 二週続けた予定を伝えていたため、翌週でもまだ許されたはずだった。にもかかわらず、足止めも同じの査定は終わらなかったのだ。

 そして、ハルと連絡が取れなくなっている。

 そろそろ、魔道具がなくなりそうだとは聞いていた。ついぞそのときが来てしまったのだろう。途端に消えてしまった返信に、心の底がざわめいた。

 チキュウはこちらと比べれば相当に安全だ。突然死はあるが、アグニスに比べれば物騒な形であることは少ない。強盗や盗賊などという被害は、少なくとも俺が通っているニホンでは少ないと聞いていた。

 なので、そう心配はいらないはずだ。そう思いこそすれ、スパイのバイトのようなものに手を染めているハルは別口なのではないか、と不安が膨らむ。

 そんなものは、自己責任だ。俺がどんなに手を尽くしても起こるときは起きるもので、ハルの実力の問題だろう。頭では分かっていた。分かっていたが、冷静であったとは言えない。

 俺はきちんと査定を受けてから、寸と経たずにチキュウへと旅立った。

 連絡なく遭遇するのは難しい。そんなものは、自分たちの世界で嫌というほど思い知らされている。スパイと言いながらも、ただ何ヶ月も標的が現れるのを待つだけの仕事をしたこともあった。あれよりはまだマシにせよ、それとほとんど同じような状況だ。

 俺はハルのことをあまり知らない。湊人を堕とそうと奮闘していること。初心であること。待ち合わせの沿線にある学園に通っていること。そこが通学路になること。それだけだ。

 だが、駅が判明しているのは明るいことでもあった。ハルならば、躊躇ったりするのかもしれないが、生憎俺は待ち伏せするのに抵抗はない。

 俺はチキュウに飛んでから、毎日のようにいつもハルが帰宅頃だと話していた夕方に駅のホームで時間を潰した。とはいえ、時間が確実である自信はない。

 どうやら、学校の終了時間とは人によって変わるものらしい。時間割によって全体も変われば、部活動や補習、委員会など、さまざまな事情で違うのだと言う。ハルが部活をしていないのは分かっているが、だからと言って時間が分かるわけではない。

 俺は長い時間を、駅構内のベンチで過ごした。コンビニで飲み物を補充することもあったが、時間の許す限り待機を続けている。

 しかし、ハルに出会えることはない。

 同じ学校の生徒の姿は見るので、休日などではないはずだ。にもかかわらず、ハルの姿はない。湊人を見ることすらあったが、それでもハルの姿はなかった。

 二人が一緒に行動しているところをこちらが見たことはないので、それは自然だ。湊人はハルとの繋がりであるので、一瞬声をかけることも考えた。しかし、湊人は一人ではない。隣にいる黒髪の少年はいつか話していた、嶺というものだろうか。

 何にせよ、声はかけられない。身勝手な行動でハルの立場を危うくしたくはなかった。そもそも、標的に無造作に近付こうとするのは、スパイとして迂闊極まりない。いくらこっちでは気を抜いていると言っても、そこまで減退していなかった。

 俺は湊人を目で見送って、すぐにハル探しに戻る。しかし、ハルが見つかることはなかった。

 俺は二週間近くチキュウに滞在していたが、その期間の中で一度も巡り会っていない。

 こうなってくると、既にハルが任務を終えたのだと考えるのが、定石だろう。任務が完了すれば、身を隠すものだ。俺がそうしたように、ハルもまた姿を消したに違いない。

 その手腕が備わっているとは思わなかったが、実に見事な引き際だ。俺はひどく感心した。他のものとの縁はどのように切ったのかは知らないが、俺との関係値を消す方法は実に見事だ。

 魔道具が使えなくなれば、会うのは一気に難しくなる。縁を切るのは簡単だ。実際、こんなにも容易くツテはなくなっている。湊人という繋がりはあるが、俺と湊人は正式に繋がってはいない。何ともあっけないものだ。

 そうか、と心がすとんと落ちる。それは納得であったはずだが、気持ちは数段低い位置に落ちていた。

 ポケットに忍ばせ続けていたネックレスが、ずしんと重みを増す。苦笑いが零れ落ちて、息苦しくなった。

 我が事ながら、仰天する。まさか自分が、年下の少女一人が去ったことに、これほど動揺するとは思っていなかった。

 友人だと認識していたからだろうか。だから、これほどまでに深く根付いていたのだろうか。不思議な心地にさせられて、ちっとも落ち着かない。どうにも飼い慣らすことのできそうにない感情を持て余す。

 俺はどれほどハルのことを考えていたのか。それが一瞬で輪郭を持って、胸に迫ってくる。

 どうしようもないことに、こだわっていても仕方がない。その切り替えは、得意なはずだった。俺はそんな自分の性質に従うように、ハルは現れないのだと割り切る。そうして、駅に留まることはやめた。

 そもそも、チキュウには観光で来ているのだ。ハルだけのために来ていたわけじゃない。俺は元来の目的を思い出して、甘味を食べ歩くことにした。

 いつか二人で食べたパフェとスフレチーズケーキが特段美味しかったと思うのは、気のせいだろう。甘いものならば、俺は何でも好きだ。そこに貴賎はない。

 そうして、チキュウを歩き回った。どこにいたって、ハルの姿がチラつくことには、ようよう参る。

 そして、渡す先のなくなったネックレスは、いつまでも俺のポケットに残されたままになっていた。

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