遂行するもの③
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不思議な人だった。
初めて出会ったとき。湊人君を追いかけていることを見つかったのには、叱られるとか、脅されるとか、そういうものを想像してぞっとしたものだ。けれど、カインさんは、そんなことはしなかった。
それどころか、何の利益もなければ繋がりもない私に親切にしてくれる。何を考えているのかまったく分からなくて、度外れて戸惑った。
カインさんにしてみれば、私は最初からカインさんを信用しているチョロい女子高生であったのだろう。だが、これでも最初は警戒していた。まぁ、渡航証明書を見せてもらったときに警戒心は緩んでしまったけれど。
異世界からの渡航証明書は、希少価値のある特例免許だ。
異世界に行くのは、そう難しくないらしい。魔法の扉を抜けて行き来すると聞く。それほど造作もなく行き来できるが、実際に抜けてくるための許可は簡単に降りない。簡易な方法で行ける世界なくせに、ひどく遠いところだ。まったく身近ではないけれど、証明書の希少性くらいは理解していた。
だからこそ、私はカインさんへの壁が薄くなってしまったのだろう。そうして、薄くなってしまったら、後はなし崩しだった。
ビックリするほど、ナチュラルに距離が詰まっていく。カインさんは私が近付いたのだと言った。男の人に慣れることができたのだ、と。
だが、実際のところ、カインさんが慣れているのだ。人の懐に入るのが異常に上手く、気がつけば距離を許している。髪に口付けられたときには、心臓が痛くなるくらい跳ねた。
チャラついてはいない。それだと言うのに、そうしたキザな態度がとてもはまっていた。
不思議な人だ。
人当たりが良くて、魔道具を貸してくれる。いい人ではあるのだけれど、何を考えているのかは掴めない。何の得もないのに、恋のアドバイスをしてくれる。
具象的なことを教えてくれるわけじゃない。応用が利くような基本的なことだ。けれど、何も言われなければ意識しないし、踏み出すのを躊躇う。そんなことをそっと後押ししてくれるのだ。
無茶でないことを見極めながら、ひとつひとつレベルアップしていく。気がつけば、私は湊人君と仲良くなっていた。自分でも驚くほどスムーズな距離の詰め方だったと思う。
高校に入って一年間。ただ、見ていることだけしかできなかった。それだというのに、カインさんに会ってからたったの二ヶ月と少し。
それで、湊人君と二人きりで登下校することようにもなった。寄り道することもあるほどだ。湊人君のほうから声をかけてくれることもある。カインさんが言うように、上首尾だった。
告白するのも、時間の問題だ。後は私の勇気の問題だろう。
何度も使った魔道具を目に入れて、吐息を零した。カインさんから預かった紙片とインクは、そろそろ品切れだ。
紙片は、書いた分だけ使えなくなっていく。そして、返信分も文字で埋まる。ノートと同じようなものだ。インクも着々と減っていく。
カインさんは気にしなくていいと言ったけど、こちらから連絡を取って消費するつもりはなかった。それでも、カインさんからの言葉に返信していれば、終わりは見えてくる。そのことを伝えれば、次に会うときにまた渡すと、カインさんは当たり前のように書いて寄越した。
魔道具は、互いの言語への切り替えも行ってくれるらしい。会話は円滑に行えている。発声言語が同じであるから、本当は書き文字もさほど離れていないのかもしれない。
カインさんの文字は少し悪筆で、走り書きのような癖があった。もうすっかり見慣れたそれを読み返す。
カインさんの言葉は端的だ。長々と説明をしたりしない。その簡明さが分かりやすくてほっとする。余計なことを考えなくて済むのだ。そのことだけに集中すればいいと、カインさんの平易な言葉に導かれている。
頼りきってしまっていて、このままではダメだと思い始めているくらいだ。依存しているとは思わない。そこまで溺れているつもりはなかった。
だって、私にとっての優先順位ははっきりしている。湊人君が一番だ。カインさんに頼ってしまうのは、その湊人君との仲を取り持ってくれた人だからだろう。
それでも、よくないよね、と吐息が零れた。
カインさんは、問題なくこちらに遊びに来る。だが、地球と異世界を行き来するには、思っている以上の金額がかかるらしい。
私がそれを知ったのは、つい最近だ。カインさんと交流を持つようになってから、私は異世界について詳しくなった。それは、カインさんから聞く生活に寄り添ったことから、自分で調べた異世界と地球との違いについてまで。
とてもじゃないが、網羅ができているとは思わない。それは不可能に近かった。まだ正しい情報が入ってきていないこともあるし、世界の知識なんて膨大な量がある。
なので、半端な知識ではあるのだろう。けれど、世界の行き来にかかる料金がそれなり、というのは間違いない。
移動費は、本来ならほとんどかからないと言われている。しかし、だからと言って、世界を股に掛ける移動を簡単にしてもらっては困るのだ。安全面の考慮や、規制を鑑みて、料金は高めに設定されている。
カインさんは何のてらいもなくこちらにやって来ているけど、それはいつまでも保証されるものではない。
本人は休暇のついでに私に会いに来ているだけなのだろう。私だって、私のために世界を越えていると思うほど、図々しくはない。けれど、時間を削って私に会ってくれているのは事実だ。それも、本人には何の喜びもないであろう。人の恋路を聞くというようなことに時間を使わせてしまっていた。
お店の料金は、いつも割り勘にしてもらっている。けれど、それだって、カインさんがゼロから自分の好みだけで出費しているとは言いきれない。負担をかけてしまっているのではないか。その感覚が膨らんでいた。
少しもお礼をできていない。
カインさんは、観光させてくれればいいと言った。けれど、私が実際に案内できたのは、カフェやカラオケくらいのものだ。観光と呼ぶにはあまりにもお粗末で、ひとつだってまともなお礼をすることはできていなかった。
頼りっぱなしの恩がかさんでいく。このままではいけない。近頃はそんなことばかり考えている。カインさんが仕事でこちらに来られない分、考える時間がたっぷりとあった。
ぐるぐると脳内が回る。今まで、そんなふうに埒もないほどの時間を使って考えるのは、湊人君のことばかりだったのに。妙な気持ちになる。
でも、お礼を考えるのは当たり前のことだ。早く答えを出して、お礼をしなくてはならない。
ぐっと拳を握って、候補を巡らせる。カインさんが喜ぶのはどこだろう。
正直なところ、私の知っているカインさんの情報は少ない。甘いものが好きなこと。チキュウでの日常を新鮮に受け止めてくれること。興味津々であるけれど、同時にそれほどチキュウに詳しいわけでないこと。
多分、私と同じで、情報を完璧に収集できているわけではないのだろう。仕事をしている身だ。私よりも、ずっと時間はないはずだ。網羅するなんて、とても無理だろう。
だから、些細なことでも喜んでくれる。きっと、そうだろうと思うのだ。思うのだけれど、だからと言って、最初から手を抜いたお礼にしようなどという省エネは考えていない。
やっぱり、ちゃんと考えなくちゃ。
そのためには、情報収集だ。威勢よくスマホを取ると、タイミングを計ったみたいに着信音が鳴る。慌てふためきながら確認した画面には、湊人君の名前が輝いていた。動乱を隠しきれないまま、わたわたと画面をタップする。
『ハルちゃん? 今、時間大丈夫?』
「あ、うん。どうしたの? 湊人君」
出るまでは慌てていたけれど、どうにか平静を装うことはできた。こうして電話するのも、複数回。多少は慣れてきた。
カインさんと魔道具を使って連絡するほうが、ずっと慣れてきたような気がするけれど。
『もう夏休みの予定は決まった?』
「ううん。まだ決まってないけど……」
『また、みんなで遊びに行かない?』
「みんなで? プールとかってこと?」
『海でもいいよ? 楽しいことしようよ』
「うん」
『あとさ、ハルちゃん』
「え?」
湊人君のトーンが少しだけ変わる。耳元で響く音が低い。湊人君にそんな意識はないのだと分かっている。分かっていても、ドキドキするのを止めることはできなかった。
『よかったら、二人で話す時間は取れないかな?』
「あ、え、っと、あの……電話じゃなくて?」
どんなに繕おうとしても、言葉が喉に引っかかる。喉が渇いて、からからと音が鳴りそうな気さえした。
『直接会って話したい』
「っ、うん」
『来週辺りどうかな?』
来週か再来週の金曜日。それくらいに、カインさんはやってくると言っていた。それが一瞬よぎったけれど、やはり優先順位が変わるわけではない。
それに、カインさんも湊人君を優先するように言うだろう。何故だか分からないけれど、カインさんは時に私よりも湊人君との恋路に真剣になってくれるところがあった。
だから、私は迷わない。
「うん。平気だよ」
『じゃあ、詳細はメッセージ送るから』
「うん、じゃあね」
『おやすみ』
「……おやすみなさい」
耳朶に心地良い音で零される挨拶に、衝撃が収まらない。捻り出すように挨拶を返して、何とか通話を切った。
唖然としてしまう。
おやすみなさい。
そんな言葉を聞ける日が来るなんて、想像してなかった。やっぱり、カインさんのおかげだ。ありがとうございます、と感謝の念でいっぱいになりながら、湊人君の声を繰り返し噛み締めて横になった。
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