第9話 戦線放棄

 天候の回復しつつあるネマン川の東岸上空を重々しい音ともに低空で侵入する機影があった。

 帝国軍将兵らは手出ししようにも手が出せぬそれを忌々しげに見つめていた。

 音の主は四機のペガサス空冷エンジンを装備するサンダーランド Mk.V飛行艇であった。


 「なぜ撃ち落とさないのだ!?」


 明らかなる領空侵犯に兵卒の一人がそう口走れば、上官が兵卒の銃を奪った。


 「あれは連合王国軍機だ、絶対に撃ってはならん!!」


 機体の側面にはイングレス連合王国軍機であることを示す蛇の目を思わせるようなラウンデルが入っていた。


 「お前も見てみろ」


 上官は兵卒に自身の双眼鏡を渡して確認させた。


 「チッ……」


 面白くなさそうにその兵卒は機体が視界から消えるまで睨み続けた。

 遅れて前線に届く参謀本部からの通達がそれを裏付けた。


 『現在、ネマン川周辺の我が領空を通過する大型偵察機は、プシェミスルに向かう連合王国機である。連合王国とは戦争状態にあらず、故にこれに対し攻撃をくわえることは固く禁ず』


 

 クルーゲは苦笑いを浮かべた。


 「これでこちらの動向は筒抜けというわけか」

 「流石に同盟国ともなれば、動きは早いか……」


 キュヒラーはため息とともに空を見つめ、マッケンゼンは


 「撃墜できない敵機ほど厄介なものはありませんな」


 と忌々しげに毒づくのだった。


 ◆❖◇◇❖◆



 『クッソ、何機目だ!?』

 『俺はもう数えてないぞ』


 天候の回復とともに訪れたのは、敵戦闘機の大群だった。

 同盟国であるイングレス連合王国から敵情に関する航空写真を入手した参謀本部は、航空劣勢による損失の増加を恐れネマン川の防衛線の放棄を決定した。

 一方で帝国軍航空機の航続飛行距離が短いことを逆手にとり、一歩引いての航空戦により優位をとることを企図していた。

 ネマン川防衛線放棄に際し殿軍を任されたアルジス達は、ひっきりなしに敵機の機銃掃射を浴びせられ、完全に受け身に回っていた。


 『クニッツ大尉、現時点での損害は?』


 アルジスは空を見回しながら次席指揮官兼副官のクニッツに尋ねると、


 『二割は落伍したわ』


 と、明瞭な答えが帰ってきた。


 『敵の夜間強襲を叩けていなかったらと思うと嫌な汗が出てきそうだ』


 過日の夜間強襲の失敗により甚大なる損害を被った帝国軍は、陸空の連携による電撃戦に魔導騎兵を投入していないらしく、追いかけてくるのは専ら敵戦闘機だった。


 『貴隊が殿軍で間違いないか?』


 回避機動に余念が無い第701特務魔導騎兵大隊の回線に割って入った声はアルジスにとって聞き覚えのある声だった。


 『クラウスナー少佐殿の声ということは第三飛行大隊とお見受けしますが?』

 『鬼才の魔導師殿に覚えてもらえているとは光栄、我々が一時的にタウラゲ上空の制空権を確保するのでその間にカルニスの補給ポイントまで退却して貰いたい』

 『了解した。健闘を祈る』

 『そちらもな』


 タウラゲからクリージュカルニスは距離で言えば40kmほどであり、クリージュカルニスには物資の集積地があった。


 『大隊各位、友軍航空部隊が一時的だが制空権を奪取してくれるらしい。その間にクリージュカルニスまで退却するが、そこからまた業務再開だ』


 まだ殿軍の役割は終わってはいなかった。

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