第8話 雌伏する大軍

 「もはや殲滅戦理論は破綻したな」


 夜間強襲が失敗に終わり、早くも北方軍集団には厭戦気分が蔓延し始めていた。


 「平和な時代は防衛側に有利な軍事技術の開発を促したとは言うが……殲滅戦理論の終わるときを身をもって知ることが出来ました」


 キュヒラーは魔導騎兵部隊における損害の報告書を見つめながらため息をついた。

 平時ならゼッケンドルフの皮肉に目くじらを立てるのだが、報告書の数字が彼の怒る気力すらも奪っていた。


 「小一時間にも満たない戦闘で2個魔導騎兵大隊分の戦力を喪失するとは……」


 前線の敵を機動力で突破し、後方の砲兵陣地に打撃を加えることを企図して行った夜間強襲は、奇跡的なタイミングで来援した敵軍魔導騎兵部隊の迅速な的確な援護により頓挫した。

 

 「完全編成の3個魔導大隊を投入して得た戦果は敵魔導騎兵大隊の壊滅、実利と損害がまるで見合わないでは無いか!!」


 作戦指導の成否はすなわち自身の軍人としての進退に直結するためキュヒラーは憤ると同時に焦燥感も感じていた。


 「四方に敵を抱える我ら帝国は、機動力を用いて敵軍の状況を不安定にし、殲滅することで後顧の憂いを断つ。しかして我々はそれを成し得なかった。クラウゼヴィッツの『戦争論』で育った我々は時代遅れなのかもしれませんな」


 騎兵を踏襲する兵科である機甲科将校のゼッケンドルフはしみじみとそう言った。


 「かといってブリットどもの提唱した電撃戦理論を頼るのは癪では無いか」

 「あれは元はと言えば、クラウゼヴィッツの殲滅戦理論の進化先の一つ。となれら原産国は帝国と言えるでは?」


 ゼッケンドルフとて、他国の理論で戦わざるを得ないことには思うところがあるのか、電撃戦理論が連合王国のものではなく帝国のものなのだと強調して言った。

 二人がそんな言葉を交わしていると、前線司令部に一人の将校が入ってきた。


 「久しいな、クルーゲ」

 「『利口なハンス』がお越しとは……」


 彼の名前はギュンター・フォン・クルーゲであり、数学が得意だったことから算数を解く能力があるとされた『賢馬ハンス:Kluger Hans』にかけられそう呼ばれていた。

 階級は砲兵大将であり、北方軍集団を構成するもうひとつの軍団である第4軍の司令官でもあった。


 「参謀部からの郵便物を預かって来ている」


 二人のいる机にクルーゲは書類を広げた。


 「気象部が提出した報告書だ。週明けから天気が好転する」


 参謀部経由でその報告書がやってきたという意味をキュヒラーとゼッケンドルフの二人は察していた。


 「空軍ルフトバッフェが重い腰を上げるのか」

 「ここに来て戦争理論の転換と?」


 ゼッケンドルフにとってこれほどまでに面白くない話はなかった。

 殲滅戦理論に基づき参謀部の策定した作戦案にしたがって作戦に従事した彼は、自身の装甲師団兵力の二割を損失していた。

 ゆえにゼッケンドルフは、「端から空軍が使用可能な天候になるまで開戦を待てばいいものを」と参謀部に直接クレームをいれに行きたかった。


 「ゼッケンドルフ君からすれば心底面白くないだろうが、ここは堪えてやってくれ。何しろ電撃戦理論に基づく作戦はどこの国も未だに実行したことがないのだ。ともなれば実用経験のある殲滅戦論を頼るのは必定だろう?」


 数いる帝国軍将校の中で、異例の速さで出世したクルーゲに言われてしまえばいかにシニカルなゼッケンドルフと言えどそれまでだった。


 「ゆえに提案だ、天候が回復するまでの間だけだが、敵重砲の射程圏外まで部隊を後退させよう」

 「それでは敵に大規模攻勢に打って出ると知らせるようなものなのでは?」


 ゼッケンドルフの問いにクルーゲは口角を吊り上げた。


 「それが狙い所だ。こちらが大規模攻勢に出ると分かれば必然的にリーフラント軍は防衛線に兵力を集結させ備えるだろう?そこに航空戦力を叩きつけてやるのだ」


 クルーゲは別に狙い通りに運ばなくてもよいと考えていた。

 敵が後退するなら、その分こちらも部隊を前進させるだけのことで、制空権を手にしてしまえばもはやどう転んでも結果は一緒だった。


 「敢えて敵を集結させてから叩く、なるほど妙案だな」


 さすがは『賢馬ハンス』だとキュヒラーは感心した。


 「ちなみに後退した後は、機関銃陣地を構築しておいてくれ。我々がしようとしたことを敵がしてこないとは限らないからな」


 クルーゲは僅かな隙も見せまいと抜け目のない部隊配置を要求したのだった。

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