EP.3



 この仮想現実を「仮想だ」と人間の脳は識別できない。


 【計画ザ・プロジェクツ


 このVRゲームはそう呼ばれていた。

 分かっているのは、それだけ。

 開発者も何もかも不明。





「旅人かい?」


 杖を片手に岩に腰かける老人。

 彼も仮想に過ぎない。

 単なる電気的な情報。

 しかし、俺はこのNPCと、本物の人間を区別することができない。

 恐らく、誰にも。


「まあ、一応」

「ってことはアンタ、強いんだろうね」


 まあ、一応。

 肯定だが全面的ではない。

 そんな曖昧な回答にも自然に対応する。

 なんて精度の人工知能か。


 さらに驚くべきは、この老人は何ら特別なキャラクタではないということ。

 脇役も脇役。

 ゲーム開始以来、このモブに接触したプレイヤは俺が初めてかもしれない。

 辺境の村人A。


 そんなモブですらこの水準レベルの人工知能を持つ。

 それが【計画ザ・プロジェクツ】というゲームだった。


「雨が降ってないのか?」

「雨はもともと降らんよ。井戸が有るんだが、枯れてな」


 老人が杖で指す。

 その先には集落が有った。


 大陸の南端に広がるヴドド砂漠。

 それを取り囲むように広がる、ここヴドド山脈。

 その中腹にこの集落は在った。

 日干しレンガが積まれただけの小屋が並んだ、茶色一色の殺風景な集落。


 これは当たりか。

 心の中で呟く。


「原因は?」

「あんた、そんなこと聞いてどうするんだい?」

「力になれるかもしれない」


 老人はパイプの吸い口を噛む。

 しばらくしてから口を開く。


「……本当かい?」


 俺の事を警戒している。

 当然だろう。

 見ず知らずの人間が村の危機に手を貸そうと言うのだ。

 無償の善意ほど後が怖い。


「俺は旅人なんだけど、いわゆる修行の旅ってやつでさ」


 全くの嘘。

 言い方を変えればロールプレイ。


 NPCの俺に対する感情パラメータは彼の行動に影響を与える。

 つまり、不信感を抱かれると村人の協力を得られない。

 その辺りは現実と変わらない。

 リアルさ故の煩わしさ。


「修行の旅? それでわざわざこんなところまで来たのか。……着いてきなよ」


 ロールプレイは成功したらしい。

 集落に招かれる。


「ここだよ」


 案内されたのは集落の広場だった。 

 中央にはぽっかりと大穴が空いている。

 その壁面に貼り付くように頼りない階段が設置されている。


「ここが村の井戸だよ」


 そう言いながら老人は地面の石を拾い上げる。

 穴に向かって放った。

 数秒後、からん、ころん、と乾いた音が返ってくる。


「降りても?」

「構わんよ」


 井戸の傍には角灯が備えられていた。

 老人は火に点けると片手に持つ。

 軋む階段を下りること1分。

 井戸の底に辿り着く。


「なるほど。これは……」


 声が反響する。

 想像よりも遥かに広い空間。

 暗闇に満ちる湿った匂い。

 井戸と言うよりかは地下河川だ。

 その上部に穴を開けて水を汲んでいたのだ。

 ただ、今は様子が違う。


「しばらく前から水が減ってな。今ではこの通りだよ」


 老人が松明を掲げる。

 川はすっかり枯れていた。

 ぽつん、ぽつん、と水たまりが残るばかり。

 先に目を向ければ、洞窟はどこまでも続く。


「上流は?」

「あっちだが……」

「どこまで続いてるんだ?」

「ワシらも分からん。少なくとも10kmは有るらしい」


 「km」という聞き慣れた単位はご愛敬。

 ここはやはり仮想現実なのだ。

 このリアルな異世界では普通にSI単位系が使われていた。

 可笑しさがある。


「ちょっと見て来るよ」

「ま、待て! 先日も、若い衆が三人、様子を見に行ったきり戻らん」

「それは余計に興味が湧くな」


 これは当たりだ。


「し、死んでも知らんぞ?」

「死にそうになったら流石に逃げる」

「そ、それなら……」


 俺だって死ぬ気はない。


 【計画】にセーブポイントなんて気の利いたモノはない。

 死ねば今まで育てたこの分身アバタは失われる。

 さいしょからやり直し。

 つまり、稼ぐ手段を失うということ。

 それは、妹が、飯を食えないと言うことだ。


「絶対に死なねえよ」


 思わず、呟いていた。


 砂除けの外套がいとうを脱ぐ。


「悪い。これ、持っててくれよ」

「あんた、そんな軽装で大丈夫なのか?」


 これと言った特別な防具は身に着けてない。


 丈夫な底のブーツ。

 生地の厚さの割には伸縮性のあるカンテレ革の上下。

 滑り止めの付いた手袋。

 腰に巻いたベルトに、すぐ取り出せるように道具類の詰まった小物入れを吊るす。


 確かに、逸品で身を固めた他のプレイヤに比べて貧相だ。

 俺はむしろ建築現場にでも居そうな出で立ち。


「金が無いからなぁ」


 思わず呟く。


「あんた、本当に大丈夫か?」

「仕方ねえだろ。金がねえんだ。稼がねえと」

「え? 修行は?」

「あ、そう! 修行だよ! 修行! 修行に決まってんだろ!?」


 ロールプレイは苦手だ。

 ボロが出そうになる。

 ごまかすように会話を打ち切り、闇の中に歩を進める。


「死ぬなよー!」


 そんな声が背後から聞こえた。





—―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

総資産:96,227(日本円)



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