『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている: 再生・日本製紙石巻工場』書評 日本人の相互扶助の基盤はカイシャしかないがカイシャは雇用の流動化と出会ってしまった世界が表情を変えた世の果てでは

 東日本大震災によって被災した日本製紙がどのように事業を再開したか、再開する過程の苦難とそれを乗り越えようとする従業員の努力についてフォーカスしたノンフィクション作品。巨大な災害で中断した日常を再開しようとする人々の奮闘記。些かこのノンフィクションライターの、出版を根底で支えながら見えざるものとなっている製糸業に対する言辞がエッセンシャルワーカーを褒めそやすエッセンシャルではないワーカーたち、知識人を思わせて辟易するところがないでもないが、静かな感動が確かにある。私たちは誰でも、いつでも、「日常」を回復するために、奮闘しているではないか。被災していなくとも、人間の普遍的な体験と重なっている。犬が何度も吐くので病院へ連れて行った日のことを想起せよ。あるいは退勤間際に発生した新しいタスク。東日本大震災という日本人の集合的記憶を否応なく喚起させる内容なのだから、なおのことである。

 とはいえ、ここで書かれている内容は、なんら日本の、特に東日本大震災以後の日本にとって明るい話、何らかの希望の可能性となるような話ではない。むしろ、この国の置かれている絶望的状況を示している。

 あなたが思い出さなくてはならないのは、この本の第七章「居酒屋店主の証言」である。この章では日本製紙の従業員や経営者、あるいはその家族ではなく、章の題名の通り、石巻市の「居酒屋店主」の証言がメインの内容になっている。

 彼の証言を中心としてここで記述されるのは、震災後のアナーキーな状況である。謎の集団が店のショーウインドウを割って物を盗んだりしていたといった話が書かれる。また、慈善団体が次々と乗り込んできて金をせしめていくといった話もある。

 この震災後のアナーキーな状況についての章は、その他の章、すなわち「本の紙を造っている日本製紙石巻工場」の人々の震災後対応とは明らかに相異なるもの、対照的なものとして描かれている。つまり、この章は、あたかも、日本人の被災者が配給所に静かに並ぶことができる民度の高い国民であることを示すために比較される「ハイチやその他の発展途上国の民度の低い人々」についての海外からのニュースのような効果を備えている。

 私はここで、そもそも経済的に困窮している人々が被災して国連か何かの食料配給があった時に示す反応と没落しているとはいえ先進国の国民が被災した時に食料配給に示す態度を比較するか、あるいは比較できないと結論したりはしない。国際開発学をあらためて学ぶ余裕は、今の私にはない。しかし、このテクストの中で対照とされている、「日本製紙石巻工場の人々」と「居酒屋店主の証言に出てくる人々」の差異については、これは書評なのだから、語るべきであろう。そしてそれは日本製紙という企業が背後にあるかどうかの違いなのである。

 私はこの本の意図に、あえて逆らい、脱構築批評が云々とか、無意識のなんたらということを書くつもりはない。私はただ読むだけであり、そうして生じた疑問に、テクストの中の別の箇所を用いて解を出すだけである。

 そう、それは日本製紙という企業が背後にあるのかどうかという違いである。この巨大な企業の従業員一同が震災後の混乱にあってもいかに日本製紙という企業の従業員として団結し、組織的に行動し、助け合ったかは、この本の全体で書かれているではないか。そして、何よりも象徴的なのは、冒頭の、工場の避難誘導の責任者が津波を予想して「業務命令で」高台から降りないように指示する場面である。これらの日本製紙の従業員の統率の取れた行動は円滑な配給を可能にし、何と、地元住民からの日本製紙だけは配給が早く来ているというデマ、嫉妬を喚起するほどである。

 つまり、この本は全体として会社の外では発展途上国の被災時のような混乱が拡がっているが、会社の中では「嫉妬」を生じさせるほどの相互扶助と集団行動が存在することを記述しており、その規律の取れた在り方が我々に「感動」を生じさせる。この「感動」は企業組織の外が不毛であることによって、我々の絶望的なほどアノミーな状況によって成立している。

 さて、今日では、雇用の流動性を高めることが日本経済の唯一の処方箋として喧伝されており、国民は誰でも株式投資をして老後に備える資本家たることを求められているが、企業組織が融解した後では、我々に何があるのだろう? 我々が西洋の植民地となることを免れたのは、実に、明治維新によってあらゆる相互扶助の基礎を粉砕し、迅速に近代化したことにあった。人間万事塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し。

「見渡す限りの荒野に一人立っているんだ、そりゃ身震いもするだろう」

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