『サイバーパンク: エッジランナーズ』アニメ評 加速主義バブルへの冷や水としてのエッジの向こう側

 加速した世界には加速した文体が必要だ。文体を加速。あなたはブラウザを閉じる。

 まず最初の印象。あまりにもコテコテのディストピア。ナオミ・クラインの邦訳本に線を引きながら読んでいる人々が想像するような。例えば、主人公デイヴィッドは母と事故に巻き込まれるが、救急医療も警察も完全に民営化されており、救急車はデイヴィッドの瀕死の母を助けない。彼女は金がないからだ。そして、母は死に、埋葬にも多額の金が必要であるため、彼は骨壷を持って帰宅する。しかし唯一の稼ぎ手を失った家庭を、家主は家賃の滞納で追い出す。デイヴィッドは傭兵「サイバーパンク」となる。もう一度。コテコテのディストピア。

 褒めてんだぜ? 立川談志。コテコテのディストピア。オールドなSFの意匠が、しかしこのアニメ制作会社に特有の極彩色の世界にぴったりだ。汚いものを綺麗に描くのがジェームズ・グレアム・バラードなら、汚いものを汚く描けるのが――セルアニメーション風に――トリガーである。褒めてんだぜ?

 褒めてると私は言った。これでいいのだ。天才バカボン。はじめちゃん。何故。彼らは絶望的な世界を描こうとしたからだ。何処の誰、何処の偉い人がトリガーに制作させると決めたのかはわからないが、その人のセンスは本物だ。これはジェームズ・グレアム・バラード的なるものへの挑戦だ。これは滅びの美学などというものを語りがちな、長いサイエンス・フィクションを読む時間のあるような、クソッタレのインテリ向けの精神安定剤としてのディストピアSFを更新する。実は私もそちらを好んでいる。しかしこの国が滅びのプロセスを記述することを忌避してきたからには。逆張り。

 どのように挑戦しているのか? 加速主義は時代遅れだと言うことによって。私は大丈夫か? また亜インテリの読者を失う。加速主義とか好きな奴ら。あなたはブラウザを閉じる。

 ルーシーが月に行って、死亡したはずのデイヴィッドを見るシーンを想起すること。それから、これがディストピアSFであることを。あれはデイヴィッドの亡霊ではないし、デイヴィッドが実は生きていたのではないし、そしてルーシーの幻想でも、ない。私は、これは滅びの美学への挑戦だと書いた。

 実は、ルーシーともう一人、最後の、デイヴィッドが死亡した戦闘から生還した人物がいる。そう、運転手のファルコである。ファルコが生き残ったことで、ルーシーは戦場から脱出し、そして月へ行けたのである。

 他の者は全員死んだ。ここで生と死を分けたものが、このアニメの可能性の中心である。これは簡単だ。ルーシーは月に行きたがっており、そしてファルコは運転手だったからである。あなたはブラウザを閉じようとしている。死んだ者たちのことを想起せよ。彼らは徹底したエッジランナーであった。デイヴィッドはルーシーを守るためにエッジの向こう側に行き、あるいはレベッカはデイヴィッドへの想いから、デイヴィッドとルーシーを守るために無謀な戦闘行動を取って死ぬ。さらに、そもそもメインは、仲間を守るためにエッジの向こう側、あなた好みに言えば、ラカンのシェーマRSI図式における現実界に触れ、「サイバーサイコ」になる。

 この差異からのメッセージは以下の通り。すなわち、生き延びたければ月を目指せ、あるいは加速主義ではもう遅すぎる。

 加速主義と私は自明のことのように書いてきたが、加速しつつ、説明しよう。加速主義とは、カール・マルクスの『インド論』の劣化コピーである。言い換えれば、社会の矛盾を、むしろ極大化させ、ひいては社会を破壊し、新しい社会の基礎を作り出すことを善とするような、一つの立場である。茹でガエル現象よりも、速やかな死が望ましいとするような立場である。その極大化と、新しい基礎を提供するものとして想像されるのがテクノロジーであるがために、米国のテック企業人にも、このような思想の者が少なくないとされている。例えばピーター・ティール。

 しかし実際のところ、ピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』を読んで何人が起業したのだろうか。あるいは、どれほどのスタートアップが死んでいったか? そのような膨大な死を肯定できる者にだけ、(エドワード・サイードは肯定しないだろう。彼は「遅れた」インドが崩壊していくことを喜々として書いたカール・マルクスをオリエンタリストと呼んだ)加速主義は福音なのであり、そして恐らくは、合衆国最高裁判所の法務事務官になれなかったことが初めての挫折であったような男、または、友人と家族から100万ドルを借りられる男にだけ福音なのだ。

 一般大衆までが投資の話をし始めるとバブルが近いと言われるように、既に加速主義の船は満杯であり、世界は巨大なテック企業に分割され尽くした。あなたにある選択肢は、次の市場崩壊までに巨大保険企業を有するバフェットのように現金を用意して、倒産しかけた投資会社や銀行屋が助けを求めて電話してくるのを待つか、そう、エッジランナーとなってさらに加速した者たちに敗北するか、サイコになるか、そう、そう、そう。

 そう、月に行くか。

 そこだけが、地球から逃れた先の想像力の境界エッジにある、デイヴィッドが加速せずに生きられる場所である。

 アニメっていいですね。

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