50.超光速航行―3『遷移準備―3』

「……本当はね、フネが遷移にはいる前に深雪ちゃんには一度でいいから深層心理ネガティブ耐性試験キャンペーンを受けさせたかったの」

 中尉殿が言った。

「ネガティブ・キャンペーン……ですか?」

 あぁ、もぉヤだ! またまた聞いたこともない用語がでてきたよ!

 て言うか、ナニそれ!? イヤな事される気しかしないんですけど!?

 さすがに中尉殿が理不尽な事はしないと信じてるけど、でも……。

「そう。民間の航宙船と違って宇宙軍の戦闘航宙艦は、それに乗り組む人間は正気を保ってなくてはいけない。万が一、億が一に備えて遷移を凍結状態クライオニクスでやりすごす事は許されない――その理由は深雪ちゃんもわかるわよね?」

「は、はい」

 アタシはうなずいた。

 ただ、イマイチ自信なさげだったか、うなずき方があいまいだったかで、「本当に?」と瞳のなかを覗きこむようにして問いを繰り返されてしまった。

「ほ、ホントです。大丈夫です」

 ま、まぁ確かに『クライオニクス』って用語ところだけ、チョッと不案内……、記憶が正しければ、それは人間をカチンコチンに凍らせ、冬眠状態にするって技術だった筈だけど、その他はわかる。

 端的に言うなら、軍人たるもの、『常在戦場』の心構えでいなさいって事。

 あらかじめ定められてある運航予定スケジュールや航路のうえを動く民間船と違って、軍隊は突発的におこる変事に対応したり、敢えて危険な場所におもむいたりもしなけりゃならない。

 電脳をはじめとする機械類のアシストやサポートはあっても、最終的に決断し対応行動をとるのは人間だ。

 だから、主役たる人間は、常に正常な……、そう! 言うなら臨戦態勢にあって、呆けてなんかいられないって訓示おしえなんだと思う。

……と、待って? だったら、今、中尉殿が言った『ネガティブ・キャンペーン』というのは、航宙船乗員にそうした態勢をととのえるための訓練か何かなのかしらん。

 それって、つまり……?

「スペースワープ航法と比較して、裏宇宙航法が最大のメリットとするのは小回りがきくこと、経済的な負担が少ないこと。逆にデメリットは、その分、航宙船乗員に対する負担が大きいこと」

 中尉殿が言った。

「いま説明した通りで、裏宇宙航法とは〈常軌機関〉が内包している狂気、また妄想でを書き換えようとし、正常性を維持しようとする『世界』側からの反発作用によって違う宇宙へ排除――そのことにより光の速さを超える技術。

「つまり、〈常軌機関〉の至近にいる航宙船乗員は、もっとも強くその狂気にさらされ、心身に対する侵食をうけることになる。ネガティブ・キャンペーンとは、避けようのないこの浸食作用にどれくらいの耐性があるかのチェックであると同時に、受診回数を重ねることで耐性の強化をはかるキャンペーンでもあるの」

 やっぱり、そうか。

「ふつうは宇宙軍に入隊し、練兵団でしごかれて、適性別に仕分けをされる。で、航宙船乗り組みを命じられた人間は、その後、ネガティブ・キャンペーンを受けるのさ。ただ、深雪は事情がちょっと特殊だからよ……」

 語尾をにごして御宅曹長。

 そうですよね。

 人外漢と先輩科員の恋愛……? 駆け落ち……?

 なんか想像しただけでも、オエッとなりそうだけども、とにかく、それで乗員が定数割れしちゃったとかが理由で、アタシ、宇宙軍に引っ張られたんですものね。

 そりゃ、特殊だよ。

 と、

「ごめんなさい」

 なんか、ヘコむなぁ、なんて思っていたら、またもや中尉殿に頭をさげられた。

 イヤ、なんで!?

「あ、や……! あ、頭をあげてください、中尉殿! これは艦長のせい……って言うか、どうしようもない巡り合わせだったと思います。そ、そう! ツキがなかったというか、不可抗力ってヤツです! 少なくとも中尉殿が責任を感じることじゃありません。ですから……ッ!」

 頭の中が真っ白になる、とまではいかないけれど、それでも焦る。

 ホント、中尉殿のせいじゃないんでやめて下さい。心臓にわるい。

 結局、

「そぅお?」と言いつつ、それでも『でも、ゴメンね?」と重ねて謝られ、話が次へと進むのに更に数分かかった。

「それでね?」

「はい」

 中尉殿の言葉に、アタシはコクコク熱心に(見える感じで)頷く。

 これから言われる――聞かされる内容が何であってもかまわない。

 話が巻き戻されるよりマシ――そう思っていたが故のことだった。

「これまで実施された各種訓練のうち、一番最後の緊急遷移対応訓練なんだけど」

「はい」

「航宙船が超光速航行状態にはいると、船内の人間すべてに失見当識障害が起きる。端的に言うと一時的に目が見えなくなる――そのことは深雪ちゃん、おぼえてる?」

「はい」

「その知覚障害は何故おきるか、考えたことは?」

「……いえ」

 アタシはかぶりを振った。

 あぁ……、中尉殿からデキナイ子だってガッカリされちゃう。

 でも、ウソはつけないし……。

 、〈連帯機〉に接続リンクすることで初めて経験した触感像――デジタル・フィギュアの生々しさには驚いた。

 でも、

 それだけだったら、その後イロイロ疑問をおぼえて質問なんかもしたかも知れない。

 いや、きっと必ずイロイロ質問しまくったに間違いないとそう思う。んだけど……、

 訓練終了間近のファで、そんな『当然の疑問』たちのすべてが意識の上から消し飛んじゃったんだよなぁ。

 ホント、どうしようもないよ。あぁ、こんチクショウ……!

「では、星虹スターボウという言葉を聞いたことはあるかしら? 聞いたことがあるなら、それがどういうものか知っている?」

 中尉殿が言った。

「え、えっと……、光行差によって星の見かけの位置が移動したり、ドップラー偏移で星の色が変化したりする現象。総じて、亜光速で航行する航宙船では、進んでいる方向――真正面を中心としてリング状の星の虹が見える現象、です」

 正直、唐突な振りに『?』とはなったし、内容的に、『えっと、えっと……』だったけれども、何とかかんとかアタシは答えた。

 さだかではない、どころか、いっそ覚束ない記憶。

 宙免の座学で話半分程度に聞いた程度のものだった。

 それでも正解だったみたいで、中尉殿から褒められた。えへへ……。

「それでね? いま深雪ちゃんが言った通りで、おなじ宇宙であっても観測系の状況によっては、その世界像は変化しうる。では、これが光の速さを超えるため、違う宇宙に転移する場合はどうかしら。もっと顕著な違いがでると思わない?」

「あ……!」

 と思わず声がでた。目からウロコって、こういう事を言うのかな。

「遷移とは、この宇宙を移動するのに際し、私たちヒトの生理時間に適合するようおこなう時間と距離の一種のつじつま合わせだけれども、裏宇宙航法はそのために違う宇宙を経由する」

 中尉殿の説明にアタシは頷く。

「違う宇宙――裏宇宙は、単にそこを定義する光の速さが異なるだけの便利な場所というワケじゃない。その宇宙を構成している定数、定理が違うワケだから、観測行為自体が成立しない――結果、失見当識障害がおこってしまう事になるの」

「ちなみにこれは、人間に限らず機械装置を介してもそうな」

 御宅曹長が補足の言葉をたしてきた。

 アクティブ、パッシブ――いずれのどんなタイプのセンサーを使おうと、何も見えない、聞こえない。観測値ゼロ。ただどこまでもブラックアウトしたデータを吐きだすだけとなるらしい。

「そういうワケで艦政本部――宇宙軍は、対策を講じる必要にせまられた。さっきも言ったけれども、民間船だったら遷移が無事に終わった時点まで乗員の意識を凍結しておけばそれでいい。覚醒状態を保っていても、遷移中に何かができるワケではないのだから」

「でも」と続けて、

「宇宙軍所属の戦闘航宙艦はそうはいかない。いつ如何なる時でも戦うための備えはできていなければいけない。そうでしょう?」

「は、はい」

 アタシはゴクリと唾を飲み込んだ。

「で、でも」と、ここで生じた疑問を口にしてみた。

「でも、たとえば人間の代わりに人工知能にバトンタッチとかは出来ないんですか? わずかな時間でも仕事を代行させられたら遷移関連の負担を減らせるんじゃ無いでしょうか」

 そう言ってみたんだけれど、

「あぁ、ダメダメ」

 中尉殿ではなく曹長からバッサリ駄目出しを喰らった。

「AIはなぁ、人間以上に脆弱ぜいじゃくで、ンな事させたら、たとえどんな対策を施してたって、まず一〇〇パーセント、遷移の後には発狂してる。……どうも、『知性』とか『自我』とかいった高尚なモンが裏宇宙航法とは相性が悪いようなんだ」

 人間ほど図太くないAIなんて、一発で狂っちまってどうしようもないって、とボヤく調子で教えられた。

「え……? じゃ、じゃあ人間は……? 人間も……?」

 さすがにアタシも震えあがった。

 何度も何度も繰り返し、『狂う』だなんて言われたら、そりゃ平静でいられるワケがない。

「大丈夫よ、深雪ちゃん」

 すこし慌てた感じで中尉殿の取りなしが入ったけれど、ホント大丈夫……?

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