46.恒星系離脱―15『デブリーフィング―5』

「……お見事」

 まさか、そこまで看破されるとは思わなかった――かるい驚きが呟きとなって唇からこぼれる。

 同僚の洞察力に、埴生航法長はちいさく拍手した。

「さすがは情務長といったところかな。飛行長の目の鋭さもだけれど、驚いちゃった」と少しおどけてみせる。

「では、タネ明かしと言うか説明を続けますね」

 コホンとちいさく咳ばらいした。

「まず、本艦の航路として提示したこのラインですが」

 航法長の言葉に星図上で青色のラインの輝度が増す。

「初動をふくめ、作戦実施の遅延が顕在化している現状を挽回するため多少の無理をしています」

 ズバリと言った。

「航路の主要部分を銀河空隙に求めたのは、遷移抵抗が小さいことから都度跳躍距離の延伸が期待できること――目的地までの所要時間の短縮を考慮してのことです。本艦に関する情報秘匿および安全確保の面ではマイナスですが、今は行動の迅速化こそ優先されるべきだと考えました。

「ざっと試算した結果、標準設定の航路とは約八倍、それに保安規定の遵守を加味すると約一二倍の所要時間差となりましたから、判断としては妥当と信じます」

「ただし――」と続けて、

「ただし、これでも足りない。最低でもこの星系へ寄航したことで生じたロスタイム分は取り戻したい。それには更なる高速化が必要で、案出したのが超光速航行中のベクトル変化――針路変更ターンを複数回おこなうことでした」

 開いている二つのウィンドウがサイズアップする。

「情務長、飛行長から指摘を受けたこれら二点は、それが視覚的にもっともわかりやすい箇所だと言えます」

 ウィンドウ内におさめられた星図は尺度的に二〇〇光年内外の範囲だろうか。

 双方ともに、そこに散在している恒星の数もまばらな宙域である。

 その宙域を貫いて伸びる青色のラインは、二本それぞれにうねりを伴いながらほぼ直角に屈曲している。

 遷移点は、はじまりとおわりの二点だけ。

 うねっている箇所――緩やかなカーブ部分もそうだが、曲率の大きな弧の部分に、必須な筈の遷移点は見いだせなかった。

「遷移途中の変針……。超光速航行中のベクトル変化――針路変更ターン……?」

 そう呟いたのは誰だったのだろう。

 内心の戸惑いが如実にわかる感じで語尾がかか弱く揺れていた。

 同僚である航法長その人のことは、人柄も能力も信頼している。

 しかし、今、眼前に提示されたものには頷けないし信じられない。

 航宙船ふな乗りとして学び、経験してきた『常識』に反するからだ。

 当然ではあった。

 恒星間アストロナ航宙学ビゲーションを学んだ人間ならば誰もが航宙船が超光速航行状態にある時、その進路に任意の変更をくわえられないことを知っている。

 航宙船が超光速航行状態に移行する。すなわち、光の速さを超越するため、異なる宇宙へ転移する――それが遷移だ。

 結果、この宇宙――常空間の物理法則から切り離されてしまうが、と言って異宇宙の物理法則に従うワケでもない。

 超光速航行状態にある航宙船は、まゆ状の保護空間――船体周辺にまとわりついた常空間の残滓ざんしにくるまれ、異宇宙を進むこととなる。

 航宙船側からも異宇宙側からも、互いが互いに作用をおよぼすことの出来ない、一種、『幻』のような案配で、だ。

 加速も減速もできないし、変針を試みても無為におわる。

 その状態を端的に言うなら、光の速さを超えた慣性航行。

 遷移にはいった航宙船は、その開始時点の速度と方向ベクトルを維持したまま異宇宙をすすみ、ふたたび常空間へもどって遷移を完了する。

 それだけだ、

 その常識に、埴生航法長が提示した航路は反している。

 極論すれば超光速航行を律する法則に反しているのだ。

 納得できよう筈がなかった。

「……もしかして、保護力場の度を故意に変更して、もって舵の代わりにするという事、なのかな……?」

 全員が一様に首をひねる中、思案げな顔で大庭機関長がポツリと言った。

 航法長が、うッと息を呑む。

 どうやら図星だったらしい。

 目をまるくして驚いている。

 さすがは相棒と言うべきか。

 フネの航行に関してタッグを組んでいる間柄ゆえ、航法長の考えていることに気づいたようだ。

「その通りよ」

『ちぇ……!』と唇をとがらせたような口調で、いかにも渋々、機関長の指摘が当たっていることを認めたのだった。

「情務長といい、機関長といい、優秀過ぎ。せっかくの人の見せ場を奪うよねぇ」

 苦笑する。

「注目願います」

 気を取りなおしたように言うと、ウィンドウ――〈幌筵〉星系から離脱してすぐの方の拡大星図内をカーソルでぐるりと囲って見せた。

 L字を描く遷移航路の開始点と終了点の間を直接むすぶラインを一本、ツーッとひく。

 すると、そのラインを遮る、あるいはほとんど接する近さに十数個の恒星があることが明確になった。

 対してL字のラインの方には、邪魔者めいたそういう天体の存在は皆無にちかい。

「常空間に散在している恒星等天体現象の『存在』――その影響力がおよぶ範囲は常空間のみにとどまらない。遷移時においても阻害要因として作用する。したがって、遷移航路を構築するにあたっては、それらはとして航路と接触することのないよう注意しなければならない」

 アストロナビゲーションを学ぶ者たちが教え聞かされる一節である。

「結果、たとえば、この宙域の航路は、標準設定の命じるままだと、このようになるワケです」

 星々との衝突を避け、極端な接近もしないよう、スラロームのようにジグザグにカーソルが動いていった。

「光の速さを超える。すなわち、彼岸あのよに他界し、此岸このよへ回帰する。その航程において、もっとも時間を要する部分は遷移と遷移の間――次の遷移の準備段階です。常空間に回帰して、次の遷移に適合するよう航路を調整する必要があるからです――

 カーソルの先がチョンチョンチョンと、障害となる恒星群をポイントしていく。

「すべては、遷移が直線的にしかおこなえない故のことです。航路途中のシケイン数に航過時間は左右され、一般的には指数関数的な影響をうけます」

 埴生航法長は、そこで息をスゥと吸いこんだ。

「そこで、これです」

 最初の(キメ)文句ゼリフを再度、口にした。

 カーソルがウィンドウの中のL字をなぞる。

「先ほど機関長が指摘された通りです。遷移途中、航宙船の船体は常空間から切り取られた時空残滓にくるみこまれ保護されています。そして、この、絶縁体シールドであり、バッファでもある多元宇宙間の断層を更に航宙船が生じる力場でもって強化しているワケですが、それを一種の舵器として用いる――これが、提示した航路航過時間短縮案のキモであり根幹となります」

「……やっぱり、圏界面の狂度をいじるつもりなんだね……」

 溜め息をつくように大庭機関長が言う。

 その相の手に、航法長はうなずいた。

「そう。時空残滓の蒸発を緩和するための力場――この強度を操作します。と言っても、機器の能力的に出力を増すことはかないませんから、弱める一択ではありますが」

「……大丈夫なの、それ?」

 稲村船務長。

 そう言いながら、航法長と、それから船医も兼任している後藤主計長に交互に目を向けている。

 後藤主計長はかぶりを振った。

 困惑顔になっている。

 突然の問いだからでもあったが、すぐに思い当たる前例もなく、純粋に判断がつかなかったからだった。

「大丈夫、だとは思う――機械面は」

 大庭機関長が言った。

「〈〉は、その動作面において安全係数を公称四五、実際には六〇弱で設計されている。今日までに確認されている遷移事故で、原因がトランキライザーに求められる例は、ほぼゼロだ。しかし……」

「しかし、それは遷移航路を標準設定の算式でおこない、保安規定を逸脱しないことが前提」

 末尾を言いよどんだ機関長の言葉を埴生航法長が引き取った。

「だからこそテストをおこなうんです」

 そう言い切った。

「航路航過の高速化をめざす今回の試行において、〈トランキライザー〉をはじめとする機械はともかく、乗員の情報生理面へどれくらいの影響がでるかは、正直、未確定です。

「人間の精神というものが定量化しにくい構造体モノなため、いまだ確たる数値モデルが存在しない故のことですが、結果、妥当な算式を組むことができず、正答を導き出せてはおりません。

「導入するパラメータにより得られる解が、恐怖指数一八から八四と振れ幅の大きすぎるものとなってしまい、事前予測の役には立たないというのが実情です。

「だからこそテストをおこなう必要があるのです」

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