39.恒星系離脱―8『月月火水木金金―4』

 手袋をつけるのは二、三日ぶりかな――そう思いながら、アタシは手首まわり、接続リングのアジャスト具合を左右それぞれチェックする。

 手指の動きに少しも逆らうことなく柔軟に動く、でもゴツい外見の手袋。

 船外作業や今みたいな訓練時でなければ、ほぼコレを着けることはない。

 意図した通りに動くけど、肉厚が増す分、取り回しがしにくいんだもの。

 真空曝露ばくろの可能性が高い時を除けば、出番は多くないんじゃないかなぁ。

 ま、そうは言っても、航宙船の乗員が、一日二十四時間、いついかなる時でも気密破壊に対する備えをおこたるなんて事はないけどね。

 お風呂にはいってる時には〈簡封ハット〉を必携するし、寝る時にも簡易宇宙服たる船内服は(着心地も良いから)けっして脱がない。

 ヘルメットと手袋は、かさばるから常に持ち歩く事まではしてないけれど、でも、それを補う仕組みはちゃんと用意してある。

 そのひとつ――手指の場合は、袖口の縁から吐出される速乾性の保護クリーム。

 ベタつかない、パリパリにならない、指先の感覚を鈍磨もさせないスグレモノ。

 これを塗布することで、日常の細かな作業と真空曝露対策とを両立させている。

 塗りつけた状態でだって掌紋認証もちゃんとクリアできるしね。

 実用面だけ考えるなら、それで必要十分なのではと思っちゃう。

(……でも、今回はそれじゃダメなんだ。フネの外に出るワケでもないんでしょうに)

 グッグッと二、三度、拳を握ったり開いたりして最終的な確認を終えたアタシは、〈纏輪機〉に向きなおった。

「お待たせしました。準備完了です」

「うん、オッケ。んじゃま、お次は座席を耐Gモードにセットして」

 即座に御宅曹長から次の指示がとんでくる。

 テキパキしてるのは結構だけど、なんか手ぐすね引いて待ち構えられてもいるようで、警戒心がじわりとうずく。

 すぐ目の前に落とし穴が仕掛けられているのに、でもって油断しないでいるのに、わなに気づけないでいる感じ。

 とりあえず指示はまっとうと思えるし、猶予の時間ももう残ってないだろうしで、言われた通りに設定を変更。

 腰掛けている座席がリクライニングし、背面、座面のクッションが硬度を変えて、ふかっと身体が沈み込む感じに柔らかくなった。

 身体が沈みこみすぎて身動きしにくいという程じゃなく、適度に腰のある感じ。

 好みに応じてカスタマイズも可能らしいけど、アタシは標準設定で大丈夫かな。

「準備できた?」

 御宅曹長が訊いてきた。

「はい」

「んじゃ、次いくよ~。ビックリしすぎてお漏らしなんかしないでよぉ?」

 にやにやした笑みをいっそう深くして、ろくでもない文句セリフを口にする。

「えっ? それってどういう……」意味ですか?――なんて訊ねるいとまも何もない。

 まったく何の前ぶれもなく、首筋から爪先、肩口から指先、胸に背中に腹部にももに――全身あますところなくさざなみのように悪寒がはしった。

「うわわッ!?」

 悲鳴ともつかず驚愕ともつかずな叫びが思わずもれる。

 無数のアリに這いまわられているような、弱い電気にピリピリ感電しているような――そんな、なんとも不快な感覚。

 なんか、痴漢に全身をまさぐられてるみたいな感じもあって、あまりの気色悪さに鳥肌立った。

 なによコレ!?

 気持ち悪ッ!

 ほぼ反射的――アレコレ考えるより早く、バネが弾ける速さ、勢いで、座席の上からね……ようとして、跳ね返された。

 勢い、速さ、強さ――そのいずれもが、まったく同じ。

 ただ、向きだけが正反対の力が、アタシを引き止めた。

 まるで船内服が壁のよう。

 なまじ身体にピタッとフィットしている分、空間的な余裕すきまも逃げさえなくて衝撃がもろダイレクト。

 思い切り壁に体当たりをかました時みたく、アタシは船内服(の内側?)に叩きつけられ、グヘッとなった。

 服と身体の間に隙間があったら、その空間分、身体が跳ね回る、とまではいかなくともバウンドくらいはしただろう。

 だから、どっちが良いとかは言えないけれど、

 とまれ、

 肺が限界まで押しつぶされて、アタシはと一緒にゲロッと舌を吐き出した。

 視界にチカチカ星がまたたく。

 もんどり打つとか、ドスンとしりもちをつくとかしたワケじゃない。

 そもそも、背中もお尻も座席から一ミリだって離れてはいない。

 敢えて言うなら、階段で空足を踏んでしまった時の感覚に近い。

 まだもう一段あると思っていた踏み板ステップが存在してなくて驚いた――あの感覚。

 実害はないものの心底驚く、かつ、自分のマヌケさ加減が恥ずかしい、アレ。

「な――」んなの!? とののしりかけて寸前、原因に気づいた。

 耐Gモードだ!

 面ファスナー!

 座席を耐Gモードに設定したから、座面や背もたれの表面組成が変化したんだ。

 慣性中和装置で消しきれない加速度変化から乗員を保護する仕掛けが起動した。

 就寝中の乗員の身の安全を確保するための掛け敷き布団とまったく同じやり方。

 違っているのは、くっつき虫のペアになっているのが座席と船内服(の背中)ってとこ。

 アタシのマヌケ! こんなの今までの訓練でだって経験したじゃんか!

 いくら突然だったといっても、『グヘッ』って何だよ、『グヘッ』って!

 恥――そう思っていると、案の定と言うか、〈纏輪機〉からクツクツ忍び笑いが漏れ聞こえてきた。

 御宅曹長がわらってる!

 恥――身を焼く思いがいや増した。

 そりゃそうでしょうとも。おかしいですよね。笑えますよね。

 胴体は動かず、首から上、肩から先だけをガックンガックン、バラバラに振りまわしてる様は、ひっくり返って起き上がれないでいる昆虫みたいで、さぞや愉快な見物だったに違いない。

 立場が違えばアタシだっても、きっと(多分?)笑う。

 でも……、

 そうすると、今の妙な刺激は、やっぱり、曹長のイタズラだったのか。

 どうやって仕込んだのかなんてわからないけど、ホント、まぢでたちわりぃ。

 その熱心さ(?)をもっと仕事の方にむけてくれたなら、中尉殿と同じくらいに尊敬できると思うのに……。

 カッと体温があがって、気づけば、いつの間にやら唐突に生じた違和感は、淡雪が溶けるみたいに消え去っていた。

(落ち着け、アタシ)

 自分の服で胸を打ち、肺が圧迫されてしまってかるく咳き込みながら唇を噛む。

 ここでことさら反応したら、からかいのレベルアップを招くだけ。

 言葉はもちろん、表情にだってだしたら『負け』だ。

 ちょっと深呼吸などして、平常心、平常心。

 ウン。よし!

 と、

気密帽ヘルメットの装着を実行します。着座姿勢を正規状態のまま維持してください。繰り返します。ヘルメットの装着を――』

 まるで空気を読んでいたみたい。

 機械音声がアナウンスしてきた。

 そうね。そうそう、そうだった。

 戦闘だとか、総員退艦につながりかねない大事故だとか、そうした事態に対処しなければならない時は、あらかじめヘルメットを被っておくんだった。

 耳許でピーッとちいさく注意喚起のアラートが鳴って、頭の後ろの方からガコンとロックが外れる音と微震動、それから何かが動きだした気配が伝わってきた。

 見なくたってわかる――座席きかいがアタシにヘルメットをかぶせるための準備をしてるんだ。

 アタシは座席の上で姿勢を正すと、頭上からゆっくり降りてくるヘルメットを待った。

 携帯しづらい生命維持具の代表格なヘルメットは、兵員室や共用スペース、そして何より乗員それぞれの持ち場にと、艦内各処に何個も用意されている。

 主計科室このへやの場合は座席のヘッドレスト――その後方に収納セットされていて、〈たいぼう補助腕〉というが自動でかぶせてくれる仕組みだ。

 ヘルメットの開口部――その縁が、いま頭頂部に触れた。

 耳の高さ、首筋――前面の透明シールドの向きもキッチリ精確に、肩から上がヘルメット内に収められていく。

 カチリ。

 アダプタリングの接合音が、あごの下から聞こえてくると、同時に酸素の供給がはじまった音が空気の流れとともに伝わってきた。

 自動的にHMDが起動する。

 シールド上――目線高さよりもやや低いあたりにアイコンが数個ならんだ状態で浮かびあがった。

「深雪、聞こえる?」

 御宅曹長の声が耳許で響く。

 コミュニケーション・チャンネルが、これまた自動的にインカム系に切り替わっている。

「はい。感度良好」

 アタシはコクリと頷いた。

 ついでに、船内服のえりぐりを指先でつまんで、ちょっと微調整しようと動かした。

 気密確保の為だから仕方ないっちゃ仕方ないけど、ヘルメットは装着の最後の仕上げ(?)に船内服との間に隙間が生じないようインナーが首筋をキュウッと絞めつけてくる。

 もちろん、が苦しいだとか、声が出しにくいとかまでいかない程度にごく軽く。

 それでも、やっぱり気にはなるのよね――少なくとも、最初のうちは。

「よっしゃ、それじゃ次はね」

 そうして、御宅曹長が、アタシに次の指示をだそうとした時だった。

『緊急遷移警報! 緊急遷移警報! これより遷移実行カウントダウン! 秒時読みカウントダウン実行マイナスヒトフタマルより開始! 総員、遷移姿勢最終チェックせよ! 繰り返す! 緊急遷移警報! 緊急遷移警報! これより遷移実行カウントダウン! カウントダウンはTマイナス一二〇より開始! 総員、遷移姿勢最終……』

 副長サンの発する警報が、ふたたび艦内に響きわたったのだった。

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