間章.惑星〈幌後〉点景
29.ながい日々の始まり
「はぁ……」と
もう何度目……、いいえ、もう何十度目、何百度目でしょうか。
ここ数日というもの、仕事も何もロクに手につかない様子で、気がつくと物憂げな顔を
食事も喉を通らない、という程ではありませんが、生気がない。
「みゆき……」
ポツリ、と呟いた声が聞こえました。
深雪。
田仲深雪。
わたしたち夫婦の大切な娘。
とても頑張り屋サンで優しくて、キツくて汚い(時もある)家の仕事をイヤな顔ひとつせずに手伝ってくれ、学校では大好きな姉の後を追うようにして始めた陸上競技に汗を流していた――マジメな良い子。
もっとも、そうした美点とは裏腹、頑固で思い込んだら一直線な融通のきかない猪突猛進なところもあったけど。
ホント、誰に似たのやら……。
と、
もとい、
今はそんな話をする時ではありませんでした。
とにかく、そんな大切な娘のもとに、先日、突然、召集令状が届けられたのです。
忘れもしません。
玄関先に見知らぬクルマが停車し、何かしら? と思いながらも応対に出ると、そこにいたのは男性が一人。
地元の役場、その兵事課に勤務している者ですと
と、いうことは……?
それって、つまり……?
つめたい汗が、身体中にゾッとふきだした事をおぼえています。
充員召集――宇宙軍の徴兵命令をこの兵事担当者は告げに来た?
直観的にそう悟り、頭の中が真っ白になってしまったのでした。
いったい、我が家から誰を兵隊に引っ張っていくというのでしょう?
凍りついてしまったように鈍く麻痺した心で考えたのは、その一事。
我が家――田仲家に住まっているのは、主人、わたし、深雪の三人。
もう一人いる娘は学生時分に上京してより今に至るもそのままですから、一緒に暮らしているのは三人だけです。
その三人の家族の中で、徴兵年齢の枠はもちろん、宇宙で戦う軍隊に加入する要件を満たしているのは深雪のみ。
そうです。
兵事課に勤める男性職員、いいえ、宇宙軍は、深雪を兵役に就かせる為にやって来た――そうに違いないのです。
〈低圧・低重力環境作業技能者免許〉――通称を〈宙免〉
宇宙軍に目を付けられても当然なそれを深雪は持っていたからです。
もぉ、ホント馬鹿娘。
言わんこっちゃない!
家族だけで切り盛りしている零細な畜産農家にそんな資格は不必要。
家計をあずかる者として、また親として、だから断固反対したのに!
お金もかかるし、何より宇宙――危険極まりないとそう言ったのに!
なのに……、
費用は奨学金を利用するから負担は無い。将来のことを決める際、すこしでも選択肢を増やしておきたい。だから宙免を取得したいのだと主張をされては認めるしかないじゃないですか!
加えて、我が娘ながら実にいやらしい目つき&
ホント、引っぱたいてやろうかと思いましたよ。
つい、カッとなって、『そんなにご先祖様代々の仕事がイヤなら好きにしなさい!』と考えるより先に吐き捨ててしまいました。
結果的に許可をだしてしまった――失敗した。
冷静さを取り戻した後で、違和感に首をひねってももう遅い。
口から出た言葉は取り消せません。
本来であれば、毎日毎日、陸上陸上言ってた娘が、突然、『将来に備えて資格のひとつも取っておきたい。たとえば、宙免とか宙免とか宙免とか』などと、声高に
限界にぶつかり記録が頭打ちになったとかでもなければ、よそ見なんかをする筈がない。
『将来』
『将来』というのは、おそらくは
狭く、かつ閉ざされた市場に過飽和状態の同業他社――そんな環境で現状のままの
だから、一つの打開策として宙免取得を思いついた――そんなところだろうと後になって思い至ったのです。
それならそうと言えばいいのに、スナオじゃないと言うか、思春期に特有の照れとか、一種のカッコつけだったのでしょうか。
わたしが単純な
いくら頭に血が昇ったからといっても、娘相手に売り言葉に買い言葉でケンカするより他に、為すべきことはあった筈なのに……。
あの時、深雪の宙免取得を断固反対する理由を更に思いつかなければいけなかった。
宇宙軍、徴兵――事故ばかりでなく、そんな危険に思い至らなければいけなかった。
その可能性を深雪に突きつけていたら、或いは取得を断念させられたかも知れない。
宙免取得のための奨学金など、調べれば
……ホントにダメな親ですね。
平和ボケだと
それは、わたしが物心ついてよりこの方、皇国が大規模な争乱に巻き込まれた事がないというのは事実です。
そして、現在に至るも(国と国の間で
平和、平和、平和……で、争い事はこの地よりも遠く、起こるとしても、それはずっと先のこと――そう信じられる世相ではあるのです。
でも……、それでもあの時、チラとでも、頭の片隅にそんな可能性がカケラ程度にでもよぎっていたら……。
悔やんでも悔やみきれないですが……、今更ですね。
「奉公働きの年期が明けるまで帰宅はかなわんだろうが、せめて声がききたいなぁ……」
ふたたび主人の呟く声が聞こえてきました。
主人は未だに状況を理解していないのです。
或いは理解する事から逃げているのか……。
すこし考えれば、気がつきそうなものなのに。
『どうして深雪に召集令状が届けられたのか?』
『平和な情勢で、不意の危険もないのに何故?』
わたしの
軍隊という組織も民間の会社と同様、ながく存続していく為に所属人員の新陳代謝を必要とします。
でも、宇宙軍は、その名の通り、宇宙を活動の場とする軍隊。
そこに所属する人員は、兵隊である以前に
いくら深雪が宙免持ちと言っても、しょせんは『なんちゃって』
召集をかける段階で軍隊の方でも対象者の調査くらいはしたでしょうから、その時点でハネられたんじゃないかと思うのです。
練兵団行き、軍施設まわりの下働き――深雪が口にした予想は、もっともらしくは聞こえます。
ですが、〈幌筵〉星系の立地、また現状――北の辺地であり、周辺情勢は平穏という事から考えても、わざわざここから半シロウトを引っ張る理由がわからない。
深雪などより、もっと宇宙での実務経験が豊富な、そして、配属先がどこであれ、たとえばそこまで運んでいくのにかかる経費が少なくてすむ――そんな要件を満たした人は(いくらでも)いるに違いないのです。
なのに何故……?
一度疑問に感じてしまうと、令状に目を通した後の深雪の様子も不自然だったように思えてならず、でも、確たるところはわからないまま、引き止めることも出来ず、出征の途につく背中を見送ってしまった。
応召者は、軍隊に入営した直後は機密保持のためとかで、相手が親であろうと一切の連絡がとれなくなります。
その後、実戦部隊に配属されてからも、
所属している人員から配属先部隊の動静が漏れないようにする用心なんだそうです。
役場や宇宙軍の出先事務所に直接問い合わせをいれた主人が
のこされた家族にできるのは、ただただ、向こうからの連絡を待ち続けることだけ。
無事を祈りつづける事だけです。
主人が空を見上げています。
わたしも同じく空を見上げる。
ただ……、主人が信じているようには、わたしは彼が見ているのだろう先――練兵団や星系最寄りの軍港等に深雪がいると確信できない。
何か、わたしたちの
「あなた!」
わたしは声を張り上げました。
「ぼ~~っと、空ばっか見つめてないで、今日のノルマをこなすわよ!」
主人の尻を蹴飛ばすように、そう言いました。
深雪……。
どうか無事に一日でも早く家に戻ってらっしゃい――そう、願いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます