10.出征―10『邂逅軌道―2』

「ゆき……、み……ゆき……」

 どこかで誰かが、なにか言っている。

 なに……?

 ナニ……?

 何て言ってるの?

「深雪、起きて! 起きろってば!」

「は、はいぃッ!?!」

 自分の名前を呼ばれている――そうとわかった瞬間、バチッ! と弾けるように目が覚めた。ってか、アタシ、眠ってた?

「よだれ、よだれ

 椅子の背もたれ越しに、こちらを見ていた御宅曹長からニヤニヤ混じりの指摘が入る。

「え? ウソ!? や、ヤだ、もう……!」

 あるまいことか、新しい職場の、それも上司の前で寝落ちてしまった。ヨダレまで垂らしてたなんて、いくら体育会系でも(?)乙女として恥!

 と、そこでまたもやスパーン! と、もはやみの打撃音。

「ウソをつかない。新人の部下をいじめない」

 打撃武器タブレットを振り抜いた姿勢で、後藤中尉が曹長をピシリと指導した。

「大丈夫よ、深雪ちゃん。今のは曹長のデマだから。それに何日も満足に休めてないんですもの、疲れがたまっていて当然だわ。母艦に到着するまでノンビリしてらっしゃい」

「あ、ありがとうございます」

 やさしく言ってくれるけど、だからといって、ハイ、わかりましたと甘えるだなんてもってのほか。

 ひたすら、恐縮、反省、更生だ。

 湿手布ハンカチで顔をぬぐってサッパリすると、背筋をのばし、姿勢をただして座り直す。

 出来ることなら正座でもしたい気分になっていた。

「あ~あ、同じフネに乗っているのが、みんな深雪ちゃんみたいだったら良いのになぁ……」

 そんなアタシを見ながら、後藤中尉がぽつりと呟いた。

「上官はワガママ、部下はスチャラカ。とかく変人が多くて困るのよねぇ……。寄港先で需品の補充をしようとしたら、これ幸いとばかり、好品のリクエストを強引に押しこんできたり、不足要員の補充に召集をかけたら、その出頭期限が無理筋と知った途端、間に合うか否かを賭けの対象にしてみたり……、ねぇ?」

 言葉の最後は、聞こえよがしに隣の席へ向けられていた。

「不謹慎だとか思わないものなのかしら」

 最後のセリフは、すこし怒っている風だ。

 後ろの席のアタシの所までジワリと『圧』が伝わってくる。

「や、や、中尉殿」

 だからか、さしもの御宅曹長がワタワタ焦った感じで弁解しはじめた。

 警備府でしこたま怒られた記憶がよみがえったのかも知れない。

「それは確かにおっしゃる通りなんスけど、でも、賭けのネタになるのも仕方ないですって。そもそものはなし、戦闘航宙艦が出撃途中で欠員を補充しようだなんて事からして、非常識にも程があるってもんじゃないっスか」

 と、そこまで言って、曹長はアタシの方にはなしを振ってきた。

「手許に召集令状が届いたのは今から何日前のこと?」

 そう訊いてくる。

「四日前ですけど……」

 アタシが答えると、「ほらね」と肩をすくめてみせた。

「今お聞きになった通りの非常識プラスの無茶振りで、時間的な余裕がまったくない。

「艦長が欠員補充の為、ここの警備府宛てに要員手配を要求されたのは、〈あやせ〉が、この星系に遷移せんいしてきて以降――星系外縁部を航過したあたりのことっスよね。

「警備府側が、要請を受信後、即座に事務処理したとして、アタシは出頭までの猶予ゆうよを六日と踏んでいましたが、実際のところ、それより更に二日も短い。

「かてて加えて、案の定というか、現地に着けば軌道橋すらない土地柄だった。それで惑星表面から静止軌道まで期限内に上がってこれるのかって、誰もが疑問に思うのは当然でしょう」

 一生懸命、賭けがおこなわれるに至った、その正当性(?)を訴えた。

「誰もがムリだって思っていたなら、賭けは成立しないんじゃないの?」

 でも、そこで後藤中尉は首をかしげる。ウン。それは確かにそうだよね。

あおられでもした?」

 言われて、御宅曹長の顔がすこしゆがんだ。図星、だったみたい。

「……だって、同じ持ち場で働くことになるんスから、どうでも間に合って欲しいじゃないっスか。それを負け確定だなんだと言われたら、あとはもう売り言葉に買い言葉っス」

「なるほどねぇ……」

 後藤中尉が溜め息をつく。

 あぁ、なるほどな、とアタシも心の内で納得していた。

 警備府ではじめて会った時、アタシが間に合ったおかげでボロもうけできたと御宅曹長は言っていた。

 あの時はいきなりだったから、エ? なになに? 一体なんのこと? って理解できなかったけど……、あ~、そぉかぁ、つまりは、そういう成り行きだったのね。

 一部始終がわかって、なんとなく胸のあたりがほっこりとなった。

 そして、それは後藤中尉もおなじだったよう。

「作戦行動中の戦闘航宙艦の艦内で賭け事なんて許されることじゃないけど、まぁいいわ。貴女あなたが賭けに参加した理由もわかったし、私からは特に何もナシとします」

「じ、じゃあ……」

 冷たかった中尉殿の声がやわらいだのに、御宅曹長の表情も明るくなる、が、

 ただし、と中尉殿は言葉を続けた。

「ただし、どう思われるかについては関知しないわよ? 賭けのことは、艦長はたぶん御存知でしょうけど、副長がどうかは私は知らない。ま、せいぜい御存知ないことを神様にでもお祈りなさい」

 GOOD LUCK! といった調子でしめくくった。

 御宅曹長ががくぜんとした顔になる。

「い、いや……、そんな……」とか、アワアワやりだしたから、『副長』という人は、それだけおっかない……?

 アタシは心のメモに艦内の人間模様というか、これから始まる生活上の注意点として、赤丸付きで記憶した。

 ウン。

 直属の上司……、いや、軍隊だから、上官か――の後藤中尉は頼れるお姉さんって感じだし、同僚……ってか、そう、の御宅曹長は親しみやすいフレンドリーな人だった。

 仕事に限らず、組織やグループの雰囲気、そのしを決めるのは内部の人間関係だから、軍隊暮らしははじめてだけど、アタシはその点ではきっと恵まれているんだと思う。

 副長サンは怖いにしても、でも、会社とかでいうならそれは副社長みたいな存在だろうから、一番の下っ、新入りのアタシからすれば雲の上の人――そうそう関わることもない筈だ。目立たないよう、日々の仕事をマジメにしてれば大丈夫。

 ウン。きっと、きっと大丈夫。

 自分に言い聞かせるように思ううち、無意識に首筋に手がのびていた。

 そこにまっているチョーカーをでる。

 アクセサリじゃない。

 黒色をした、幅二センチ、厚みは二ミリあるかなしかの樹脂製バンド――〈幌筵〉警備府で後藤中尉から渡された軍制品だ。

 そのオシャレさも無い飾り気もないチョーカーと肌の間に指先をつっこみ、位置をなおすみたいに手を左右に動かしていた。

「深雪ちゃん」

 そんな動きに気づいたか、中尉殿がアタシの名を呼ぶ。

「大丈夫? キツかった、それ?」

「い、いえ! 全然キツくありません! 大丈夫です。ただ、ちょっと慣れなくて……」

「そう? それなら良いけど……。もしも呼吸や発声が苦しいようならすぐに言ってね、調整するから。でも、そうでないなら、頑張って慣れて。それは戦闘航宙艦勤務者乗りには命綱と言ってもいい必需品なの」

「は、はい」

 これが必需品?

 確かに受け取った際、『呼吸、脈拍、血中濃度その他を計測し、通信機能で外部機器とリンクすることで、装着者の肉体健常度を把握するための器具』とか何とか聞かされた記憶はある。

 重要だから四六時中常に装着して、入浴、就寝時にも外さないようにとの念押しも。

 はぁ、まぁ、こんなチョーカーがねぇ……と、その時は思ったものだけど、それでも言いつけはちゃんと守ってる。中尉殿も御宅曹長にも、その首元に黒いチョーカーが確認できたから。

「それでね? 深雪ちゃん」

「は、はい」

「これが、〈あやせ〉よ」

 お待たせ~と、イタズラっぽくわらいながら、後藤中尉は言ったのだった。

 同時に、いつの間にか(と言うより、アタシが寝落ちた後に)消されてた制御卓の天板がぽぅと光る――ふたたび画像を映しだしてきた。

 一面の闇――短艇の外部カメラが捉えてるものだろう宇宙空間の映像。

 よくよく見れば漆黒の闇を背景に、何かが映っているのがわかる。

 地金のままなら鈍い銀色? でも、今は闇にまぎれて灰白色に見える一本の棒。

 まるで地上にそびえる超高層ビルをそのまま宇宙に浮かべたような構造物。

 戦闘航宙艦。

 巡洋艦〈あやせ〉……。

 遠近感がハッキリしないため、実際の大きさはよくわからない。

 ただ一つ、奇妙なモノをアタシはそこに見いだしていた。

「ネコ……?」

 思わず、そう呟いていた。

 黒猫をデフォルメし、シンボライズしたキャラクター画――そんな意匠が、立体投影だかプロジェクションマッピングだかで航宙艦の艦腹に描かれている……?

 そんな馬鹿な。目の錯覚よ、見間違い――そう思ったけれど、そうじゃなかった。

 アタシの声が耳に入ったか、中尉殿がカメラをに固定し、ググッとズームさせてくれたから。

「あれはね、逓察艦隊第二艦隊のインシグニア。でも実際は、〈あやせ〉のトレードマークなの」

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