有事の中の平時 江田島編

広島県江田島市――江田島基地

警衛隊員が叫ぶ。

「司令車両接近、総員整列。」

勢いよく初級幹部を筆頭とした警衛隊員が正門の横に整列する。

「捧―げ銃。」

警衛隊員は小銃を体の中央に掲げ、捧げ銃の姿勢を取る。

「正門、立哨服務中!異常なし!」

「タテエッツツ!ササゲッエツツ。」

「ケイレエエエイ」

警衛の当直士官が服務中異常なしを報告、奥に車が入るとその地点で立番に当たっていたセーラー服を着た若い隊員も捧げ銃をしてくる。――いつも通りの日常がここには流れている。約一万キロ離れたアデン湾では国籍は違うと言えども何人もの同業者が冷たく、そしてこれ以上ないほど暗い海の底に眠ることになったというのに。ここではそれが嘘のようだ。みんな生きていて、誰も死んでいない。まだ……。今回の事件、全員生きて帰れるのかはわからない。いやきっと帰れないだろう。私も一度同期をなくしたことがある。例の宗谷海峡での事件のときだ。当時礼文島には沿岸監視部隊が置かれており、防大時代の同期がその部隊の隊長だったのだ。防大のときは同じ大隊に所属し、大人しい奴だったが、棒倒しのときは誰よりも勇敢。富士強行登山では比較的体力の弱い学生の荷物を代わり背負う良いやつだった。陸自に配属されたあとは、レンジャー資格や冬季遊撃徽章といった特技の取得に躍起になって昇任が遅れたものの何とか実力で盛り返して、来年には連隊長になる予定だった。少ない物資、少ない兵員をうまく利用して礼文島と利尻島の民家に敵が侵入するのを防いだ。しかし多勢に無勢、火力で勝る敵に追い詰められ、ついに凶弾に斃れた。北海道本島から増援の中隊が到着するころにはすでに冷たくなっていたと聞いている。もう友人を亡くすのは嫌だな。それが軍人の定めだとしても。

「こいつらも死ぬのか……。」

グラウンドの奥の方に幹部候補生たちが行進するのが見え、その手前の方には呉教育隊の隊列が並んでいる。呉基地と江田島基地のパレードの準備が行われているようだ。

「まだ子供です。」

運転手の海曹が私の視線を察してかそんなことを言った。大学、高校卒業したての何の役にも立たない青二才を使える海軍兵に変えるのがここだ。ここの段階の人間を百人ほど戦場に突っ込んでも意味もなく死ぬだけだろうな。

「先の戦争で自衛隊はそれなりの人員を失った。その分の傷は未だ癒えていない。どうにかこいつらが実戦部隊に配属される前に片をつけてやろう。こいつらはこれからの日本に絶対に必要な人材だ。」

教え子を戦場に送る……。それはきっと正しいことではないが、それが私の使命だ。戦場で果たすべき義務を果たし、日本という国家の勝利に貢献できる人材を育てるのが幹部候補生学校校長の任務。任務に忠実たれと防大の頃より吹き込まれ続けた私は、もう普通の人間ではない。心を鬼にしなければならない。

「校長お待ちしておりました。」

幹部候補生学校庁舎に到着すると副校長と当直士官、当直下士官が私を迎えてくれた。

「ご苦労。着任早々に市谷に呼ばれるとは思わなかった。」

「一体なんの話だったんですか。」

「事情は幹部自衛官と先任伍長のみに伝える。あとで校長室に部長、首席指導教官を呼んでくれ。」

「了解しました。」

今回の一件は現段階では幹部自衛官と一部の隊員にしか知らされないことになった。もしいきなり末端の隊員までこの情報が知れ渡ってしまえば、脱走されたり、望まぬ範囲まで情報が広がる恐れがあるからだ。情報統制のために呉警務隊(憲兵隊)の隊員が私服で路面電車にまで乗り組んでいるらしい。校長室につき、荷物を下ろし、重苦しい正装を簡易制服に着替える、市谷から羽田に行き、羽田から伊丹、伊丹から庁用車でここまで来た。提督になったらヘリで移動できるーーはずがないのは三尉になってすぐにわかった。提督も制服を脱いだらただの年を食ったじじいだ。五十半ばにもなったこの長距離移動は堪える。ついこないだまでは水上部隊でバリバリ洋上で働くこともあったがその日々が嘘のようだ。

「校長、三佐以上の幹部をいったん集めました。」

先任伍長が会議の手筈を整えてくれた。

「単刀直入に言う。戦争が始まった。」

全員眉一つ動かさなかった。どうやら雰囲気で察したらしい。三佐に昇任するまで少なくとも十年は自衛隊で勤務した隊員たちだ。全員有事を経験している。肝の据わり方が違う。

「我々は何をすればいいのでしょうか。」

と教務部長。

「まず、学生への通達を行う準備だ。スエズ運河という世界の大動脈に血栓ができた以上、遅かれ早かれ民間のニュースになる。しかし、いきなり順序立てることもなく通知を行えば混乱は必至だ。」

どの幹部も黙って私の話を聞いている。

「彼らが戦場に赴くことになるかはまだわからない。だが学生とはいえ一海軍軍人であることには変わりはない。祖国が必要と呼びかけるならば前線に出て敵を打ち払うのが我々の務めだ。そう教えたはずだ。だが死を前にすればいかなる人間も狂う……、みなわかっているとは思う。」

信じたい。しかし信じるのは難しい。

「脱走する学生はいないと信じます。」

学生隊長がそう言った。

「ええ、私もそう思います。彼らはまだ高校生くらいでしたが、例の潜水艦の事件のニュースは目にしているはずです。自衛官が血塗れで運び込まれる映像を見て、それでもなお自衛隊の門を叩いた子たちです。私は彼らを信じます。」

「私もです。」

「彼らも私たちと同じ兵士です。」

教官全員が学生を信頼しているようだ。潜水艦事件は当然ながら全国で報道された。某テレビ局は中継配信中にモザイクの加工ができずに腸が飛び出た隊員の映像が流れてしまったという。事件の翌年、曹候補生(下士官)はもちろん、パイロットを目指す航空学生の志願率すら低下した。自衛隊に入隊することに明確な覚悟を必要とする時代になったということだ。私は学生を疑いすぎなのかもしれない。

「よしわかった。学生を一番傍で見てきたのは校長の私ではなく教官の諸君だ。よろしい貴官たちを信じよう。早速明日通告する。幹事付に明日、甲板掃除に移る前にグラウンドに学生隊を整列させるように伝えてくれ。」

「了解致しました。」

とりあえず、今日は先任海曹、文民教員、幹部自衛官全員にことの次第を伝えた。情報は秘とした。

「ああ、どっと疲れた。」

大声で独り言を吐きながらソファに座り込む。沈みそうなくらい体が重い。しばらくの時間ぼーっとしていた気がする。気付くと携帯が鳴った。かけてきた相手は……町村二等海佐。階級直し忘れてた。まあいい出よう。

「おい死神元気か?」

「先輩、冗談きついですよ、私は人間です。」

「遅れたが提督昇任おめでとう。」

「ありがとうございます。できれば国内の部隊の司令官になりたかったものですがね。」

「お前、国内の部隊にいたことあるのか?」

「ありますよ!少なくとも中尉までは佐世保にいましたし、フィンランドから帰ってきたときは大湊でしたよ!」

説明しよう。実は町村将補は私が中尉のときに護衛艦で初任幹部教育を命じられた初めての後輩幹部である。一般大出身で幹部候補生学校の成績は二百人中七十七位とまあまあのレベルで、まあ最後まで勤めれば中佐だという程度の平平凡凡の大人しい少尉だった。だが語学力と強運(?)でこの階級まで成り上がった。海外派遣に何度も何度も参加し、日本の針路を決める作戦のほとんどに参加した。彼の所属した部隊や艦艇は接敵する確率が異様に高く、必然的に死傷者も出たが武勲を立てることができた。いつしか町村将補は後方で出世を望むエリート組からは死神呼ばわりされ、幹部候補生学校で序列が低く、それをどうにかまくって出世してやろうと思っている中堅から下級の幹部からは出世の女神とされている。

「一件はどうなった?」

「盗聴の危険があるので詳しい話はできませんが、一応進展はありました……。」

「語気から察するに悪い方にだな。」

「ええ、ついに民間のタンカーに被害が出ました。そしてイタリア、オランダの一部のメディアが今回の件を嗅ぎつけてニュースを出しやがりました。」

「まあ、自国の海軍兵が死んでるなら止むを得んがな。そういえば、例のイタリアの将軍は死んだのか?」

「遺体はありませんが、おそらく死んだでしょう。」

随分飄々と死んだと言い切る男だ。場数の問題か。

「お前自身、他人が死んだことに対してはどう思う?」

「気の毒だとは思いますが、海軍に志願した時点で覚悟は決めるべきでしょう。」

「水死体を引き上げた兵士はさぞ辛いだろうな。」

「私は南海トラフ地震のときに経験済みですがね……。」

そういえばそうだ。こいつは南海トラフ地震のとき掃海隊員として海に流れた仏さんの回収の任務についていたな。

「遺体はもはや男女の見分けもつかなくなっていました。私が拾い上げたものは他のものの半分ほど小さい黒い肉の塊で手のようなものを持つと辛うじて親指のようなものはありました。しかし、関節の腐敗が進んでいて、少し引いただけで鈍い音を出して肘から千切れました。あとから医官に聞いた話では推定年齢5歳の子供だったらしいです……。てっきり自分は上半身の一部かと思っていました。もう……死体を見ても何も感情は湧きません。」

「すまん、無神経なことを言ったな。ところで生存者は?」

「なんとか引き上げた人間から事情聴取を行っているようですが、有力な情報はありません。CIC(戦闘指揮所)に詰めていた人間はイタリアもオランダもみんな死んだようです。どうにか生き残ったのはみんな艦橋やヘリ甲板にいた人間だけです。」

通常、戦闘時に情報が集まるのはCICと呼ばれる場所だ。だいたいの艦船では船体の真ん中にこの部屋がある。魚雷攻撃を受けた場合、いわゆるキール(竜骨:船を支える背骨のようなもの)が真っ二つにへし折れるので、同所に詰めている兵士の生存率は極端に低下する。今回は戦闘配置についていなかったうえに、総員離艦指示も発令されていなかったので艦内にいた人間は避難できなかった。また魚雷による攻撃を受けた艦船は急速に沈没するため、もし運よく外に投げ出されたとしても、船が海に飲まれるときに発生する渦に飲まれて溺死、もしくは残骸に巻き込まれる形で体が裂けて絶命する可能性が高い。救助を待てたにしろ低体温症に陥り意識を失い、二時間放置されればほとんどの人間は生きて帰れない。海軍兵にとって沈没とは死と同義なのだ。

「部下の様子はどうだ?」

「怯えています。」

まあ当たり前だな。

「すまん、話がそれたな。用件はなんだ?」

「幹部候補生学校のI教官ををうちに寄こしてほしいのです。」

I教官……池内彩音三等海佐、元対潜資料隊……。なるほど。

「意図はなんとなくわかったがなぜ彼女を?彼女以外でも現役の資料隊から要員をひっぱればいいんじゃないか?」

「ええ、ですが一通り隊員の経歴を調べたところ、彼女が適任と考えました。彼女は防衛大のときに一度イスラエルに留学しています。なので同地域での作戦遂行能力に問題はなく、さらに彼女が一尉のときに戦争大学(アメリカ国防大学)にいたときの卒業論文の題名と内容が非常に興味深くてですね。」

「そのタイトルは?」

「国際海峡における潜水艦対処においてその攻撃が国際海洋法に抵触する危険性のあるときこれを正当化する方法。」

正当化か、どストレートだな。

「正当化の必要性があるのだな。」

「当然です。戦争は軍事的勝利と多数派の大義の獲得の両方を成し得なければ勝てませんからな。」

「わかった。三佐をアフリカに飛ばせばいいんだな。」

「ありがとうございます。追って海幕とも話を通しておきます。」

「一介の将補が個々人の人事に口を出せるのか?」

「忘れましたか先輩、私の階級章は少将でも情報のアクセス権やらなにやらは中将クラスなんですよ。」

「そういえばそうだったな。上級少将みたいなものか。」

「まったくありがたいことです。栄誉礼冠譜は二回のままですがね。では失礼致します。」

「おう、お疲れさん。あ、ちょっと待って。」

「なんです?」

「死ぬなよ。」

「善処します。」

「怖くないのか?」

「死ぬのは怖くありません。死ぬ前に痛いと嫌ですがね、脳幹を一発で吹き飛ばしてくれる狙撃兵が敵にいると嬉しいですが。」

「やめとけ、ろくでもない。お前の死体を拾う水兵の身にもなってやれ。」

「そうですね。できる限り生きてみます。」

「おう元気でな。」

最後少し笑ったようだが。明らかに不機嫌な声だった。権限や責任の範囲は上がっても階級も給料も変わらないならそれはやりたくないわな。俺じゃなくてよかった。他人の不幸をしり目にして、所定の業務が終わったあと、私はベッドに身を投げた。


七月二十四日

「起きろよ起きろよとっとと起きろ、起きぬと教官さんに殺される♪」

お約束の起床ラッパで目が覚める……。わけではない。教官や当番は候補生が起床する三十分前には起きて準備を済ませている。校庭を睨むと、候補生が整列して海上自衛隊体操を行っているところだった。私も急いで容疑点検を済ませる。第一種制服、海将補旗を持った海曹と副校長、学生部長、各先任伍長を付き従え、グラウンド中央のステージに立つ。そこで待っていると、朝のランニング終えて、なぜか朝食前に一種礼装を着用して集合するよう命令を受けた候補生たちが不安の籠った顔で隊列を整えやってきた。不安を抱えつつもその隊伍は一糸乱れず、軍靴の音を高く、均一に響かせながら。「ゼンターイ、止まれ。全隊整列。校長に対し、敬礼。」、候補生の学生隊長が大きな声で号令をかけて私に敬礼をする。私も敬礼を返す。私が挙手の礼を下ろすと学生隊長、候補生が全員敬礼から直る。「シュッ」と音が一斉に鳴った。

「学生諸君、いい朝だ。おはよう。」

「「おはようございます。」」

「諸君、早速だが良くない知らせだ。戦争が始まった。」

学生全員の顔が一瞬曇る。

「ヨーロッパ、中東、我が国を結ぶ大動脈においておととい二隻の同盟国の艦艇が攻撃を受け、撃沈された。さらに民間のタンカーにまで被害が出始めた。スエズはもうすぐ航行不可に陥るだろう。日本の自衛隊は同地域に展開され、この対処にあたる予定である。そこで……。今一度貴官らの覚悟を問いたい。当然だが戦争とういうことは人が死ぬ。それは私かもしれないし、今貴官の隣にいる同僚、そして他ならぬ貴官かもしれない。さあ、今こそ服務の宣誓を思い出すときだ。事に臨んでは危険を顧みず身を以て責務の完遂に努めもって国民の負託に応えることを誓います……。その誓い、果たせるか。自分の胸に手を当ててよく考えてくれ。覚悟のあるもののみここに残れ。何、ないと言って抜ける者がいても決して私は怒らないし、嘲笑もしない。」

一瞬の沈黙が起きる。しかしその沈黙を破る一つの声が鋭くグラウンドに響いた。

「センセーイ、わたくしはー我が国のー」

「「平和を守る自衛隊の使命を自覚しー」」

「「「日本国法令及び法令を遵守しー」」」

一つの声が二つに、二つの声が三になり、最後に候補生全員が声を揃えた。

「一致団結、厳正なる規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し」

やがて教官や周りの隊員も声を上げる。

「心身を鍛え、政治的活動に関与せず」

気付けば私も声を張り上げて

「強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず身を以て責務の完遂に努めもって国民の負託に応えることを誓います。令和三十六年度、海曹長!秋川俊介、浅沼和彦、井上綾香……増田海斗、湧水結衣、和田浩平、!!」

「以上候補生一七六名!総員覚悟はできております!」

一瞬何が起きたかわからなかったが、全員が覚悟を示したことがわかった。するとなぜか学生指導部長が感極まって、「澎湃寄する海原のー」と歌いだし、

「大波砕け散るところ」

「有史悠々数千載」

「ああ光栄の国柱、守らて止まじ、身を捨てて」

「ああ江田島の健男児、時至りなば雲呼びて、天翔けゆかん蛟龍の地に潜むにも似たるかな、斃れて後に止まんとは、我が真心の叫びなれ。」

江田島健児の歌(旧海軍兵学校校歌)まで歌い上げてしまった。だが今回の一件で学生の覚悟がわかった。この子たちには覚悟がある。この国を守り抜く覚悟が。


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