緊急事態

東京都新宿区市谷—―海上幕僚監部廊下にて

「お疲れ様です」

「あざっす。」

「お疲れ様です。」

「あざっす……(疲れるなあ)。」

自衛隊では上官とすれ違う際、基本的に止まって敬礼せねばならない。そして当然、受礼者もそれに答礼しなければならない。将補になった今、上級幹部であるはずの一佐、二佐クラスからも平気で受礼するようになってからめんどくさいったらありゃしない。海上幕僚監部に直接所属する将官は一度敬礼を受ければその日は同じ人からは軽く会釈される程度で済むが、幕僚監部に所属していない、実施部隊の司令官たる将官の場合はすれ違うたびにずっと敬礼され続ける。いちいち挙手の動作行うのはめんどうなので、常に敬礼の姿勢を取りながら歩く。さながら一人観閲式だ。自分も中尉か大尉くらいまでは憧れていたが、今はあまりどうとも思わなくなった。

「よう、久しぶりだな北村校長。」

懐かしい声が聞こえた。随分と老けたものだ。

「誰かと思えばこれはこれは俵藤ひょうどう横須賀地方総監殿。」

一緒にいた当直幹部の一尉が不安な顔になった。よく見ると相手の先任伍長も青い顔をしている。

「念願叶って、将補昇任おめでとう。」

「将補に昇任したのは二年前ですがね、俵藤海将こそ首都防衛の地方総監なんて任を幕僚監部勤務からわざわざ離れて就任されるなんておめでとうございます。」

周りの自衛官全員がざわついた。

「そこらへんにしておけ。“この緊急事態”に。」

「「はっお疲れ様です。海幕長。」」

現れたのはいいかい海上幕僚長その人であった。俺たち二人以外にもどんどん将、将補クラスが集結してくる。その副官、補佐、護衛を伴った大名行列が一つの部屋に集結した。防衛省地下八階。核攻撃にも耐えうるとされるその部屋に陸海空の将官、各高級幹部幕僚、そして警備隊。どうやら外には臨時で移動式の電子線兵器、中距離地対空誘導弾までが準備されているらしい。たしかに海自幹部には房総半島沖にはイージス艦二隻が展開しているとの情報も共有されている。空自のF35戦闘機も滑走路待機している。一体何事なんだ。

「全員揃ったか。」

中央にいるのは統合幕僚長、坂上実さかうえみのる空将である。

「では、町村まちむら海将補、事態について説明していただきたい。」

中央の画面にイスラエルで任務中の町村海将補が移った。通信の中継地点を数か所置き。一部は米軍の衛星を経由して傍受を防いでいるらしい。どういうことだ、そんな通信を傍受できるのはアメリカと中国くらいしかない。中国はもはや仮想敵国ではないのに。

「はっ、戦闘服のまま失礼いたします。昨日、日本時間二三〇五時。ソマリア沖アデン湾で警戒中のイタリア海軍の駆逐艦「マルカントニオ・コロンナ」が撃沈されました。さらに同艦の北西十五キロを航行中だったオランダ海軍駆逐艦「トロンプ」も同様に撃沈されました。今回の会議の目的は事案の詳細の報告及び今後の当該事案に対する対応を仮決めすることです。」

(なっ、両方とも第一線級の艦艇だぞ)

「上空から二隻を撮影したところ、両方とも船体が真二つに裂けており、長魚雷、もしくは対艦滑空爆弾により攻撃されたと推定。周辺海域の安全が確保されるまで救助は上空からのみ実施しています。イタリア海軍の駆逐艦には中東停戦監視団幕僚ロレンツ・キアーラ陸軍少将が座乗しており、同将軍の安否の確認は取れておりません。同地域展開中のイタリア軍部隊最高司令官であるので、同艦にはイタリア軍の主要将校団が乗艦していた可能性もあり、現在イタリア本国の参謀本部に確認しているところです。私はつい一時間前まで監視団の緊急招集会議に出席しておりまして、資料の作成が追い付いておりません。本会議の途中で派遣部隊副司令が作成しました資料をお配りしますが、それまで申し訳ありません。口頭質疑により情報を共有したいと思うところでございます。」

「ご苦労、少しは寝れたのか?」

海幕長がそう言うと町村将補は

「ええ、三十分ほどぐっすりと。」

まったくご苦労なこった。

「まず、何から攻撃されたかが重要ですな。地上からなのか、海からなのか、海なら水上艦なのか、潜水艦なのか。現場の感覚としてはどうかね。」

俵藤がさっそく質問をする。会議で先陣を切るのはやはり一番うまい。

「はい、私は潜水艦と睨んでおります。理由としましてはまず航空攻撃の場合、水上艦のレーダーは攻撃を行った航空機を補足することは困難ですが、近づく兵器に対しては何等かの対応をする動きがあるはずです。さきほどの会議では両艦とも戦闘配置はついていなかったとの情報を受け取っております。また地上からの砲撃の場合、攻撃を受けた地域と過激派などが存在するエリアの距離からするに航空機による観測を必要とする距離です。どのレーダーサイトにもそのような機体は確認されておりません。よって現実的に二隻を攻撃できるのは潜水艦と考えるのが妥当かと思います。」

「私は陸の人間なので詳しいことは知りませんが、機雷に触雷した可能性はないのですか。」

陸将からも質問が飛ぶ。

「はい、その可能性もあります。しかしほぼ同時刻に二隻が同時に触雷する可能性は極めて低いです。」

「仮に潜水艦攻撃だとして、一体どこの国の所属なのでしょう。」

「まったく情報がないので断言できません。現在、過去の中東戦争の旧アフリカ連合軍に所属する艦艇を照合し、武装解除に至っていていない、もしくは確認漏れになっている潜水艦ないし潜水艇がないかの確認をしている状態です。」

「今回襲撃されたイタリア艦に将官が乗っていたとのことですが、あえて狙われたのでしょうか、あるいは偶然でしょうか。また、同艦に将官がいるのを把握していたイタリア海軍以外の人間はいますか。」

「はい偶然だと願いますが、内通者がいた可能性もあります。また、将官が座乗していたことを知る人間についてですが、これは不特定多数としか言いようがありません。正式に通告などは来ていませんが、同艦には少将旗が掲揚されていたのでそれを目撃した軍人、市民、商船の乗組員も全員が容疑者です。」

今回の事態の解決のためにせねばならないことは主に二つ。一つ目は今回の攻撃が行われた手段の特定。二つ目は攻撃を行った勢力の特定である。この二つが特定できない限りは何もできない。そろそろ私も発言するとしよう。

「町村将補、今のところ民間の被害は出ていないのですね。」

「はい、確認されておりません。」

「現在、ソマリア沖に展開中の海上自衛隊部隊は対潜戦を戦えますか。」

「対潜戦があるという想定を行っていなかったのでかなり厳しいです。対潜哨しょうかい機についいても洋上の海賊船監視を目的としており、短魚雷は数発、護衛艦も対潜ミサイルは数基だけです。ヘリから吊るす爆雷についても残弾数は十分ではありません。」

「自国の艦船を保護するための対潜戦すらも不可能ということですね。」

「はい。」

「アデン湾の付近に展開中の多国籍部隊の艦隊もほとんど対水上戦特化型でしたよね。」

と海自航空集団司令。

「はい、海賊による魚雷攻撃は想定していませんでしたので。」

どの国も対処は不可能か。

「スエズが止まる……。」

その海幕長の言葉に全員が言葉に詰まった。スエズが止まる。それは海国日本の危機を意味する。ヨーロッパへの輸出品のほとんどはその海域を通る。その海域で日本の商船隊の安全を担保できなくなれば、すべてが破滅するのだ。

「やはり当該事案は重要危機事態と認定される可能性が高いですな。」

全員の視線が一人の人物に集中した。この会議室にいる文民のトップ。小野田おのだ防衛事務次官だ。自衛官はあくまで武官でありシビリアンコントロールのもとで行動する。事務次官は官僚組織のトップであり、発言の重みが政治家とは違う。実行するのは常に役人だからだ。

「日本としてはいち早く現地の事案を解決し、すぐに海上交通路を確保したい。自国の平和と安寧のため私は防衛大臣と総理にことの次第を説明し、どうにかこの脅威を日本国の手で直接排除できるようにしたいと考えております。」

「小野田次官、それは自衛隊の出動を望んでいるという理解でよろしいですか。」

統幕長が低い声を出した。

「その通りです。」

事務次官は迷わず言い切った。

「では派遣ならびに出動の命令が来る前提で、派遣する部隊、規模、装備についての議論に移ったほうがいいのではないでしょうか。」

俵藤海将が話を前に進める提案をした。

「会議中、失礼いたします。ただいまイスラエルより、あずま副司令から資料の情報が届きました。印刷したのでお渡しします。」

会議室に段ボール一個分の資料を持った幹部自衛官たちがやってきた。各一部ずつ迅速に配布していく、そのついでに空になった水のペットボトルを新品のものに入れ替えていく。言っておくがこの作業をしているのは下士官兵ではない。士官だ。改めて思うが少佐や大尉が雑用として扱われるこの部屋はかなり異様なのだろう。しばらく全員が資料に目を通すための時間と小休憩が行われた。画面の向こうで監視団に派遣されている曹長が乾パンをかじっているのが見えた。どうやら満足に食事もとれていないらしい。自衛隊の乾パンには金平糖と柑橘系のはちみつが付属している。この曹長はチューブに入っているはちみつを直接吸いながら乾パンをときどき口にしていた。他の周りの隊員たちの表情も見えたが、みな疲弊している。現在時刻は午後二時、事案の発生は昨日の午後十一時……一睡もせず、日本大使館とイスラエル国防省を行き来する者、他国の駐在武官との連絡を取り続ける者。監視団の通信指令室に詰める者、護衛艦で総員配置についている者。平和な日本では想像もできない戦時の自衛隊員の姿が画面の向こうにはあった。

「では、自衛隊の派遣部隊とそれに付与する権利、交戦条件の策定を行います。」

次に会議を取り仕切ったのは統幕長ではなく小野田次官であった。

「まずは当時第十五護衛隊司令として「宗谷海峡不審潜水艦浸透事件」で指揮を務めた北村海将補、ここには陸上、航空の要員もありますので、対潜戦の基本的な動きについて簡単に説明願いたい。」

なるほど、だから幹部候補生学校校長の俺がこんな実戦関連の会議に召喚されたわけだ。「宗谷海峡不審潜水艦浸透事件」……、忘れもしない。この事件は当時崩壊したロシア旧海軍の原子力潜水艦が日本の領海を侵犯し、民間フェリー一隻、海上保安庁の巡視船一隻を撃沈。さらに、乗組員の一部が略奪のために礼文島、利尻島に上陸し、銃撃戦が起きた事件である、民間人を多数含む死者二百一名、負傷者九百五十四名を出した。当時、俺は青森県大湊おおみなと基地所属の第十五護衛隊の司令であり、北海道、青森、津軽、宗谷海峡の一道一県二海峡の警備を担当しており、この戦闘を指揮した。

「はい、まず対潜戦は敵の索敵から始まります。オーソドックスな方法は対潜哨戒機、哨戒ヘリを用いて敵潜水艦の位置を特定し、対潜兵器を用いて攻撃します。水上艦単体で潜水艦を攻撃することはできなくはないですが自殺行為です。潜水艦の長魚雷の射程は対潜ミサイルの射程をはるかに超えている上、探知できたとしても途中で見失う可能性が高く、見失った場合には生還の可能性はほぼゼロになります。そのため水上艦の場合は基本三隻以上で行動しなければなりません。潜水艦同士の一騎打ちの場合は五分五分です。乗組員の練度の差がもろに出ます。海自の潜水艦乗りも優秀ですが、彼らも二隻の一線級駆逐艦をほぼ同時撃沈しています。もし正々堂々殴り合うなら犠牲を覚悟すべきでしょう。」

「つまり、水上艦ならば三隻、一個護衛隊以上。航空部隊も哨戒機二機、哨戒ヘリ四機ほどが妥当ということでしょうか。」

「日本の自衛隊単体で徹底的に叩き潰すなら対潜装備に換装した一個護衛隊四隻。対潜魚雷を満載した哨戒機四機、各艦艇の支援の哨戒ヘリ四機、潜水艦一隻。補給艦一隻、そして対潜戦専用の司令部を設置する必要があるでしょう。」

「現在の中東派遣水上部隊は汎用護衛艦一隻と哨戒機二機と哨戒ヘリ一機でしたな。」

「そうですね。現在補給部隊に関してはイギリス海軍と中国海軍が当たっていて、目立った問題がないので補給艦の派遣の必要はないと思われます。」

俵藤海将が淡々と答える。

「では、では日本本国からは一個護衛隊四隻と潜水艦一隻を派遣するという形でよろしいでしょうか。」

「いいえ、次官。監視団としましては潜水艦の派遣は難しいと思います。」

町村将補が食い気味に答えた。

「なぜですか。」

「監視団全体で指揮が統一されていない以上、海自の潜水艦が敵潜水艦と誤認される可能性が高いと思われるので、可能な限り、航空部隊と水上艦隊のみで作戦を実行することにより同士討ちを避けて団結して事案の解決に当たれると思われます。」

確かにそれは非常に重要な問題かもしれない。もし日本の潜水艦が当該海域に進出していることを知らない国の海軍がもし仮にその潜水艦を撃沈したなら国際問題になる上、情報の統制がうまくいかなければ、事件を起こした国が日本と言いがかりをつける国もあるかもしれない。

「……わかりました。そういうことなら仕方ありませんな。」

「水上部隊を支援する地上部隊の追加派遣の必要もありませんか。」

深田ふかだ陸上幕僚長が発言した。

「たしかに今後、地上での戦闘も増加するでしょう。多国籍軍がそこまで要求するかわかりませんが、基地警備の部隊の増派は検討していただきたい。また基地警備に当たっているものの中には実戦経験のない新兵もいます。彼らのサポートのできる古参兵部隊の参加も強く希望します。」

と町村将補。

「わかりました。すぐに先の戦争で実戦を経験した連隊等から引き抜ける中隊がないか調整します。」

「航空自衛隊としてできることはありますか」

柳瀬やなせ航空幕僚長。

「現在、海上は文字通り危険にさらされております。そのため増援の陸自部隊の輸送支援をお願い致します。」

「わかりました。可能な限り長距離輸送機をかき集めます。」

「それでは派遣する追加部隊は護衛艦三隻、陸上自衛隊部隊一個連隊規模。航空自衛隊、輸送機三機程度にするとういうことで将補以上の方と本省次長級の官僚で多数決をとらせていただきたい。構いませんかな、統幕長。」

「構いません。」

ここに列席している将官はそれぞれ陸上自衛隊十八名、海上自衛隊八名、航空自衛隊十一名、防衛省職員次長級以上二十名の計五十九名。多数決の結果は賛成三十六、反対二十、棄権三となり派遣部隊の概要が決定した。

「続いて交戦条件の策定を行います。例として前回の作戦における交戦規定は次の通りです。」

スクリーンに資料が映る。概要としては正当防衛、多国籍軍の指定した敵、地上の目標および水上の目標については警告して応答がなく差し迫った脅威と認識される場合。海中、空中の目標は国籍の表示を確認し敵国のものであると確認できた場合。表示を確認できない場合についても部隊指揮官が部隊に被害をもたらし得ると確信した場合に武器の使用を認めるというものだ。武器の使用制限については実質の無制限使用であった。

「今回の作戦行動ではすでに僚艦が撃沈されているので、目標が海軍に所属にしていない船舶で、武器を搭載していると確認された場合、あるいは潜水艦の場合は先制攻撃を許可するものとするのはいかがでしょうか。」

「それで行きましょう。基地警備についてはどうしましょうか。」

と統幕長。

「基地の数百メートル付近に警備線を敷いて、侵入したものに口頭警告、上空に銃を向けての威嚇射撃、身体に向けての威嚇射撃もしくは車両に対する危害射撃を実施し、なお交戦の意思を示す場合はこれに危害射撃を加える。という従来のやり方で対処できますでしょうか。」

と第一師団長。

「警備線を二重に引き、二つ目の警備線を越えた段階で武器をもつ場合は即刻攻撃すべきです。」

戦闘経験をもった空挺団長が力強く言い切った。

「警備線を二つ引くのはいいのですが距離としては機関銃の射程外に設けるべきです。」

さすが陸上自衛隊。海畑の私にはよくわからない話が急ピッチで進んでいく。結論としては上空への威嚇射撃を省き、第一警備線を超えた段階で身体に向けての威嚇射撃、第二警備線を越えた段階での危害射撃の実施。使用する最大火器は対戦車誘導弾、携帯式対空ミサイルと決定した。攻撃の終了は敵兵が降伏していてすべての武器を放棄した場合。もしくは脅威が去ったと確認できるまでと決定。多国籍軍部隊に随伴しての地上作戦には今のところ積極的な関与はしない方針で決定した。

「それでは本会議を終了します。国会から出動命令が下った場合に備えておくようよろしくお願い致します。」

一旦会議は終了したが、これから厄介なことになりそうだ。会議の最後の議題は派遣部隊司令官の決定であった。現在、中東アフリカ地域テロ対処部隊の司令官は町村将補(少将相当)である。しかし、今回の増派部隊を合流させると総勢約三千人、陸海空の合同部隊に昇格し、規模としては一個増強連隊クラスから正式に戦闘団クラスの部隊になりその司令には将(中将相当)があてられるのが妥当なのだ。しかし、今回は当該地域での日本と他国の権力のバランス、防衛省の人事異動のタイミングが重なったこともあり、最終的に統幕長が、「町村海将補に海将に準ずる指揮権を付与し、部隊司令の任に充てる。」と言い切った。画面の向こうで町村将補の唇の動きが「給料上がるの?」と動いた気がしたのは私だけではないだろう。画面の向こうでげっそりしている将補の悲壮感といったら忍びない。がんばれ町村将補、貴官の生還の暁には、私と俵藤の名前で功一級防衛大綬章を申請しよう。武運長久を祈る。

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