第37話 楽日


 今の俺の中にはグズグズのメンタルがあるだけだと思っていた。それなのに別の誰かがいるとは何事だ。本村さんは勝手に納得してニヤニヤしている。


「おまえ引き出し少なかったけど最近深みが出てきたし」

「そんなもん俺にありますか」

「各務くん自身はうっすいよなあ」


 失礼だが本当のことを言って大笑いするもんだからロビーにいた人たちが振り向いた。俺を薄っぺらと言っておいて本村さんは頓着しない。


「だからいいんだろ、誰か別人をやるには。ずっと守りの姿勢だったのが吹っ切れてきたし、経験値が上がればもっと良くなる。俺の目が節穴じゃないって証明し続けろよ」


 とても難しくて責任の重いことを言いつけると、俺の拾い主は機嫌良く帰っていった。


「えええ……」


 なんの自覚もないそんなことを言われても困惑するしかない。拾ってもらったからには無価値だったと思われたくはないが、どうすりゃいいんだ。

 俺がというのは確かに反論できない。食べていけるか不透明なこんな仕事に就いたのも、就職活動で否定されまくりお祈りメールばかり届いたら病みそうで怖かったというのもあった。傷つきたくなくて流された結果、今の俺がある。そんな奴に深みなんてあるもんか。

 だけど最近のへこみ具合の結果そういうものがかもされてきたのだとすると、苦労は買ってでもしろという言葉は正しいのかもしれない。と同義だとは知らなかった。どうやら人生は難儀なものらしい。




 そして三日目は千秋楽。昼公演だけの日曜日は満員御礼となってジョーカさんはドア脇で立ち見していた。

 たった四回の本番。それだけのために費やされた労力は膨大で、心をすり減らし金をつぎ込み、そして人間関係が壊れたりもした。だがそれで得られるものは確かにあるのだと思いたい。演者にも、観客にも。

 最後の一人まで客を追い出すと「お疲れさまでしたー!」の声が劇場に響いた。だが次の瞬間にはもう皆が動き出す。バラシだ。


「あー、若返るわぁ。あ、でも素顔もバアさんだった」


 楽屋で顔を拭きながら二ノ宮さんはまた誰もツッコめないことを言う。上機嫌なのは芝居がウケたからなのか、もう面倒なメイクをしなくていいからなのか。

 出演者はまず着替えが急務だ。脱いだ衣装を畳み、ドーランを拭き取ったゴミをまとめ、何もかも片付けて楽屋から撤収しなくてはならない。同じ頃モニターに映る舞台では大道具をどけて灯体が外されていた。夢の跡はもろくも消え失せていく。俺たちが楽屋を掃除し終えた頃にはパンチも剥がされてしまい舞台には何も残っていなかった。

 やっと終わった。




「お疲れッしたーッ!」

「いやなんでおまえが騒ぐの!?」


 何もかもを搬出した後、大荷物を抱えた劇団員たちと共に打ち上げに参加した関根がブーイングを浴びた。事務所NGを入れられず結局本番を観られなかった関根はバラシの終盤で顔を出すと皆と一緒にちゃっかり飲みに来ている。


「だって何も参加できなかったんだよ、打ち上げぐらい騒がせろよぉ」

「うるせえ、売れっ子」


 同期たちにからむ関根はスタジオより甘えん坊だ。憎めない雰囲気なのは確かで、それが彼のウリかもしれない。俺とは真逆。


「僕なんてたいしたことないもんね。春アニメの僕が受けた役、各務さんに決まったんだよ。いーなー!」

「おい」


 まだ発表になっていないことを言うんじゃない。焦ったが、関根はツーンと横を向いた。


「作品名言わなきゃ大丈夫ですよ」

「なんだ各務マジか。んじゃアニメで会うこと増えるかな」


 離れた所からジョーカさんが参戦する。よく聞きつけたな。


「そうなるといいですね」

「今回おまえ頑張ったもんな」

「すみませんでしたァッ!」


 堀さんが大声でガバッと謝罪する。もう酔ってるのかと思ったがウーロン茶だった。そういえば十九歳。舞台監督の瀬戸さんがビールのグラスをかかげて応えた。


「いやゴメン。パンチの浮きを許すなんて俺も悪かった」


 そして一気飲み。瀬戸さんは初日がハネてから雨の湿気で歪んだのだろうパンチをゲシゲシ踏んでため息をついていた。今回の一番のミスだ。


「くっそ! どこの劇場ハコも釘打ちさせてくれねーんだもーん」

がサス位置入るから当てちゃったっス」

「あれズルい! 俺が下手しもてにいたら吊りカゴ引いて落ち葉数枚散らしたのになあ」


 を避けた俺の動きを演出にするため瞬時にサスライトを入れた照明オペレーションには瀬戸さんも便乗したかったらしい。落ち葉を降らせるための籠は上手かみての舞台監督定位置からは操作できなかったのだ。観ているしかできなかった演出家ジョーカさんも悔しがる。


「くそう。現場で起きてる事件に俺は噛めないんだぜ」

「ジョーカさんも次回は出演すればいいでしょうよ」

「やだ。俺トチったら死んじゃう」

「どうしたいんスか……」


 酔ったおじさんたちの会話を聞き流して俺はゆっくり飲んでいた。あまり酔いたくない。酔って堰が切れてしまったら、今のわりと心地よい疲労感はどこかへ消えて、替わりに何が俺からあふれてくるのか考えたくなかった。


「なあ各務」


 楽しそうにグラスを傾けるジョーカさんがふと俺を呼んだ。顔を向けたら酔った笑顔は嬉しそうだ。言っちゃなんだがかわいい。


「かましたな。ハッタリ」


 そう言われて軽くグラスを上げた。さりげなくジョーカさんの隣にいるのは内緒で付き合っている劇団員の女だ。いいから公表して再婚でもすればいい。またすぐ再離婚するのだとしても。

 否応なくやるしかなかったアドリブはハッタリなのだろうか。とけしかけられていた何かは俺にあったのだろうか。ぼんやりしていたら二ノ宮さんがいざって寄ってきた。背中にドンと寄っ掛かられる。


「各務くん自身なんてどうでもいいよ。なんか面白い存在が舞台にいれば客はそれを見るの」


 どうでもいい。そうなのか。


「また何かで一緒しようねぇ」


 二ノ宮さんもご機嫌だが、そんな機会が再びあるとは思えなかった。もう俺は劇団ジョーカーには関わらないだろうから。


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