俺たちは

第34話 愛なんか


「ごめんなさい舞台初日に仕事入れちゃって」

「いえ。なんか売れっ子のような感じで気分が上がります」


 全然悪いと思ってなさそうな座間さんに、俺は軽く敬礼の仕草で応えた。

 劇団ジョーカー公演初日は夜の回ソワレだけだった。楽屋入りは十四時でいい。事務所NGも午後のみにしていたら、朝イチ十時の収録を入れたいんですけどと座間さんに言われたのが一週間前だった。


「ちゃんと十二時出しになってますから」

「少し押しても平気です」

「舞台、観てみたいなあ。明日は私も休みですけど家族サービスってものが」

「いや、ご主人とお子さんを大切にして下さいよ」


 つらつらと適当に会話する能力というのは大事だった。今の俺は本気で上っ面を固めている。でないと昨日のいろいろでメンタルボロボロなのだった。

 昨夜は弱った夏芽を部屋に押し込んで隣に帰った。あいつが大丈夫なのかわからないが寄り添う余裕は俺にもなくて、もう兄貴は戻らないだろうが何かあったら壁ドンして呼べと言い含めておいた。メッセージは開きたくなかった。

 美紗とのトークは帰宅途中で既読にして以降閉じている。悪いけど俺にも仕事と舞台という都合があった。美紗を受けとめるなんて自傷行為を続けていられないと我に返ったのだった。


 今日呼んでもらったのは音響監督辰巳さんのアニメだった。

 彼が手掛ける来春クールがアラン騎士団長で出演する女性向け恋愛『七タン』。冬クールが番組レギュラーに入れてもらった少年異能バトル『ブレない僕らの』。そして秋クールに担当しているのが男性バディの活躍する異世界転移アクション、この『ホーリー・ホロウ』だった。


「おはようございまーす」


 座間さんと並んで副調整室に挨拶に行きオーディションぶりの辰巳さんと相対した。物腰柔らかで控えめな雰囲気だった。


「各務さん今日舞台ですってね。すいません仕事打診して」

「とんでもないです。夜公演なので間に合いますし、呼んでいただいて嬉しいです」

「僕は観に行く時間なくて申し訳ないですけど。中原さんの劇団の出身なんですか」

「違いますが時々混ぜてもらってて」


 ジョーカさんを中原さんと呼ぶ人を初めて見たかもしれない。きちんと一線を引く人なのだろう。

 なあなあの仕事はできない、と気持ちを引き締めた。今日の俺の内心はグダグダだが、それでも声にだけは芯がなきゃいけない。


「あの、今日の役はけっこう江戸弁な感じでしょうか」

「そうです。落語されるんですよね、プロフィールにあったんで」

「あ、それで」


 確認した俺に辰巳さんはニコニコと答えてくれた。今日の台本は和風異世界に迷い込む筋立てだった。俺はそこにいるべらんめえ口調の男の役だ。


「……やってたのが上方落語じゃなくてよかったです」

「うわ! その可能性考えてなかった!」


 ハッとなった辰巳さんが叫んで周囲がガックリした。もしかしたら意外とうっかりさんなのかもしれない。


「俺、江戸落語です。頑張ります」

「よかったあ。お願いしまーす」


 きまり悪そうな辰巳さんにペコリとして俺はブースに移動した。もう来ていた声優たちに向けて挨拶し、尋ねる。


「どこ座れますか」


 レギュラー陣は使う椅子やマイクがほぼ決まっている。ゲスト出演の場合その邪魔をしてはいけないのだった。ちょい、と隣を示してくれたのは俺と同年輩の女性だった。


「こちらどうぞ」

「ありがとうございます」

「……各務さんて『七タン』入ってますよね」

「はあ」

「んじゃそっちもよろしくです。私ナタリー役の外山とやま璃乃りのです」


 ナタリーとは『七タン』のヒロインの名前だった。主役って他の出演者までチェックしてるのかと思ったら首を振られた。


「PV制作の話で聞いたんです。第一弾でナタリーは一言で、ナレーションはアランにやらせるって」

「え? それ知らないです」

「ふふふ。そこではキャスト発表ナタリーだけにしてナレーションしゃべってる人も役も秘密にするとか。あおってますよね」

「なん、なんでそんな」

「各務さんアニメあまりやってきてないでしょう。聞き覚えがない声が出たらファンが声優当てクイズ始めるじゃないですか」

「……絶対わからないやつ」


 そんなの後日正解発表したら炎上するんじゃないか。俺がとばっちり食うのではと雑談していたら収録が始まってしまった。

 俺がやる役は、最初冷ややかに主役たちをあしらい嵌めようとする。だが実は好きな女のために画策奔走している男だった。後半では抑えた愛を語らなくちゃならない。

 俺には愛なんてない。好きな女もいない。それでも参考になるものなら見てきている。

 昨日は重い気持ちを送信された。落語会では人殺しも辞さない情念を聴いた。先生と奥さんの気づかい合う姿にも愛が見えた。そんなものたちを空っぽの俺に詰め込めばしゃべれるんだ。俺は硬く鎧った上っ面のままで強く愛をなぞった。


「――はい、いただきました。ありがとうございました」

「ありがとうございまーす。お疲れさまでーす」


 ミスもなく録音は終わり、俺はあちこちに挨拶しスタジオを出ようとした。そこで呼び止めたのは外山さんだった。


「各務さんてアニメ少ないと聞いたんですけど、お芝居とかをやってたんですか」

「……多いのは外画ですね。舞台なら今日これから」

「え」

「中原ジョーカさんの劇団に客演で」


 どうして話しかけられたのかわからないが答えた。小さく会釈して外に出る。昨夜からの雨はやみかけていた。さて劇場ハコに行くか。

 実はこの舞台で演じる遥平も愛に迷う男だった。隣の葬儀場の喪主である年の差夫婦の未亡人に横恋慕して言い出せずにいる。そりゃ年上夫の闘病中から口説くのはハードル高過ぎるが、それでなくても内気で物静かな和カフェ店主という設定だった。


「黙って愛をかもし出すとかさぁ……」


 わりと無茶な要求だ。でも言葉がなくとも愛が見えるのは先生夫婦で実感してしまった。あれをやるしかない。

 それにしても夏芽の恋路は絶対に成就しないのも確信できていた。

 少し不憫だった。


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