第22話 かけがえ


 一週間ぶりに合流した稽古は衣装合わせだった。久しぶりの通し稽古だが、制作的なところも同時に進めないと時間がない。

 ドーランをスポンジで肌に叩いてテカリを抑え、色の濃淡で凹凸を作る。ペンシルで眉を描き目の縁をくっきりさせる。遠くからでも表情がわかるように。だが俺の役は実年齢とあまり変わらないのでメイクは軽くていいし着物は自分で着られる。のんびりしたものだった。


「こら両親、おまえら老けすぎ」


 ジョーカさんが嘆くのは四十代真ん中設定の父と母。演者が二十代後半なのでどうしても老けメイクをせざるを得ない。でも五十代のジョーカさんは「俺より若くしろよ」と言うのだった。


「ジョーカちゃんが若作りだからいけないのよぉ」


 ヘアシルバーで白髪にした二ノ宮さんは、ほうれい線と目じりの皺に加えてを顔に書き足しながら文句を言った。


「そんなチャラい服着ていいなら若くできるけど」

「葬式だっつってんでしょ」

「こうして揃ってみるとホント辛気臭い見た目よねえ」

「陽気な葬式って何?」


 喪服じゃないのは高校制服の主役と葬儀社の駄目社員と火葬場の有能社員、デリバリーの軽薄兄ちゃん、そして俺。半数以上が黒ずくめで本当に暗い絵面だ。ジョーカさんがぼやいた。


「レナちゃんの制服スカート、ピンクのチェックとかにすればよかった」


 レナというのは堀さんの役名だ。美紗の代役に立つ曽根さんがケラケラと笑った。


「そんなアニメみたいな制服」

「いいじゃん、舞台の嘘だよ」


 曽根さんは舞台育ちの人で、演出の勘所を押さえあっという間に役を入れてくれたらしい。劇団と無関係の若い女優が加わったことで堀さんへの風当たりは表向き少し減ったようだった。


 本番まで三週間、俺が参加する通し稽古は残り六回だった。劇場ハコに入って仕込んだら場当たりゲネプロ。本番を三日間で四回やったらバラシ。それだけ。

 この舞台が終わればもう、俺は劇団ジョーカーに関わらないだろう。美紗と並んで周りに気を遣わせるのは嫌だ。残念だが、アニメの方にも仕事が広がり忙しくなってくれればいい。

 あの言い争いから美紗に連絡はしていなかった。俺から謝るようなことは何もないと思っているし、謝ってもらうことも別にない。怪我が落ち着けば向こうが稽古場に顔を出すと思っていたが、まだ来ていないそうだ。

 このまま舞台が終われば、顔を合わせることもなくなり二度と会わない。できればその方がいいと考えてしまう俺がいた。本当にクズだ。何かを終わらせるのは、始めるよりよほど難しかった。

 美紗はどうするつもりなんだろう。公演は美紗抜きで回っていく。美紗が築いてきたものを曽根さんがあっさり上書きして、いい舞台が出来上がるだろうと思わせる。

 いくらでも取り替えのきく女優、鮎原美紗。

 代役なんてすぐに見つかるのだった。実際そんなものだし、かけがえのない存在になど簡単にはなれないし、せめて恋人にぐらいそう思ってもらいたかったかもしれないが俺にはできなかった。

 唯一無二、てなんだ。誰か教えてくれ。




 誰かとヒョイと取り替えられないよう、俺は淡々と仕事をこなしていた。

 吹き替えドラマは間もなく最終回だった。半年に及んだ安定した仕事レギュラーがなくなる。お願いだからシーズンツーも制作・輸入してほしい。ほとんど定期的に呼んでくれる米沢さん音響監督の映画だって結局は単発の仕事だし月に二、三回じゃボロマンションの家賃にもならなかった。

 ちょこまかと本村さんが入れてくれるボイスオーバーやドラマ、それと地味なナレーションのおかげで俺は今まで食ってきたのだが、ここにきて座間さんが回してくれるアニメのゲストが強力な財布になりそうだった。しくじるわけにはいかない。子ども向けアニメでは友だちのお父さん。ラブコメだとモブのチンピラ。立て続けに入った予定に座間さんの本気を感じた。ありがとう、アラン。騎士団長のおかげで俺は生き延びるかもしれない。


「冬アニメの番組レギュラー、決まりましたよ」

「――は?」


 告げられたのはラブコメの台本を取りに事務所に寄った時だった。座間さんの周りでデスクたちが小さく拍手する。


「作品は『ブレない僕らの救いの手エクス・マキナ』。管理者ハンドラーっていう固定の役もついてますけど、そっちは出番少なくて」

「え、えーと、エイムうちのユニットですか」

「いえ」


 呆気に取られてどもってしまった俺に、座間さんはドヤ顔で微笑んだ。


辰巳たつみさんのご指名です」

「たつ……あ」


 それは『七タン』の音響監督さんだ。アランからの流れか。どうりで座間さんが得意げなわけだった。


「毎週いろんな役を振っていただけると思うんでガツンといきましょう。辰巳さんに食い込めば強いです」

「――はい」


 辰巳さんは切れ目なく人気作を手掛けている。音響監督としては中堅どころといえるだろうが、だからこそ自分の手駒の若手を欲しがっているに違いなかった。大御所声優に無茶ぶりはしにくいから。ここで使えると思われればコンスタントに彼のアニメに入れるかもしれない。そうなれば他の監督にも波及する。

 これはたぶん、俺がこの世界で生き残るかどうかの正念場だった。



 午後収録の子ども向けアニメを終えて帰宅した俺は心を入れ替えて弁当ではなく惣菜を買った。サラダも。米は炊く。よし、偉い。

 大丈夫、俺は生きていける。

 一つのことを繰り返しきわめていく芸事とは違うものだが、俺のやっていることは無駄ではない。誰かの娯楽になる点では落語と同じだ。そしてアニメでも映画でも、観て生活が豊かになるのなら気に入りの器で食事するのと同じこと。橘さんにも夏芽にも、恥じることなどないんだ。

 少し気持ちを強くした俺は、三週間も懸案だったことに手をつけた。美紗へのメッセージ。

 アプリを開いたまま何を言うか長いこと迷った。結局たいしたことは打てなかった。


〈調子どうだ〉


 その日、既読はつかなかった。


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