誰も彼も

第23話 季節はうつろう


 十一月にもなると朝はそれなりに冷えるようになった。俺が出掛けるのは早くても九時なので日が当たって暖まるが、布団は気持ちいい。気合を入れて起き上がりインスタントコーヒーを飲んで外に出た。たまには美味しいモーニングをと思うが仕事が朝イチじゃない時がいい。

 商店街を駅に向かっていると見覚えのある人がいた。大家さんぽい大矢さんだ。道の端にある町内の掲示板に何かを貼っている。後ろを通りすぎようかと思ったが、ピンで留められたチラシに目を奪われた。橘さん。


「おや、おはようさん」

「おはようございます」


 気づかれてしまったので挨拶を返す。チラシはあたり屋で開催する落語会の案内だった。荒くコピーされた写真は橘さんというか、松葉家さの助。そうだった、来いとは言われていないがこれも気になっていたのだ。


「夏芽ちゃんに聞いたよ、さの助さんの知り合いなんだって?」

「はあ。大学の先輩で」

「よかったら聴きにおいで。ご招待でいいから」

「いえそんな」


 すばやくチラシを確認すると、定席の木戸銭よりも少し高い。だが蕎麦と天ぷらなどがつくのだから良心的な設定だった。


「この日は……今のとこ空いてます。ただ仕事が急に入るかもしれないので、定員いっぱいなら遠慮しておきますが」

「いやあ、埋まらないからチラシ貼ってるんでね。仕事が平気そうなら当日でもいいから連絡おくれ。夏芽ちゃんに伝えてくれてもいいし――なんだかあの子、ここんとこふさいでてさ。声かけてやってよ」

「え、そうなんですか」


 暗い顔の夏芽。そんなもの想像できなくて面食らう。


「かがみんと喧嘩でもしたのかと思ったけど違うのかい」

「してませんよ。だいたい俺はただのお隣さんです」

「なんだ彼氏じゃないのかあ。つまらないねえ」

「……世話焼きの大家さんみたいなこと言わないで下さいよ」


 苦笑いで返したら思いきり笑われた。大家さんなんてものは店子たなこの面倒をよくみて縁談をまとめたりするものだ。大矢さんはそれを地でいっていた。


「だってあたしァだからね。そんじゃ落語、おいでよ」


 軽く会釈して俺は歩き出した。電車一本遅れたかもしれない。まあ余裕はあるからいいのだが。

 案の定予定とずれた電車に乗り、俺は少し憂鬱になった。お座敷の落語会か。たぶん一席聴いてから蕎麦御膳をいただく流れになるのだろう。さの助さんをお客さまが囲んで。ならば俺とも話すことになる。知り合いだと席主にバレているのだからお声がかかるのは必至だった。

 まあ、いい。別に俺にやましいことも臆することもないんだ。俺だってちゃんとやれることをやっている。仕事を積み重ねている。橘さんとは違う方向性ではあるけれど。俺の中にがないと言われようとなんだろうと、何かしらはあるのだと信じるしかないのだった。

 それでも冴えない気分を切り替えるためにメッセージを開いた。聴きに行くと橘さんに伝えよう。そう決めてしまえば腹がくくれる。


〈そば屋の会、行きます〉


 それだけ送ってからいちおう付け加えた。


〈仕事がはいらなければ〉


 素っ気ないが、あの人相手ならこれでいいのだ。向こうだって今さら俺に慇懃な態度を求めてやしない。時候の挨拶など入れたら逆に気持ち悪がられるだろう。

 アプリを閉じかけて思い直し、美紗のトーク画面を開いた。昨日の夜に俺が送ったメッセージはまだ未読のままだった。完全に無視なのか。ならばこちらから削除してしまおうかとも考えたが大人げないのでやめる。ずっと何も言えなかった俺も悪い。


「めんどくさ……」


 口の中でつぶやいた。線路脇の桜並木はいつの間にかかなり葉を落としていた。まだまだ暖かいのに、急に冬めく景色になんだか青空が白ちゃけて見えて気がめいった。

 ポコンと通知が鳴った。確認すると橘さんからのスタンプだった。扇子を持って蕎麦をたぐっている姿にズゾゾーッの文字。汎用性の低いスタンプだと思った。だが一瞬後に、その潔さが落語だよなとなんだか納得した。



 向かった仕事はラブコメのモブだった。高校生のドキドキイチャイチャにときめいていられるほど初心ではないので、かわいいね、ぐらいの気持ちだったのだが、行ってみたらそこに関根がいた。関根は俺を見るなり隣にやってきてささやいた。


「ちょっと各務さぁん。『七タン』入ったんじゃないですかっ」

「あ……ああ」


 騎士団長アランの件をどこかから聞きつけたのか。不満そうにふくれた関根の情報力に驚く。


「なんで僕に内緒だったんです? そりゃ僕も受けた役だったけど」

「……キャスト口外禁止って言われたから」

「そうでしょうけど、僕だって業界のヒトですから! リークしないし!」

「ああいいのか。そういうの初めてでわかんなくて」

「もう各務さんさあ……かわいいですか」


 もだえるような顔で引き下がられたが、関根にかわいいと言われても嬉しくなかった。迷った時に言い淀み黙ってしまうのは昔からの俺の習性のようなもので自分では嫌な部分。かわいげになっているからとスルーなのもいいトシした男がどうなんだ。


「俺はっきりしなくて、悪い」

「いやいやもう、それが各務さんなんで」

「関根くんみたいにパキッとできなくてさ」

「ん-まあ。キャラ違うし、共存共栄できるといいですよね」


 ハハハとさわやかな笑顔でいなされた。こいつのこういう愛嬌はたしかに俺とはまったく違う。今日の役柄も関根はヒロインにグイグイ絡んでいく他校の不良生徒。俺はそいつらを脅すが最終的にやられる町のチンピラだった。悪役でもベクトルが違う気がした。

 そしてどうでもいいことだが、ヒロインの制服がピンクのチェックスカートとベージュのブレザーだった。


「制服で葬式……」


 ジョーカさんのぼやきを思い出した。こんな華やかな制服、いくら舞台の嘘でも場違いすぎる。

 本番はあと二週間ほどに迫り、稽古は着々と積み重ねられ、美紗は顔を見せない。俺が送った言葉はいつまでも宙ぶらりんのままだった。


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