第10話 勝ち残る蟲


 オーディションの前に寄席を聴きに行ったのはまずかったかもしれない。いや寄席はいいんだ。橘さんと出くわしたのが失敗だった。あの人の芸に叩きのめされるのは仕方ないが、俺の中に「おかしみがない」と評されたくはなかった。

 空っぽのまま、他人が書く言葉をさもつむぐ俺の口。そうだ俺には何もない。

 そんなことは知っていたが、あらためて突きつけられると胸がつぶれて喉がひらかなかった。マイクの一歩後ろで深呼吸して無理やり声を出した。


「オフィス・エイム、各務悠貴です」


 抑えた淡々とした声になった。やる気なさそうに聞こえただろうか。もう腹をくくり、キューに従ってセリフを読む。

 作品リサーチはした。といっても原作の無料試し読み部分だけなのは申し訳ない。世界観と雰囲気をつかんでおけばとりあえずいいだろう。受ける役は貴族で偉そうで嫌みな笑顔が似合う奴、やや外連味をこめてしゃべった。


「はい、ありがとうございました――」


 副調から戻ってきたのは、考えているような余韻を残した声だった。いったん回線オフになったが振り向くとガサガサしている。


「すみません各務さん、ちょっと別の役やってみていただけますか? 今資料いきます」

「あ、はい」


 もう一度降ってきた声に続き防音扉がブシュ、と開いた。スタッフに手渡された紙に見覚えがある。関根が受けると言っていたキャラクター、騎士団長。

 ラフ絵の中のこちらを見透かす視線がさっき会った橘さんみたいでギリ、と胃が痛んだ。



「死にそうな顔じゃないか」

「うげ、本村さん」


 飛び入りの役も録ってもらった俺が胃痛に苛まれつつロビーに出ると本村さんがいた。基本は外画のマネージャーなのにどうして動画のオーディションに現れる。顔がひきつった俺を見てずずいと近寄られた。


「げ、じゃねえぞ。聴いてたが、なんかいつもと違ったな」

「あー、ちょっとまあ。すみません」

「いや、悪くなかった」


 どういうことだ。本村さんは不審げな俺を笑い飛ばす。


「ちゃんとだったよ。特に二番目のが」

「ぐぅ……」


 それはたぶん橘さんだ。ってる間あの人の視線が頭から離れなかった。それが声に乗ったのか。気分悪い。


「なんだ、体調おかしいのか」

「いえ。さっき寄席に行ってたんですよ。先輩とそのお師匠さんと話してきました」

「おお、うらやましい。それでどうしてヨレヨレになるんだ?」


 笑った本村さんは別の奴に声を掛けに行ってしまった。この時間はうちの事務所の連中がまとめて受けに来ている。チラホラ知った顔がいるのは外画の常連がこちらに回されているようだ。仕事を広げようと実験してくれているのかもしれない。それで本村さんも様子を見にきたのだろう。

 そんな大事な時にわざわざダメージを負ってからオーディションに来る俺。なんて間抜けなんだと自嘲した。





 舞台は立ち稽古に入った。今の劇団ジョーカーは正直言って居心地よくない。だが最近落っこち気味の俺は、こうなったら徹底的にへこんでおこうという修行のようなノリで参加していた。マゾではなく、どんな環境でもやるべきことをやるしかないから。


 あの「結婚に逃げたくせに」の言い争いは俺もきっかけだったらしい。

 研究生の女の子の陰口が発端だった。美紗に対して思うところがあったんだろう。俺と美紗は本当に付き合っているのかとか、俺の仕事なんて聞いたことないとかヒソヒソしているのを乃木さんが聞きとがめた。注意していると美紗がきつい口を挟み、それにも乃木さんが注意して、という流れ。女同士の力関係に劣等感と優越感と反感と焦りとをブレンドした蟲毒だったわけで、そりゃ若い男がビビるはずだ。

 そして勝ち残った蟲はいない。美紗と俺も少々体を重ねたところで気まずさは拭いきれず、次の稽古でも空気は白々しかった。傍目にもそれはわかったはずだ。

 そんななので、以来俺はなんとなく劇団員から遠巻きにされている。そんなことでいいのかといえば、たぶん駄目だ。客演に呼んでいただいた身で非常によろしくない。だが、これ俺のせいだろうか。


「各務さん、〈協力〉に載せる事務所名、これでよかったですか」


 果敢に俺と話してくれるのは劇団員の内田くん。今回はフライヤー制作、つまりチラシ作り担当スタッフに甘んじて役はもらえなかったが、俺が不在時に代役に立ってくれている。


「ん、OKです――気ィつかってくれなくても大丈夫だよ」


 内田くんが見せてきた原稿を確認してから、後半は小声で言った。


「いえ、でも。基本は内部のことなのにご迷惑おかけしてるなって」

「男たちがその認識なら救われる」


 こそこそと話して笑い合う。そう、これは女性団員のパワーバランス問題がベースなのだ。もちろん男優の一部があおり立てている面はあるのだが。

 美紗も同期の乃木さんも劇団内ではかなり先輩格だった。でもそれは、そうなってなお鳴かず飛ばずの身ということでもある。声優の仕事をするようになり劇団活動から離れる関根みたいなのが後輩たちの理想だ。プロにもなれていないくせに客演声優おれの彼女面だけはする美紗が反感をかうのもわかる。俺への批判はその流れ弾。

 そして今回の主演が研究生の女の子だというのも波紋を広げていた。まだ十九歳といったか、正式な団員でもないのに大抜擢された彼女もバッシングにさらされている。上からも、同期からもだ。端的に言えばジョーカさん相手に枕営業して役をもらったという悪口なのだった。実力なんかないくせに、と。


「……使えない主演を立てて舞台ひとつ棒に振るような演出家だ、て意味になるんだけどな」

「ですよね、ですよね!」


 ひそかに私見を述べれば内田くんは食いつくようにうなずいた。


「ジョーカ先生はそんな人じゃないし、堀さんだってそんな子じゃないです」


 堀さんというのが主演の女の子だ。彼女のことを俺はよく知らない。内田くんは堀さん推し、と――ジョーカさんが今、別の中堅劇団員に手を出していることは、内田くんに教えないでおこうと思った。


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