第54話 タイムレコーダーの破損

 白い風景から徐々にピントが合ってくるの。

 それは薄い肌色の天井…。


「目が覚めたかしら?」

 女性の声が聞こえるの。

 声の方に顔を向けると見覚えのある女性が心配そうにこちらを見ているの。


「アカリさん?」

 聞き覚えの無い声に慌てて口を押さえる…

 口を押さえる?


 私は当惑しているの。

 何故ならば、私は喋り、手を動かし、あまつさえ唇に触ることも、唇に触れた手と触った唇の感覚もあるの。


「混乱するわよね、ケイコちゃん。」

 私の名前を呼び、そっと私の頭を撫でてくれるアカリさん。


「…」

 無言で固まってしまった私に、アカリさんは優しく接してくれたの。


 ◇ ◇ ◇


 タイムレコーダーが警告を発していたあの日、社屋全体がパニックに陥りアカリとサダノブは、そして彼らの所属する『統合通信事業部』のメンバーは明け方過ぎまで対応に追われる事となった。


「何なんだぁ?

 先週の比じゃないぞぉ、この攻撃は!」

 サダノブが必死にキーボードを叩いている。


「攻撃というより…悲鳴ね。

 デタラメ具合もハンパじゃないし…。」

 アカリも両手の動きが激しくなり、キーボードも悲鳴を上げている。


 夕方に差し掛かる頃、攻撃も沈静化する…ただ一つの通信を除いて。


「ようやく、タイムレコーダーに取りかかれそうだね。」

 サダノブが小休止に入ると

「そうね。」

 アカリもヘッドセットを外し、サダノブに顔を向ける。


 二人は連れ立ってタイムレコーダーのところに向かう。

 相変わらず警告灯が点いたままの本体を取り外しぐるりと見回す。


「あったあった。」

 有線コネクターを見つけ、手持ちの端末とタイムレコーダーを接続するサダノブ。

 その端末に接続されたヘッドセットを被るアカリ。


「サルベージを始める。」

 アカリがそう言うと、誰も居ない『作業室』のコンピューター群が盛大な駆動音をたて始める。


 さて、サルベージされていくデータを眺めながら絶句するサダノブ。

 そもそも、データにインデックスが含まれているという事実。

 インデックスが複数のデータに紐付いているという理解できない構造。

 インデックスの先に処理がぶら下がっている…こんな形式はそもそも存在さえ見たことがない。


 頭がおかしくなりそうな構造物にただただ驚くサダノブと…


「収まり切れるの…この情報量!」

 そう言って、いつもの調子でキーボードを叩くアカリ。


「とりあえず、野島助教授の研究成果を信じて…。」

 ひたすらキーボードを叩くアカリ。


「お供するぜ、アキ姉ぇ!」

 サダノブも端末に向かいキーボードを叩き始める。


「しかし、ハノイのジレンマに遭遇する日が来ようとわね。」

 ハノイのジレンマとは、無限に再起定義が行われた結果、データが発散の一途を辿るという恐ろしい事態。

 再起定義とは、本来発散したデータを一定の基準を元に情報の収束を図る技術なのである…。


「やるしかない!」

 サダノブは二つ目のキーボードを取り出し、いよいよサルベージに邁進する。


 そして深夜を回る頃、ようやくサルベージは完了する…のだが。


「この娘の記憶からして、この構造だ。

 オレたちの中はどうなっているんだろうな?」

 液晶画面を見ながら感嘆してしまうサダノブ。


「あなたの頭蓋を割って、トウフ端子プラグを挿せばすぐに解るわよ。」

 バイザーを着けたまま、笑顔で語りかけてくるアカリ


「ゴカンベンクダサイ。」

 サダノブは深く頭を下げた。


 そう、今度は、このデータを保管するための身体きょうたいを探さねければならない。

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