第29話 クロの仕事

 恵ちゃんが出かけた後の住宅は静かなものだ。

 だが、僕が暇になるというわけではない。

 ご両親宛に、恵ちゃんの体調管理レポートを提出することに始まり、近隣の生活風景のレポートも消費者庁に提出しないといけない。


「まぁ、ご両親への報告は判りますよ…。

 なんで、消費者庁の犬にならないといけないんですか?」


 玄関で箱座りをしながら、提出先に愚痴をぶつける。


「ハッハッハ。

 まぁ、犬みたいにワンワン吼えるなよ。」

「僕は犬ですよ。」

「…そうだったな。

 いやぁ~すまんすまん。

 アッハッハッハ…。」


「担当を変えて欲しいのですが…。」

 通信の先では、僕の上司という人間が笑っている。

 とりあえず、ヒトの…僕の相談に答える気は無いらしい。


 ◇ ◇ ◇


 僕がここにやって来た理由は、恵ちゃんの見守りだけではない。


「さて、空調はどんな塩梅かなぁ?」

「お嬢様も学校に行かれましたので、節電モードに移行します。」

 僕の質問にご丁寧に答える住宅aiBot

 わざわざ消灯までしてくれる。

「…ありがとう。」

 とりあえずお礼を言っておいた。


 住宅用の人形aiDollは、大手住宅メーカーで最近発売された製品だ。

 如何せん、新製品であるがため、消費者からの問い合わせも多いらしい…。

「という訳で、僕が面倒を見ることになったのだが…。」


 そんな都合よく、環境が揃うわけではない。


 恵ちゃんのご両親は消費者庁で働かれている公務員である。

 それも、人形aiDollに特化した組織で、ご一緒にお仕事をされている。

 一般的に、公務員といえば「定時出勤、定時退社」が当たり前のように言われているが、残念ながら彼女のご両親は早朝出勤に始まり、午前さまもよくある。

 始末に悪いことに、午前さまどころか、そのまま出張に突入してしまうことも度々。


 まぁ、それだけ人形aiDoll絡みの業務が多いのだろう。

 実際、僕の存在も、その業務に絡んでいる。


 ◇ ◇ ◇


 さて、僕もそろそろ散歩巡回の時間だ。


 恵ちゃん達の住む住宅団地は、年代も様々、家庭事情も様々。

 そして、住民を支える商店街も残る、現在2080年代としてはかなり珍しい地域である。

 という訳で、消費状況なり、物価なりを偵察散歩することも僕のミッションとなっている。


「では、行ってくるよ。」

 僕の声に答え、玄関が勝手に開かれる。

 犬らしくしっぽを振って、僕は外出した。


 ◇ ◇ ◇


 初夏の陽に照らされて、ジリジリと温度が上がっているアスファルト。

 陽炎から実体化してくる自動車を見ていると、決して心地よい気温でないことが分かる。

 僕も犬っぽく舌を出して、はぁはぁしている。


 すれ違う人も疎らのまま、商店街のアーケードに到着する。

 予想通りアーケードの中も人が疎らである。

 しかし、タイムサービスがあれば、人は集っている。


「現金ですよねぇ…。」

 苦笑いを浮べている僕を気にする風もない主婦たちだった。


 とりあえず、今日の物価も問題なさそうだ。


 強いて言うならば、ここ最近の異常な高温が問題かもしれない。

 三月というのに、夏日が続いているのだ。

 一昨年おととしなどは「冬」が消失したと大騒ぎになったそうだ。


 海面は上昇していない。

 北半球の温暖化に反して、南半球は氷河期が来たような有様である。

 結果、氷の崩壊と結氷のバランスが取れたおかげで、北半球は21世紀と大差ない海岸線が維持されている。

 当然だが南半球は極地に近づく程、氷と雪に閉ざされた白銀の世界となり、移民が北に押し寄せたのである。

 まぁ、その御蔭で色々な問題が発生したのだけれど…。

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