第5話 しの

 目の前に有るのは、大人が寝そべれる程の大きな浴槽。

 大量のケーブルやチューブが、まるで絡み合ってうごめく蛇のような状態であり、その中心に下半身が埋もれた『しの』が横たわっている。

 また、一部のチューブには水滴が氷結したような固まりも有り、外気も急速冷凍されているのか、白い湯気を立てている。


「こ、これ…は?」

 僕は絶句してしまった。

 顔の半分を占めるバイザーは取り払われ、剥き出しのカメラレンズがレールの上に二つ並び、弱々しく光っている。

 擬態の口元マスクも取り外され、四角い箱に入ったスピーカーが顔を覗かせている。


だよ。」

 浴槽を見つめながら答える達也。

 辛うじてしのと理解できるのは、接続されたケーブルを覆い隠すカーボンボディの肢体と、頭部からケーブル類に覆いかぶさる白髪放熱材が有るからに過ぎない。


「しの…

 って、何がどうすれば、こんな事になるんだよ!!」

 僕は、達也に掴み掛かった。


 ◇ ◇ ◇


「よぉ、隆文。

 もう、大丈夫なのかい?」

 達也がおどけながら、玄関口で迎えてくれた。


「お蔭さまでね。」

「それは、なにより。」

 そっけなく僕が答えると、肩を竦めてみせる達也。


「で、用事っていうのは?

 今更聞くことでも無いか。」

 黙って首を縦に降る僕。

「了解だ。

 案内するよ。」

 そう言って、屋敷の中に僕を招き入れる達也。

 僕は促されるままに、屋敷の玄関をくぐった。


 長い廊下を進んでいく、途中何人かの人形メイドに出会う。

 いずれも華やかなドレスを纏い、優雅な所作で歓待してくれる。


 応接室を横切り、居住区を通り抜け、奥座敷のような場所へと歩いていく。

「…どこまで歩いて行くんだよ。」

 憮然とした声で、案内役たつやに質問する僕。

「しのさんが気になっているんだろ?

 ちゃんと連れて行くから安心しな…

 っと、目的地に着いたぜ。」

 達也が指し示した扉には、『研究所』という文字が踊っている。

 周囲を見回せば、屋敷の外れから、さらに渡り廊下を抜けた奥座敷に相応しいたたずまいとなっている。

「それじゃ、開けるぜ。」

 達也が扉を開いた先に在ったものこそ、くだんの浴槽だった。


 ◇ ◇ ◇


「しのさんは、特別製だ…

 って、以前言ったこと有るよな?」

 掴み掛かっていた僕の手を振りほどき、襟を正している達也。

「ご、ごめん。」

 咄嗟の事で混乱してしまい、掴み掛かった事を詫びる僕。

「まぁ、気持ちは解らなくもないさ。」

 居住まいを整え、ウィンクで答える達也。


「とりあえず、ここで話すのもやり辛いから、場所を変えようか。」

 達也に促されるまま、向かい側の部屋に通される僕。

 大人しく従うしかなかった。


 向かいの部屋は応接室のようだった。

 達也と向かい合って座ると、待っていたかのように人形メイドが給仕を始める。

「ありがとう…」

 返礼する僕に微笑み返す人形メイド


 分かっていても、その所作にはドキッとするときが有る。

 一連の行動を見て、目を細める達也。

「男だねぇ…隆文クン。」

 内面を見透かされ赤面する僕。

 コロコロと笑いながら退席する人形メイド


「さて、何処から話そうか?」

 達也は深くソファーに座り直した。

「とりあえず、あの状態を説明して欲しい。

 人形aiDollの修理には、あんなにケーブル類が必要なの?」

 僕は前屈みになって質問を始める。

「いいや。

 そもそも、ケーブル類を刺す必要も無いぐらいさ。

 何せボディには、一切の情報が納まっていないからね。」

「情報…」

「ああ。

 さっきの人形メイドだって、そうさ。

 動かなくなったからといって、大騒ぎする必要は無い。

 別の人形ボディを持ってきてIDを切り替えれば、元通りさ。」

「そうか…

 情報はクラウド上に保持されるから、そこに接続さえすれば、人形ボディはどうにでもなるのか。」

「ご名答。」

 達也がニッコリと笑顔になる。

「じゃあ…

 は、そうじゃないということ?」

。」

 僕の質問に達也がゆっくりと身体を乗り出してくる。


「彼女には、本来備わっていないはずの情報保管庫バッファが内蔵されているんだ。

 それも、特殊な処理が施されていてね。」

「そ、そんなこと…」

 達也の答えに言葉を失ってしまった僕。

 人形aiDollについては、達也程では無いにしても、全く知らない訳ではない。

「ああ、彼女しのさんは、現在いまでは想像もつかない特注品オーダーメードなのさ。」

「でも、変な話しじゃないか?

 処理能力を補うためのバッファなら、現在いま人形aiDollにも実装されているよね。」

「確かに、一昔前のモデルには、君の言う通りのモノが在ったよ。

 勿論、今は処理性能が向上したので、バッファなんていらなくなたけどね。」

「じゃぁ、しのだって…。

 彼女が僕の元に来たのも10年以上前だし。」

 僕の答えに、人差し指を立て、ソウジャナイヨとジェスチャーする達也。

「言ってるだろ、彼女しのさんは特注品だって。」

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