第2話 異変

「おはよう、しの。」

 台所に行くと、サイフォンを電気コンロにかけたまま動きを止めている『しの』に声をかける。

「ああ、坊ちゃま。

 お、おはようございます。

 …

 す、すぐに紅茶の準備を…」

「そこにコーヒーが出来ているようだから、それを飲むよ。」

 僕に言われるまま手元のサイフォンに気づきびっくりしている『しの』。


 明らかに行動がおかしい。

 そもそも、コンピュータが、料理の段取りを忘れてしまったり、直前の作業を忘却することなど有るのだろうか?



 しかし、この行動が起こりはじめたきっかけが無かった訳ではない。


 僕も来年は高校三年になる。

 そう、進路を選択する時期が訪れているのだ。

 正直なところ、進路については何も考えていない。

 考えていないというよりも、何をどうしたらいいのか、道しるべのようなものが無いのだ。


 まぁ、今の時代「高校浪人」や「高校就職」という事はなく、進学先としての大学なり、専門学校の違いがある程度なのだ。

 むしろ問題なのは、進路を相談できる両親が傍にいないという事だ。


 父親は、有名なエンジニアで海外を飛び回っている。

 下手をすると、一年くらいは顔を会わさないこともある。

 テレビ電話も有るのだから、大袈裟過ぎると笑われる事もあるが、父は、日用品音痴おんちの傾向があり、電話があっても、テレビ電話までは進むことが無い。


 母親は僕が幼い頃に亡くなったと父から聞かされている。

 僕一人がうちに居るのも不憫だろうと、父が『しの』を連れてきたのは、僕が三才の誕生日を迎えた時だった。


 そして時は流れ、進路調査の案内が届いたのが一週間前。

 その頃から、『しの』の様子が明らかにおかしくなって行った。


 今朝も朝食の準備中に停止ハングアウトしてしまったようだ。


「どうしたんだい、しの?」

 さん付けされたのが、あまりおもしろくなかったのか、早々に食事の準備を始める『しの』。

 いったいどうしたというのだろうか?


 ◇ ◇ ◇


「なにぃ~!

 しのさんが朝から起こしてくれない♪

 だとぉ~~!!」

「そうな…ん…だっ…て、苦しい、苦しい、達也!」

 どうやら、相談した相手が悪かったらしい。

『しの』の不調を口にした途端、スニーパーホールドで羽交い締めにされてしまった。

「チョーク、チョーク!」

「うるさい!!

 何が『しのが朝起こしてくれない。』だぁ?

 羨まし…もとい、しのさんをそんなことにつかいやがってぇ!!」

「待て待て、話しを…。」

「お前を倒して、しのさんを貰う!!」

「僕はラスボスか何かかぁ?」

 遠退く意識、寸でのところでタオルが投げ込まれ試合終了…。


「いやぁ、そういうことか。

 だったら、早めに言ってくれよ。

 我が心の友よ。」

「心の友を羽交い締めにして、息の根を止めるのが、松下家の家訓か?」

「そ、そんなことは、な、な、ないぞぉ。」

 羽交い締めから解放され、達也に恨み節をぶつけると、あさっての方向を向いて答える達也。


 ◇ ◇ ◇


「…それって、処理容量を越えてるんじゃないか?」

「処理容量?」

 中華食堂で昼食を取っている、僕と達也。


「ああ。

 しのさんに負担をかけるようなこと…。

 してないよな?」

 一々にらみを効かせてくる達也。


「心当たりは、無いんだけど…。」

 いやぁ、有りますよ、バッチリ。

 でも、達也こいつには絶対答えられない。


「そうか…。

 まぁ、症状が続くようなら、親父の会社に連れてくるといいよ。」

 ウィンクをすると伝票を持って立ち去る達也。

「その時には、頼むよ。」

 今回も奢ってもらうことにした。


「じゃぁ、俺行くわ。」

「うん、ありがとう。」

 食堂を出ると、達也は父親の会社に向かっていった。


「クダマツインダストリー」…達也の父親の会社。

 人形aiDoll市場で、その名を知らない者は誰も居ないと言われるほどの有名企業である。

 くだんの企業のヒット商品は「アイドルシリーズ」という、見た目から、性格やクセに至るまで、完全にアイドル本人を模倣した人形aiDollである。

 ファンは勿論、人形aiDollの利便性が広まって来たこともあり、「アイドルシリーズ」はジワ売れを続け、シリーズも30体目を数えている。


「まぁ、実際かわいいからなぁ…アイドルシリーズ。」

 達也の自宅は勿論、一般家庭ぱんぴーのお宅にもお手伝い要員として「アイドルシリーズ」は普及している。

 もっとも、一般家庭と言っても片親世帯が全校生徒の3割にもなっているのだ。


「うちもそうだけど。

 お手伝いさんが居ないと困るもんなぁ。」

 そして、『しの』のことを思い出す。


 帰ったら、『しの』と相談してみないといけない。

 処理容量の増大と、その原因について…ね。

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