ある十分休み

大垣

ある十分休み


 ある冬の日の午前、片田舎の公立高校の教室で、二人の女子生徒が話をしている……。


 「次の授業何だっけ」と、後ろに座る長い髪をした女子が言った。

「現代社会」

 前に座る短い髪の女子は振り返らずに、椅子を少し後ろに下げて、机の中を漁りながらそう返した。短い髪の女子はすっと立ち上がると、後ろの自分のロッカーまで行き、その教科書と資料集を取ってきた。

 どさりと机の上にそれらを置くと、短い髪の女子は窓を背にして廊下の方を向いて、自分の椅子に肘を乗せた。

「寝てた?」

 長い髪の女子は黒板をノートに写してるようである。目があまり良くないのに一番後ろの席なので、はっきり見えないのか目を大きく見開いて黒板を見ている。

「見てここ」

 長い髪の女子がペンの先で差したところの文字は、干からびたミミズのように細く、ぐにゃぐにゃとしていて読めない。

「駄目だ。ノート見せてくんない?」

 短い髪の女子は何も言わずにさっきの授業のノートを渡した。

「次、現代社会?つーかめっちゃ綺麗にノート取ってんじゃん。真面目だね」

「古典好きだから」

「古典系女子じゃん」

「何それ」

「古典が好きな女子」

 長い髪の女子は間違い探しをするようにノートを見比べながら書き写す。書いてる内容を理解するつもりは毫もない。

「あー、現代社会って確かあれあったよね。今日のニュース何か言うやつ。今日誰だろ」と、髪の長い女子は書きながら言う。

「あの人完全ランダムで指名するでしょ」

 現代社会の先生は眼鏡にスーツを着ているすらっとした若い男の先生で、いかにも経済を教えていますといった風である。

「今日何かあったかなあ。経済か政治か自分の生活に関係することじゃないと駄目だからなあ。この前無人販売の餃子が盗まれた事件言ってちょっと怒られてた男子いたけど」長い髪の女子はそう言ってにやにやと笑った。

「あたしは一個あるよ」

「何?パクらせて」

「何かアメリカ大統領の選挙がどうたらこうたらってニュース」と、短い髪の女子は上を向いて何もない天井を見て言った。

「分かんないそんなの。アメリカの大統領何かどうだって良いでしょ。私らには関係ないって」

「なくはないと思うけど」

「あ、そういえばあった。昨日ツイッターで見たやつ」

 長い髪の女子は写し終えたのかノートを返すと、同じように席を立ってロッカーから教科書を取ってきた。短い髪の女子はその様子を何となく目で追った。廊下で男子が肩を組んで歩くのが見える。その向こうの窓の外には校舎と、ペンキで塗りたくったような真っ白な曇り空が見える。短い髪の女子は曇り空を見ると行ったこともないロンドンを連想する。

 長い髪の女子はまた机に戻ってくると、今の一連の行動はまるでなかったかのように喋り始めた。

「何だっけ。確かアメリカでね。フロリダだったかな。ジョージア?ワシントン?まあどこでもいいんだけど、とにかくその辺りに強い寒波だかがやって来てるんだって。で、その寒さのせいでイグアナが動けなくなっちゃって、木から落ちてくるっていう予報が出たらしいよ」

「イグアナ?イグアナってアメリカに居るの?」

「居るらしいよ、イグアナ」

「その辺の木とかにいるんだ」

「そうみたい」

「ふうん。で、そのニュース言うの?」

「厳しい?」

「まあまあ」

「でも、もしかしたら私たちの生活に関係あるかもよ?」

「どんな風に?」と短い髪の女子は尋ねた。

 長い髪の女子はうーん、と唸る。そして何か閃いたように言った。

「例えば……イグアナが木から落ちてきて、そのイグアナにぶつかった人がたまたまぬいぐるみのヒット・メーカーの社長さんで、それでイグアナのキャラクターのぬいぐるみを作ることを思い付いて、アメリカでも日本でもそれがバカ売れして、日米関係が良くなるとか」

「あんたそれ言ったら先生に殺されるかもね」と短い髪の女子が鼻で笑って言った。

「でも私にはこれしかない」

 長い髪の女子は頬杖をついてから、目の前の椅子の背もたれに置かれた短い髪の女子の右肘を、シャープペンシルの後ろで弄る。今度は短い髪の女子がうーん、と唸り始めた。そしてまた閃いたように言った。

「こんなのはどう。私たちの生活で出た温室効果ガスが地球規模の気候変動を引き起こしていて、アメリカを襲った異常気象的な寒波もその一つで、もしカチコチに固まったイグアナが木から落っこちて頭にぶつかって、ヤンキースの試合を観るのとビックマックを食べるのが大好きな、太った中年のアメリカ人が死んだら、私らのせいかもしれない」

「ゴリ押しだね」

「あんたよりマシでしょ」 

 「でもそんなものかもね」と言って、長い髪の女子は窓の外に目をやった。休み時間の校庭には誰も居ない。動かない白い煙をあげる町並み、そして曇がもたれ掛かった山々が遠くに見える。

「何が?」と、短い髪の女子が尋ねる。

「世の中がさ。そういう見えないところで見えない力が働いてるのかも。今のイグアナの話も案外本当にあったりして」

「まあ、そうかもね」

「例えば私と××が出会ったのは偶然だと思う?確かにたまたまここに生まれたかもしれないけど、でも私にはこの高校しかなかったし、××だってこの高校を自分で選んだ。そうするとそれはたまたまというよりも、ある意味この出会いは必然じゃない?」

 髪の長い女子は今度は大きく身振り手振りをして言った。

「全ての偶然は全て必然ってこと?」

「あるいはその逆。というかそもそもそんなもの最初から無いのかも」

「なら、あたしと出会ったのは偶然と必然どっちが良かった?」

「うーん、それはどっちでもいいかな。こうして会えたんだし」

「じゃあ良いでしょ。今っていう結果が全て良ければ偶然か必然かなんてどうだっていいと思う。あたしたちは結局今しか生きられないんだから」

「そんなもんかな」

「午前中からあんまり考えない方がいいよ」と短い髪の女子はまた前を向いて言った。

「まあ、そうだね。うん、そうかも」

 教室の中の喋り声がプツプツと途絶え始める。前の授業終わりにどこかへ行っていた隣の席の男子も早歩きに帰って来た。

「イグアナも春がくれば元気になるかな」

「きっとなるよ」

 長い髪の女子はまた窓の外を見ている。二人の間を少しの沈黙が流れた後、チャイムが鳴った。教室はいよいよ静寂になる。短い髪の女子は横を向いたまま、黒板の方のドアをじっと見つめる。現代社会の先生はまだ来ない。

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ある十分休み 大垣 @ogaki999

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