第17話 壮大な仕返し。
私は今日、寝坊をしなかった。
四つの車両全てで私は
私は雑踏の一部となり改札機を通り抜けた。切符売り場前のベンチが目に入る。昨日私達が占領していたベンチで、黒いダウンを着たおじさんが朝っぱらから居眠りをしている。
まさに朝の光景だ。
駅を出る前に私はトイレに入る。鏡に映った私は少し、むくんだ顔をしていた——。
ちゃちゃっと用事を済ませた私はコンビニへ向かう。朝のコンビニはすでに花菜高生のたまり場と化していた。
中に入った私は、コンビニに何も用事がないことを確認し、何も買わずに外へ出る。
私の用事は、学校の中に、あるはずだ——。
「おはよう瑞稀!」
私が玄関のガラス戸を通ると、美空が声を掛けてきた。
「おはよう美空。それと矢嶋も、おはよう」
「え? あ、ああ、おはよう」
私が美空のついでに挨拶をすると、矢嶋は意外そうな顔で、返事をする。美空も「あれ?」という顔で私と矢嶋を交互に見た。
私達は三人で廊下を歩く——。
そして、同じく友達と三人で歩いているちえりに追いついた。
「おはよう、ちえり。
三人が立ち止まり、振り返る。
「あ、瑞稀、おはよう。てゆーか、いくらあたしと仲良いからって、梨乃と結亜をオマケ扱いは酷いでしょ」「そうよ瑞稀」「おはよー」
「そんなの関係ねーし、皆んなおはよー!」
そう言って私は、三人まとめて抱きついた。
「ちょっ、瑞稀!?」「なになに!?」「ギブギブー」
三人は私に、されるがままだ。
「うふふ、三人とも羨ましい。おはよ」
美空が私の後ろから三人に、声をかけた。
「み、美空? ちょっと瑞稀、どうしちゃったの?」
「ふふっ」
美空はただ笑うだけ。
代わりに矢嶋が答えた。
「なんでもねえ、みてーだぜ?」
「はあ? 何ニヤニヤしてんの?」「てかこの状態、めちゃくちゃ恥ずいんだけど!?」「あったかーい」
私は三人を解放して言う。
「ほら皆んな、行こーよ?」
私が言わずとも皆んな、教室へ向かうはずだ。でも私は、まだ困惑している三人を待った。美空と矢嶋も合わせてくれている。
やがて私達は六人で歩く——。
まるでお母さんがHu○uで観ていた病院のドラマだ。
——〝川越教授の総回診です!〟あはは!
そんな他愛もないことを考える私の口元は歪んでいたようだ。右に居るちえりの、困惑する視線を感じる。左に居る美空の視線は、感じない。
先陣を切る私は教室の戸を、普通に開けた。普通に音が鳴る。
私は教室を見渡した。
まだ来ていない——。
私は教室の後ろにある上着掛けへ向かい、すれ違う人達に、次々と挨拶する。途中に居た秋山や手塚さん、
背負っていたリュックを下ろして席に座った私は、待つ。
そろそろホームルームの時間になるかという時、再びガララと、戸が開く音が聞こえた。
「お、琇じゃん! サボりかと思ったぜ!」
戸高が教室の皆んなに聞こえるような声で、琇に言った。
「はは、裕樹と一緒にするなよ? フツーに寝坊しただけ。皆んな、おはよう!」
琇の挨拶に反応する人もいれば、そうじゃない人もいる。朝の挨拶など、そんなものだ。
まだ挨拶を返していない私は琇に、視線を送った。
琇は、教室の後ろや自分の席にも行かずにすたすたと、こちらにやって来る。
「瑞稀、おはよう」
琇は満面の笑みだ。
「おせーぞコノヤロウ——ふふっ、おはよう、琇」
私達と普段あまり関わることの少ない人達は、私達の違いに気づいていない。私達と一緒に居る事が多い人達は「ん?」みたいな顔をしている。美空と矢嶋以外は。
「ごめん、寂しかった?」
「はっ、なわけ……うそ。ちょびっと、寂しかった、ちょびっとね」
「あはは、だろうね?」
私達は、隠さない。
昨夜家に帰ってから二人で、どういうスタイルでいくのか話し合った。
「あんた、お昼ご飯は? コンビニに寄ってなかったでしょ?」
「あれ? 珍しいね? 瑞稀がコンビニ行くなんて」
「早くあんたに会いたかったから、ね」
「ちょっとそれは、やり過ぎじゃない?」
琇が頭を掻く。
「あ? 何がよ? 別にフツー、フツーでしょ?」
流石に近くにいる人達は、私達のやり取りに気づいたようだ。さっきまで喋ってた人達も黙ってこちらに注目している。
「ところで、もしかして弁当、作ってくれたとか? ちょっと期待してたんだよね」
——なるほど、だから安心して寝坊したわけね?
「作るわけねーって」
「あはは、だよね?」
私のリュックに他人の弁当を入れる
「ふふん、ザンネン? さびしい?」
「うん、ちょびっとだけね」
——ウソつけ。露骨な顔しやがって。
「えー? そんなこと言うやつにあげるのは、やっぱやめよーかなー?」
「お? ということは?」
「ん!」
私は半分開けていたリュックのファスナーから、巾着袋を取り出し、渡した。
「——お握りよ。あんたはあたしのオカズを羨みながら、それでも食ってろ。ふははっ」
「ふ、はは、事前に期待しておいて、めちゃくちゃ嬉しいのは、なんでだろうな」
当然だろう。
「そんなの決まってんでしょ? あたしが作ったお握り、あんたが嬉しくないハズねーし」
「だから瑞稀、やり過ぎだって。皆んなこっち見てるよ?」
私と琇に注目していた人達は全員、ニヤついていた。それぞれのニヤつきの意味は、それぞれ違うのだろう。
琇は、恥ずかしそうだ。
「だからよ。困ってるあんたが、楽しいからね」
「うわ。嫌なやつ」
そう言う琇は、やっぱり頭を掻いている。
「そんなのお互いサマでしょ? そして喜ぶあんたを見るのは、それ以上に嬉しい。だからもっと喜べっつーの。あたしはあんたが、『大好き!』なんだから」
「っ……!」
琇が黙った。
代わりに、他の人達が騒ぎ出す。
「ちょっと瑞稀!? 今朝のさっきのアレってそーゆーこと!?」「うわー! ウチらで彼氏いないのわたし達だけじゃん!?」「おめでとー!」「キャーキャーッ!!」「チッ……」
「おい! 琇テメー! 俺を差し置いて何してんだ!?」「裕樹くんはそういう事言っちゃダメでしょ! いやー俺はこれから『琇くんソムリエ』にもなるわけかー。まったく忙しいよ。アハハ」「うわ! 琇が彼女持ちかぁ!」「俺はそろそろくっつくと睨んでた」「チッ……!」「そーいうのは俺に先に言うのがマナーでしょ? 次から気をつけて?」「俺はそーゆーの別に興味ねーし」
「へへ、琇、俺は知ってたからな? 今までイジられてたぶん、たっぷりとやり返してやる」
「瑞稀、これで一緒だね? えへへ」
それぞれが各々、好き勝手言っていた。
「……瑞稀、どうするの? コレ」
「ふっ、これはあたしの壮大な仕返しよ。だからあんたは、昨日あたしに話してくれたコト、気にする必要はないから」
「どういう事?」
————「二人とも」
私が言葉を返そうとした時、手塚さんが来ていた。
「て、手塚さん」
「川越さん、琇——くんも、おめでとう。お似合いだと思う」
「菜摘ちゃん……」
田所は罰が悪そうだ。恐らくまだ私に話していないことがあるのだろう。
「ちょっとあんた、『おめでとう』って言ってくれてんだから『ありがとう』でしょフツーは」
私はわからないふりをする。
「……うん、そうだね。ありがとう、菜摘ちゃん」
「ふふ、そろそろ先生が来るから、琇くんは席に着いた方がいいと思うわ」
「そうよあんた、早く行けって!」
「なにそれ? すげー酷いと思うんだけど」
そんな事を言いながらも、嬉しそうに琇は離れて行った。
手塚さんも戻ろうとする。
「手塚さん」
私は小声で呼び止めた。
「何?」
「いや、なんていうか、その……ありがとう、菜摘?」
私は「ゴメン」とは言わなかった。それを言ってしまったなら、手塚さんとは永久に仲良くなれないと思ったからだ。
「……!」
手塚さんは驚いた顔をする。そして、くすり、と笑い——。
「私も、瑞稀って、呼べば良いのかしら?」
そう言った。
「お好きにどーぞ」
「うふふっ。じゃあそう呼ぶわ、瑞稀」
今度こそ菜摘は席に戻った。
すぐに先生が教室に入って来たけど、この
昨夜——いや、日付が変わっていたから今日、琇との通話を切った後に私は一人、考えた。
どうすれば楽に、琇と楽しく過ごせるのかと。
そしてこの
どうせ付き合ってる事はすぐバレる、だから隠さない、そこまでは琇の提案だ。
私の提案、というか、私の望みは、琇ともっと恋人らしい事をしたい、だ。美空とカイくんの関係のように。
琇は困ったように了承し「少しずつそういう事をしていこう」と私に言った。
しかしそれは、私が我慢できない。
きっと私は、琇の準備など関係なしに、直ぐに、さらに先へ、進もうとするだろう。琇もきっと、我慢できなくなるはずだ。
私は琇と、一緒に居たい。
でも、度が過ぎると逆に、一緒に居られなくなる事もある。
だから私の出した結論——。
最初から、全開でいく。
そして私は、このことを琇に黙って今、実行した。
結果は、ご覧のとおり、である。
私がわざとらしく皆んなに挨拶をしたのは、皆んなに私達を注目させやすくするため。
琇が皆んなに注目され過ぎて困ったのは、嬉しいけど恥ずかしい、けど、「瑞稀と一緒に居たいから自分が我慢しよう」だとかなんとか、だと思う。
私が琇に、わざわざ皆んなの前で「大好き」と言ったのは、私がそうしたかったから。
後で琇にはきっと、小言を言われるだろう。なぜなら琇が我慢する割合の方が多いから。でも琇にはもう、意味が伝わってるはず。
——壮大な仕返し、の意味が、ね? あはははっ!
琇は私を好きだから、私が我慢できない時はきっと、私を抑えてくれるだろう。
私はそんな琇に嫌われたくないから、きっと自然に、自分を抑えることができるだろう。
琇が我慢できない時、それは、私が自分を抑えられない時だ。その時は二人で責任を取ろう。取れるかどうかはわからないけど、まずは意識、そういう意気込みが重要だ。
——完璧なロジックッ!! あたしってば、かなり天才!!
人間関係、なんて言葉を、子供の私が使うのは、とても生意気なのかもしれない。私の世界はすごく狭い。家と学校とその間と、その周りにある物事しか、私はまだ知らないのだ。
それでも琇は、自分でそれを作って私に見せてくれた。きっと一人一人が持つ、一人一人の自分が合わさって、皆んなの関係が作られていくのだと思う。
そして、私と琇、いや、私達皆んなはまだ、始まったばかり。
だからこのストーリーは「Fin」とはならずに、まだまだ続く。
私が、琇が、そして皆んなが、それに飽きても飽きなくても関係なしに、これからもずっと続いて行くのだろう——————。
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