第16話 茶化すなよ。そーゆー意味だから。

『四番線よりまもなく、6時28分発、————行きが、発車致します——』


 構内アナウンスが発車をしらせる。

 ベンチに座る私のほほに冷たい空気があたるが、私のった皮膚にはそのくらいがちょうど良い。きっと薄いファンデを白色灯が照らしているはずだけど、それでも、田所にも私の熱が、見えていると思う。

 ————。


「僕の事が、気になる、か——」

「茶化すなよ? そーゆー意味だから」

 私は田所の口から次の言葉が出るかどうかもわからないのに、食い気味に言った。

「茶化したりなんか……いや、茶化してたと思うな、たぶん」

「ふふん、そうでしょうとも。今のはそうさせないためのけんせいってやつ」

 そう言って、私は強がる。

「はは、すごいな。どこで覚えたの?」

 そんなの決まってる。

「あんたを、あんたをずっと見てたから、自然に、覚えた」

 誰かと会話をするのは簡単なようで、とても難しい。小さなときから続けていることなのに、伝えづらいし伝わりにくい。とても面倒で根気のいる作業だ。私は楽をしたくて、今までそれを、にしてきた。きっと、他の人達もそうなのだろう。


 それでも田所は、きょうしていないのだ。だから今、こんな会話が成立してる。


「ずっと?」

「そう、ずっと」

 まだ言ってくれないのか、たった二文字の言葉を。私がこんなに伝えてるのに。

「——あんたは、どうなの? あたしのこと、まだ好き、なの?」

 声が、震える。

 雑踏していた構内の音は消え去り、田所のつばを呑む音だけが聴こえた。

「……好きに、好きに決まってるよ。自分で抑えるのが、苦しいくらいに」

 一緒だ。

 視界が

?」

 でもなぜだろう、満足できない。

「……かわごえ——」

「聞き返すのはナシ。答えて」

「わからない、って答えたら、どうする?」

 結局こいつは聞き返す。

きょう、だと思う」

「卑怯か、キッツイな」

「うん、あたしは口が悪いの」

 笑うために目を細めたら

「……それをずっと横で、聞いていたい」

「ぷっ」

 何故こんなキザなことを言えるのか。

 吹き出したあと、鼻でいきを吸うのがむずかしい。

「笑ってるの? 泣いてるの?」

「知らん!」

 私はブルゾンの袖で目と鼻を

「僕らは、どんな関係なんだろう」

「関係?」

「僕らは学校の中でも外でも一緒にいる事が、割とある」

「……うん」

「僕は川越と付き合いたい。川越は?」

 付き合いたいに決まってる。

「……あんたの、したいようにすれば良い、と思う。その、なりたい関係、ってやつに」

「ふふっ。すっげー回りくどい言い方」

「うるせーな」

 こいつに言われたくない。

「じゃあさ、付き合ったとして、これからどんな事をすれば、?」

 恋人、らしい、関係。

「……デート、とか?」

「そう、なんだろうけど、実はさ。僕は川越と一緒の時、全部、デートを意識してた」

「知ってる」

「くっ、ふふっ、やっぱりバレてたか。かなり恥ずかしい」

 私も同じだ。そのことに気づいて、それでも一緒にいたのだから。

「バレバレ」

 たぶん、私のもバレてると思う。

「…………」

「………………」


 長い沈黙が流れた。


「——空き缶」

「ん?」

「空き缶、捨てて来なよ」

 田所が左手に持つ、脚のあいださせていたジュースは、もうからだろう。

「いや、良いよ。時間が勿体ない」

 田所が空き缶を、規則正しくみぞが彫られた床に、ぞうに置いた。

「時間なら大丈夫だって。サイシューまでは、まだまだ時間、たっぷりあるし」

 一時間だけと言っておきながら、私は本当に、わがままだ。

「いや、そういう意味じゃないんだけど」

 田所が指先を癖毛に突っ込む。と鳴る音が、また私を熱くさせた。

「……ねえ? 寒くない?」

 そんなことはないけど私は、そんなことを言う。

「そう、なのかもね」

 田所が右手を私の背中に回し、引き寄せた。

「あんた、手慣れてるね?」

 私もその力に身を預けて、体の左をくっつける。

「これでも、緊張してるんだよ」

 田所の息がかかった。暖かい。

「わかってる、バレバレ」

「自分で言わなきゃ良かった」

 私だって緊張してる。でも私は自分で言わない。

「今あたし達って、どう見えてるんだろうね?」

「どうって?」

 駅の混雑はすでに消え失せ、足音達が聴こえる。

「だってさ、こんな姿、学校ではできないでしょ?」

「ははは、そうかもね」

 私は更に、体重を預けた。田所が支え続けてくれているので、倒れる心配はない。

「——でも、普通、なんじゃないかな」

 そう言って田所は、空いてる方の手で私の両手を握り、自分の右膝に移した。

「これが、ふつう?」

「うん普通。今の僕らは夜の風景の一部。よく見るじゃない? 

「うん、そーだね。あ、さっきのやつ、あたしわかった」

「え?」

「あんたさっき、関係うんぬん言ってたでしょ? それの答え」

「ああ、なるほど……ふふっ」

「何笑ってんのよ?」

 私もにやつく。

「いや、こういうのを、って云うんだなって」

「なにそれ?」

 こいつはまた変なことを言う。でも、なんとなく言いたいことはわかる。

「ねえ川越? 今更だけど、言って良い?」

「うん? 何を」

 私は預けていた頭を離して、田所に向いた。


「僕と、付き合ってくれ」


 田所の顔が、すぐ目の前にある。

 ——本当に今さら。恥ずかしいやつ。

「……こういうときは『はい』って言うべき?」

「茶化すなよ。ウンでもハイでも、どっちでも良いって」

 真剣なヤツを茶化すのは、こんなに楽しいのか。


「じゃあ——こちらこそ、よろしくお願いします……ふふっ、あははは」


 私はテンプレートな返事をした。

「なに笑ってるの?」

「なんでも!」

 こういうものは案外、こういう感じで良いのかもしれない。回りくどくしなくても、奇抜な感じにしなくても。


「——そういえばあんた、なんで最初にあんな奇抜な告白をしたの?」

 安心して少し冷静になった私に、あの時の疑問がよみがえる。

「……言わなきゃ駄目かな?」

「駄目」

「うわ。マジかぁ」

「まじ」

 どんな恥ずかしい答えが待ってるのだろう?

「ちょっとその前に、前提を言うよ? 僕は今、川越を——」

みず

「ん?」

「瑞稀で良いって……しゅう

「わ、わかった、み、瑞稀、僕はお前を——」

「『お前』はちょーし乗りすぎ」

 ——あたしもちょーし乗りすぎだけどね。

「とにかく、僕はみ、瑞稀を、今好きだから、こうしてるんだ。わかるよね?」

 琇の両手に、少しだけ力が

「……うん」


「でも、あの告白をした時はまだ、瑞稀の事を好きじゃなかったんだ」


 ……は?


「はあぁぁぁッ!?」 

 ——ちょっと待てぇい!? どういうこと!?

 今までの甘かった空気が一気に、駅の外へと流れ出た。

「うわ。やっぱそうなるよね? やめない? この話題。ホラ、もっと楽しいことをさ——」

「ムリ。だってもう、聞いちゃったし」

「わ、わかったよ。でも、怒るなよ?」

「それは後で決める」

「と、とりあえず、空き缶捨てて来るよ」

 私を抱き寄せていた腕をそっと離して、琇が立ち上がった。

「時間がんじゃなかった? 話して」

 私も立ち上がって琇の腕をつかみ、続きをうながす。

「うっ。ぼ、僕は、楽な学校生活を送りたかったんだ」

「楽な学校生活?」

「うん、ほら、僕ってそれなりに、変なやつでしょ?」

 本当にそう思う。

「うんうん」

「ちょっと、そこで『うんうん』は酷くない?」

「良いから早く!」

「せ、急かさないでっ! そ、それで僕は考えた。——」

 ——すっげー意味わからん!

「僕が変なこと言うのは作ってる時と素の時、両方あるんだ——」

 ——ほほう?

 それは知ってる、ずっと見てたから。そして、なんとなく言いたい事がわかった。

 私は口を挟む。

「要するに、アレ? 最初から変なヤツだと思われれば、ついうっかり変なこと言っちゃっても、とかなんとか、そういう感じ?」

「そう! まさにソレなんだよ! さすが瑞稀! 僕の彼女! ヒューヒュー!」

 ——なーにが僕の彼女よ!「ヒューヒュー!」じゃねーって!

 それでも、そう言われて喜んでいる自分がいた。私もそうとう変なやつ。

 こちらを見ている人達が、さっきよりも多い気がする。

「……まだ納得してないからね? あの時なんで、あたしにソレをしたの? 別に他の人でも良かったでしょ?」

 私の茶髪を引き合いに出さなくても、こいつならくつを使って、他の人にも似たようなコトをできたはずだ。

「それは、そうなんだけど——」

 ——そうなんかい!

「まずシンプルに、瑞稀を初めて見た時、可愛いと思った」

 田所……いや、琇が初めて私を見た時、それは合格発表の時である。琇が自分で言っていた。

「おい、可愛いとか言われてカンタンに喜ぶと思うなよ?」 

 ——ま、嬉しいんだけど。

「お、思ってないよ?」

 嘘つけ。気づいてるくせに。

「——そして、強そうだと思った」

「あ? 強そう?」

 ——どういうことだ?

「瑞稀の事だから気づいてたよね? 君の髪の色を皆んな、チラチラ見ていたことに」

「それは……うん」

 小学生の時は、そうでもなかった。でも中学に上がってからは色々と面倒なことも多かった。面倒なやつに絡まれて、面倒なことに巻き込まれたり。だから私は勉強に没頭したのだ、舐められたくなかったから。今では見る影もないほどになまけてるけど。

 要するに私は、髪の事で他人に舐められたくないのだ。

「他人の視線をものともしないあの時のギラギラした目つきに僕は、瑞稀をだと思ったんだ——」

 ——大丈夫? 何が?

「僕のせいでイジられる事はあっても、虐められるまでは行かないと、その時の僕は思った」

「……あんた、自分勝手なヤローね? マジで迷惑だったんだけど」

「ホントごめん、嫌いになった?」

「後で、考える」

 あの時私を好きだったのならば、仕方がない。私もこいつを好きになって、周りが見えなくなったから。そう、恋は盲目、である。

 しかしこいつは、確信犯だったのだ。少しだけ腹が立って来た。

「つ、続きだよ? その時の僕はそう思ったんだけど——」

「だけど?」

「想像以上に瑞稀は、気が強くて、そして、口が悪かった」

「今度は悪口?」

「わ、悪口じゃないよ。それもひっくるめて僕は瑞稀を好きだから——」

「好きって言われて、あたしがカンタンに喜ぶと思うなよ?」 

「思ってないよ! 瑞稀はそんなに簡単じゃない!」

「へーへーそうですか」

「瑞稀はすごく、難しいんだ。実際、そんなに強くはなかったし。気が強かっただけで」

 ——あたしが難しい? 強くない?

「瑞稀は学校が始まった初日、友達を作ろうとやっになってたよね? でも僕のせいで、上手くいかない事を気にしてた」

「ま、まぁそうだったけど……」

 あれは私の口の悪さが招いた事でもある。琇だけが悪かったわけではない。 

「その時思った。瑞稀のことは僕が守らなきゃいけない、ってね」

 ——またキザな言葉言いやがって。まぁシチュエーションは奇抜だけど……。

「——とりあえず初日は美空ちゃんのお陰でなんとかなった。でも次の日からは? 僕は、更に考えた」

「更に、考えて?」

「瑞稀は変なやつに絡まれて困っている女子、という前提は変えられないけど、その変なやつが皆んなに好かれる事はできる——!」

「ちょっと待って? すごい自信ね? あんた」

「その自信はあったからね。コミュニケーションは僕にとっては娯楽なんだ。『一人遊び』って言い換えても良いくらいに、独りよがりな僕の趣味。好きな事は楽しいし、上手くいかなかったとしてもやっぱり楽しい。自然と自信も湧いたし、かなりワクワクしてた」

「ワクワク、ね。ふーん?」

 凄い嫌味なセリフだ。コミュニケーションを「一人遊び」だなんて、それに苦労してる人達に土下座でもして欲しいほどに嫌味だ。

 でも、楽しいし、興味深いのもわかる。きっと琇はそれにハマり、そんな琇に、私はハマった。琇のおかげで日常が楽しくなったから。今までよりも、ずっと。

「もちろん、皆んなに好かれるっていうのは、僕の。実際にできるかどうかは、わからなかったよ」

「ふふん、そりゃそうでしょ」

「僕は変なやつだ。それでも良いやつだと思って貰えば、瑞稀を敬遠しようとする人は少なくなる。その上で瑞稀が何か困った事になったなら絶対にスルーしない、そう誓ったんだよ。その時には、もう、瑞稀に本気になった事は自覚していたし、原因を作ったやつは自分で、その責任を取らなければならない」

「……あんた、本当に、変なやつね? それに、嫌なやつ。でも、凄い律儀。どうやったらそんな意味わからない性格になれるの?」

「そんなのわからないよ。ただ僕は、感情のままに動いた、それだけ」

 ——理屈屋のこいつが、感情、か。

「でもあんた、まだ嘘ついてるよね?」

「嘘? ついてないよ?」

「あんたの話だと、あんたが私に優しくするのは義務感、他の人に優しくするのは趣味も手段、みたいな感じに聞こえるけど、実際は全然そんなふうに見えない。いくらあんたがそう思わせようとしてもね」

「……どうして、そう思う?」

「理由は三つ。まず、あんたは色んな人達に手広く関わるけど、手段というには。なんで? やっぱ趣味だから?」

「……」

「二つ目。あんたはあたしに特別に優しい、他の人達にするのとは違う意味で。たまにあたしに説教とかするでしょ、あんた。わざわざ嫌われるような事してまで、度を過ぎた優しさを見せるのは、なんで? 守りたい好きな相手に好かれようとしなかった理由は?」

「……三つ目、は?」


「なん、つーか……今の話を聞かされても、それでもあたしはあんたのことが好き、自分でもイミフなんだけど。今日あたしがあんたにワガママを言ったのは、美空の惚気話に影響されたから。そういう馬鹿な女が『義務感から好きになって優しくした』とか言われて納得できるワケねーし」


 我ながら、めちゃくちゃだ。

 特に最後のなんて全部、私の話。全然筋道が立っていない。

 それでもわかったことがある。

 琇は嫌われるような事を敢えて、嫌われるような言い方で、語っている。こんな突拍子もない話をあんな軽い口調で語られたら、普通の人は怒るだろう。それは琇自身が一番よくだ。

 私なら、やっと両思いになれた相手にこんな話を話さない。過去にあった悲しいエピソードなんかを付け加えれば私なんてイチコロだろうし、正直に話すにしても「僕は怖かったんだ」みたいな言い方をすれば私は泣いて同情するだろう。

 なのに琇は、それをしなかった。

 そして、私達にとってネガティブでしかないその内容を、私だけに打ち明けた。あんな軽いノリで。


 

 きっと、私以外の人達がこの気持ちに共感するのは無理だろう。理解すらもできないと思う。私ほど琇を見てない人達には。


「瑞稀、やっぱり君は難しいよ。

「でしょーね? 今のあんたの話を聞いて、それもあんたを好きな理由になっちゃったし」

「今の話を?」

「あたし、もうダメみたい。あんたが何言っても全部、好きなものになっちゃう」

 そう言えばまだ、琇に肝心なことを教えてもらってない。

「それは、困ったね」

 でも今は、教えてもらわなくても良い。

「……責任とれよ」

 これから私達の一緒の時間は増えるのだ。

「どう、すれば良いのかな?」

 いつか聞けるタイミングも来るだろう。

「男ならそんぐらい、自分で考えろっつーの」

 聞けなくても、気づけば良い。


「こういう時、どうするべきなのかは知ってる。瑞稀が喜んでくれるか自信はないけど、それでも、やって良いかな? 僕は、そうしたい」


 そう言って琇は、私の両肩をつかみ、私を真っ直ぐに見て、再び引き寄せる。


「やって。たぶんあたしは、嬉しいから」


 私も、琇のコートをつかみ、さらに近づいた。

 琇が、目をつぶる。

 私は、目をつぶった。


 ————————。


 駅構内にはまだ人がいる。

 私達には関係ない。

 私と琇は、夜の風景、そのものだ。

 

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