第12話 片想いはあたしの主観。

「——せない、というおもちだな?」

 教壇に立つ田所は、わざとらしい仕草をしていた。

「当たり前だ! お前の言うことなど、信じられるか!」

 矢嶋が鼻息を荒くして返す。

「信じるも信じないもうぬの勝手であるが、現に我は、神、としてではなく魔神としてこの世に、けんげんしている——」

 私は黙々と問題集のページをめくる。このやり取りには参加していない。

「汝等人間は規則を作り、そして罪を定義した。しかし、それこそが浅はかで無意味な事なのだ」

「一体、何を言っている……!?」

 本当に何を言っているのだろう。

「汝等人間に起こりうる事は全て、汝等の自業自得だ。汝等個々の、ではなく、種としての自業自得。ごうまんしっいかり、ごうよくたいしきよく、その全てに意味など無く、罪でもない。ただの汝等のだ——」

「くっ……!!」

 ——いや「くっ……!!」じゃねーよ。何か言い返せって。

「もし罪が有ると云うのならば、それはゆえの信仰だ。汝等は事象の原因を外に求め、真の意味で省みると言う事を——」


「うっせー! 黙れ! 良い加減にしろーッッ!!」


 今叫んだのは矢嶋ではない。私だ。

「何? 川越。今良いトコなのに」

 田所が私に言う。

「耳障りなのよ! 勉強に集中できないだろーが!」

 今日から三学期が始まった。今は昼休みだ。昼食を終えた人達のほとんどは、自習をしている。コイツら以外。

「いーじゃん、瑞稀。どーせ俺らは赤点だから、追試で勝負すれば良いって」

 そう言ったのは矢嶋。コイツが何故この学校に居るのか、私にはわからない——つーかあたし、赤点取った事ねーし。

「一緒にすんじゃねーよ。つーか下の名前で呼ぶな。○ね!」

「おーおー。こえーこえー」

 そう言いつつも矢嶋は、全然怖がっていない。

「——? 今のカイくんはカッコ悪いし、わたしも良い加減にした方が良いと思う」

「そうよ美空! もっと言ってやって!」

 どうやら美空も我慢の限界だったようである。

 何故皆んなが昼休みに勉強をしているのかと言うと、実力テストが近いからだ。実は二学期の時点ですでに、殆どの教科が最後の方まで進んでいる。ただでさえ広かった二学期の期末テストに一学期のものも加えられてしまうので物凄く範囲が広く、私達の多くは、ピリピリしていた。

「み、美空。違えんだって。俺らはこのやり取りを動画にしてバズらせようと……」

「バズんないと思うし、カイくんもちゃんと勉強しようよ? わたしも手伝ってあげるから」

「お、おう」

「いやー、美空ちゃんにそんな事言って貰えるなんて、は羨ましいねー? 僕も美空ちゃんみたいな可愛い彼女が欲しいなー?」

「琇! お前が『カイくん』言うな!」

 今では矢嶋もイジられキャラだ。というか、矢嶋しかイジられてる人はいない。私も最近は田所の事でイジられる事が少なくなった。矢嶋が調子に乗ると美空が叱るので、皆んなそれを見るために矢嶋をそういう方向に誘導していたりもする。

 そして、その先陣を切るのは田所だ。

ひろ、今日のカイくんは何点かな?」

「んー、なんつーか、ちょっと『カイくんらしさ』が薄いっつーか……どう思う? 真也」

「ちょっと戸高! 秋山までそっちに巻き込むなって!」

 私は死ぬほど関わり合いになりたくなかった戸高とも、今ではある程度話をするようになっていた。夏の課題研究の時にたまたま同じ班になった、というのが大きい。戸高が「地域の活性化によって未来を創造する」などというテーマを言い出した時は、ついつい自分のほおをつねってしまった。

 ……同じようなテーマを掲げたあたしが言うのもアレだけど。

「『カイくんソムリエ』のとしても少し、物足りなかった、かな? ちょっとカイくんは谷口さんに弱過ぎると思う。『お、おう』なんてリアクション、俺のイメージするカイくんではない気がするんだ。もっと彼女を引っ張って行かないと」

 秋山がカイくんについてマジレスする。

 ……そうだった。

 今では秋山も「カイくんイジリ」の筆頭だ。ちなみに秋山も夏、私と同じ班になっていた。

「秋山、あんた変わったね……」

 ——いつのまにか一人称も「俺」になってるし。

「うん! 川越さんのおかげ!」

「お、おう」

 ——やべっ! 矢嶋のリアクション移っちまった!

「さあ皆んな! そろそろチャイムが鳴るから席に着こう! 次は数Aの杉下先生だから、既に廊下に居るはずだ!」

 一番騒いでた田所こいつが何を言うのか。学級委員でもあるまいし。ちなみにその役割りは手塚さん、なのだけど、彼女はイヤホンをして外界と自分を完全に遮断している。は彼氏と電話で喧嘩したっきり戻って来ないし、何なのだろう、このクラス。


 そして放課後————。

 まだ夕暮れ、というほどではないが、やまぶきがかった陽光と影のコントラストが、教室の中で強調される。

「美空ー? 今日は『カイくん』と帰る感じー?」

 美空が矢嶋と付き合いだしてからの、私達が一緒に帰る比率は半々だ。美空は矢嶋の部活が終わるまで待っている事もあるし、私と帰る時もある。そのさじ加減は美空次第。

「うん。ゴメンね瑞稀」 

「良いって良いって。あたしの美空があんなやつに取られちゃって、ちょっぴりさみしーけどさー。矢嶋より先にコクるんだったわ、美空に」

「もう、やめてよ、ふふっ。それに瑞稀には田所くんがいるでしょう?」

 そう、今では美空だけが私を「田所イジリ」してくる。他の人達は飽きたのだろう。「カイくん」をイジった方が楽しそうではある。

「ねー美空? やっぱあたしらって、そんな感じに見える?」

 私は「ち、違うわよ!?」みたいなリアクションはせずに、ナチュラルな返しをした。美空のイジリは、イジリであってイジリでない。それは美空から見た私達に対する自然な感想なのだ。私から見ても美空の感想は意外に思えないし、だからこそ自然な会話が成立したりする。

 そう、今の私は田所を異性として、意識していた。

「そんな感じって言うか、田所くんはハッキリ瑞稀に『好き』って言ってたし」

 ——そう、皆んなに見られてんだよなー、あいつの奇抜すぎる告白。

 あんなものを皆んなに見られて、なぜ私達が虐められていないのか不思議だ——ま、そんな事しそうなやつなんて思い浮かばねーけど。それに——。

「いや、好き、とは言われてねーのよコレが。ただ『一目惚れ』って言われたダケ」

「同じでしょう?」

「いーや、あたしも最初はそう思って『無理』って言ったんだけど、あいつって、特殊じゃない? だから、わかんねーっつーか」

 田所の「一目惚れの定義」は、私の知るそれと、なんか違う気がする。もちろん田所は私にそれらしき態度を度々見せている。だから疑う余地はないのだろうけど、やはり「好き」と言われない限り、確信は持てない。

「それって瑞稀の方がもう、好きって事じゃない?」

「は? なんでそーなんの?」

 間抜けな声で訊き返した私だけど、リアクションほどには動揺していない。何故なら自分でもそう思う時があるのだ。

「だって田所くんといる時の瑞稀、すごく楽しそう、ていうか自信満々。たぶん事に対する自信でしょ? でも離れてみると、その自信がなくなって、アレコレ考えちゃってる。瑞稀はさ、もう一度ハッキリ、わかりやすく、田所くんに好意を伝えて欲しいんだと思う」

 ——う、かなり、的確。


 私は田所と一緒に居ると安心する。

 私があいつのおかしな行動にを入れると、あいつはを私に返してくれる。

 私がおかしな言動をと、あいつは本当の言葉でたしなめてくれる。

 あいつに困らされるのは、とても楽しい。

 あいつの困った顔を見るのも、とても楽しい。

 私が困った時は、あいつが助けてくれる。

 私が困った時は、あいつの困った時だ。

 だから私は、あいつに色んな言葉を、平気で言える。

 そしてあいつは、私に色んな言葉を、言ってくれる。

 だから、安心する。

 それでも。

 それでも、あいつが私にだけにそうなのか、その確信が持てない。何故なら私は、私の知ってる田所の事しか、知らないからだ。

 これではまるで、

 あいつが、私を好きな、はずなのに。


「————瑞稀? また田所くんのこと考えてたでしょう? ふふっ!」

 何故か美空が田所に見えて来た。

「美空? もしかしてあたし、かなりわかりやすい?」

「わかりやすいよ? とっても。でもわかるなー。わたしもそうだったから」

 ——ん? 自分もそうだったから? 

 つまり美空はこう言いたいのだ。今私が感じているこの気持ちは「すでに自分にとって通り過ぎた気持ち」なのだと。

「……美空、まさか矢嶋と、?」

 下品な質問が口をいて出る。

「え? 行くトコって?」 

 どうやら美空はわかってないようだ。そこは安心する。

「あはは、そうだよね? てっきりあたし、そういう経験をしたから美空の恋愛アイキューが高まったのかと思って」

「そういう経験て——あ、そういう経験って、『そういう経験』の、こと? えっと、まぁ、そうなの、かな……?」

 美空は顔を赤らめて下を向いた。

 ——ううぇい!? !?

「うっそ! マジで!? だけじゃなくて、そんな恋人らしい事を!?」

「ペアコーデ……え!? 気づいてたの!? やめて! 恥ずかしいから!」

 そこは今更のような気もする。

 大人っぽく見えていた美空が急に、子供っぽく見えてくる。

 ——でも、どうしよう? このまま、この話題を続けていーのか? そういうのって、当人達だけの秘密でしょ?

「じ、じゃあ、あたしは帰る、かなー? 田所との事は自分で考えるから、美空は矢嶋とごゆっくり……いや、今の言い方はアレか。ゴメン、とにかくサイナラ!」

「ま、待って!」

「——え?」

 逃げるように教室から出ようとする私を、美空が止めた——。

「ちょっと、ちょっとだけ話、聞いてくれる?」

 真っ赤な顔をした美空が私に、上目遣いでそう言った。

 ——聞くって、マジかよ……? あたしはどんな顔して聞けば良いの?

 私は、自分の田所への気持ちを棚に上げ、美空の恥じらう表情に恥じらいを、感じてしまうのだった——————。

 

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