第13話 体験はヒトを変える。

 私達は教室を後にした。

 私と田所の事はともかく、これから美空が話すであろうその内容に、なんぴとたりとも聞き耳を立てる事は許されない。取り敢えず私達は屋上へ向かう——。

「瑞稀? たしかウチの学校の屋上って鍵かかってなかった? そこへ行くまでの階段にもネットが張られてるはず——」

 そう、花菜高の屋上は立ち入り禁止だ。

「大丈夫よ。ネットの内側なんてすり側から行けば簡単に入れるんだし」

 屋上のドアの前にある空間こそが、今私達が行くべき、ひとのない場所である。

「ええ? やめようよ?」

「いーからいーから」

 私達は階段をのぼり、のぼる。そして、辿り着いた。しかし、そこから先へのぼる事は、出来なかった。

 何やらと男女のささやき声が聞こえる————先客がいたのだ。

 私は小声で美空に言う。

「ねえ、なんか腹立たない? チクっちゃう?」

「ええ? ふふっ、やめようよ瑞稀。は我が身、だよ? とりあえず、別の所にしようよ」

 ——明日は我が身? まあ、そりゃそうか。

「別の場所? まさか教室に戻るとか?」

 美空は案外、肝が据わっている。皆んなの前で矢嶋を「カイくん呼び」するのがその根拠だ。でも、流石にアレな内容を人前で話すのはまずいだろう。

「いや、流石にわたしも恥ずかしいから、それは嫌だな」

 恥ずかしい、と言いながらもその顔の赤みは既に、消えていた。

「だよねー? でもあたし、他の場所知らんしなー」

「わたしが知ってる——ついて来て」

 ——なぬ?

 今度は美空が私をけんいんする。そしてその場所は——。


「アレ? ここって、ちょうかく室?」

「うん」

 視聴覚室とは簡単に言えば、映像などを観る部屋だ。しかし、私達が入学する何年か前に、クラスごとにモニターが設置されるようになった為、今ではあまり使われない部屋になっている。それこそ課題研究の発表ぐらいにしか使われていない。

「でも鍵かかってね?」

「ふふふ、見て?」

 美空が制服のポケットから、何かを取り出す——デレレレーン! それは、鍵だ!

「ええ!?」

「取り敢えず入ろ?」

 私達は入念に周囲を見渡した後、部屋の中へと入る。当然の事だけど誰もいないし、空気も冷たい。


「ねえ美空? なんでここの鍵持ってんの?」

「えへへ、実は前にココを使った時、鍵を返し忘れちゃって、そして先生もわたしに鍵を預けてた事忘れてたから、ついでに鍵、作っちゃった!」

「うおう!? お主、やっぱり中々やりおるな? つーか、何が『ついで』なのよ?」

「え? だって奇跡的でしょ? ここの鍵を持って帰っちゃうなんて。カイくんとお話するのに便利だなーとか思っちゃった。えへへ」

 ——恐ろしい子! つーか「明日は我が身」ってそういう事か!

 まさか、美空がそんな事をするとは。しかもたぶん、確信犯。ここに田所が居たら「それも平凡の範囲内だよ」とでも言うのだろうか——いや、ねーわ。

 さすがにあいつでも美空がこんな事するのは想像できないだろう。

「ね、ねえ? 美空? もしかして?」

「ばっ! そんなわけないでしょ!? 馬鹿なこと言わないで!」

 美空が怒った、赤面しながら。

 ちょっとだけ私は安心する。

 とはいえ、今目の前にいる美空は経験者で、私は未経験者。話を聞いて欲しい、という事は、私に何かを相談したいという事なのだろうけど、役に立てる自信はない。

 私達は近くにある席を適当に選んで、長机を挟んで椅子に座った。


「美空、一応の確認、なんだけど、あたし達の認識に、はないよね?」

「ズレ?」

「つまり、『そういう経験』ってのは、キス、の事じゃないよね、ってコト」

 私は一つ一つの言葉を区切りながら、ゆっくりと質問する。というか、私はキスすらもした事がない——「チュー」ならあるけど、小さな時に。

「……うん。キス、じゃない、よ?」

 またまた美空の頬が赤くなった。もう何度目かもわからない。

 ——キャーキャー! ヤバいヤバい! 今あたしが美空を食べちゃいたい!

 これで美空が矢嶋と「そういう事」をしたのは確定した。でも私にとっての美空は今でも、じゅんすい、そのものだ。むしろた好奇心が芽生え始めている私の方が、じゅんよこしまなのかも知れない。

「ちなみにキスはいつしたの?」

「キスは、カイくんに告白された、その日……」

「キャー!? まじでー!? なるほどねー!!」

 ——矢嶋めー! 羨ましいぞコノヤロー!

 ちなみにこの視聴覚室の防音設備は万全だ。窓さえ開けなければ好きなだけ大声を出せる。

「瑞稀、楽しんでるでしょ?」

 ——うっ! 心の内を読まれた!

「ち、違うよ? 参考までに、ね?」

「何の参考?」

「いーからいーから! 美空は話したいコト話しちゃって?」

「もう……! こっちは真面目なのに」

 そう言う美空は、そんなに怒ってはいないみたいだ。きっと誰かにこの話をしたかったのだろう。そういう意味では、美空も楽しんでいるに違いない。

「ゴメンて。こう見えてあたしも真剣だから、安心してよ? だから、ゆっくりで良いから……美空はあたしに、何を聞いて欲しいの?」

 私は声のトーンを、——。

「何をって——そうだ、わたし、何を言いたかったんだっけ?」

 ——うんうんわかる。聞いて欲しいことがあっても具体的な内容って、直ぐには思い浮かばないのよねー。

 でも私は知っている。そういう時は順序よく筋道を立てて、聞けば良い。

「美空はさ、あたしが『そういう経験の話』から逃げようとしたのを見て、呼び止めたわけでしょ? という事は、美空が話したいのって、『その内容』ではないハズ。?」

 というか、あまりに生々しい内容を話されたなら、私が困る。そんな話題に対しての適切なリアクションを、私は用意していない。

「う、ん……そう、かな? ねえ瑞稀? わたしがそういうことしたって聞いて、どう思った?」

 ——うお! 質問返し! いや、違う……!

 美空は聞いて欲しいのではなく、

「びっくりしたよ? だって、あたしの中の美空が、そーゆーコトするイメージ、なかったし」

「そう、だよね?」

「うん。でも、それだけ」

「え?」

「意外に思ったのは最初だけ。だって美空、矢嶋と付き合ってるんでしょ? 見てるこっちが恥ずかしくなるくらいにラブラブじゃん?」

「恥ずかしく? ラブラブ? ええ!? そう見えてる!?」

 美空の「そう見えてる?」は、先ほど私も使った言葉である。恋は盲目、とは云うが、もしかしたらその言葉はという意味なのかも。つまるところ「自分が見えない」とはそういう事だろう。

「見える見える。だから『そーゆー事もそりゃーするよね?』って思っちゃった」

「でもわたし達、まだ高校生だよ?」

「そーだね。でも、そういう気分になったら我慢できずにしちゃうんじゃない? だってウチらはまだまだ未熟な子供なんだし、フツーだよ」

 ……知らんけど。

 私は以前、「子供のなんたるかを理解できないうちは、たとえ自分が子供だと自覚していたとしても、子供以上の存在にはなれない」という言葉を聞いた事がある。モニターに映った知らないオッサンの言葉だ。今美空に語った私のこそが、私が子供である事の、何よりの証拠。

 しかし、子供である事のどこが悪いのか。。開き直りは大事だ。

「子供だから普通、か……そう、なのかも。でもね? 前にも言ったけどわたし、お父さんがいないんだ——」

 ——ふむ、そういうコトか。

 美空のうち母子家庭シングルなのは知っている。その背景までは聞いていないけど、なんとなくは、想像もつく。そして、今このタイミングでこの話題をするという事はまさに、である。

 ……そういう事ってコトバ、多くね?

 私は美空をさえぎるような事はせずに、その続きを待った。やっぱり「聞いて欲しい」の割合の方が、多いみたいだ。

「ウチはたまたまおちゃんが資産家だったから、わたしは苦労とかもしないで済んだんだけど、それでもお母さんは、苦労したみたい。行きたかった大学にも行けなかったし、初めての就職先でだって、変な目で見られたらしいし」

「そう、なんだね?」

「うん」

「美空は?」

 私は敢えて抽象的な質問をした。

 これで美空の話の方向性が分かりやすくなる。お母さんの事を話したいのか、自分の気持ちを話したいのか。もちろんこの技術は田所のいれだ。

「若いお母さんが羨ましがられる事もあった。けど、変な目で見られても当然かな? とも、思う」

 方向性が決まる。

「うん、私も『それはそうか』って思う。だってあたしら親がそーゆーコトして産まれたんだし、それを子供のうちにしたってコトが会う人会う人にいちいち知られるんだから、色眼鏡は当たり前なのかもね? でも美空は? 何も考えてないわけではないよね?」

「うん、一応気をつける事は気をつけてるし、カイくんも優しい、から——」

「優しい」という言葉を言った時、美空の顔がまた、赤くなった——やめてよ? 生々しいハナシ。

「それでも、『まだ』、じゃない? いつお母さんと同じようになるか、わからないでしょう? だから、怖くてわたし、拒絶しちゃったんだ、最初」

「キョゼツ? どういうこと?」

 ——いや、意味はわかる。わかるんだけど、聞かずにはいられない!

「カイくんの家に遊びに言った時——」

「遊びに行った時?」

 ——うお! やっぱ生々しい話が始まった!

 ちなみにとか他の女子とも、こういう話は結構する。その時のわたしは「うんうん、そうなんだねー?」とか返す。の見えない話だし、途中で口を挟むと相手がムスッとするからだ。それに私も他の子と似たようなものだし。

 しかし、美空の話はなるべく真剣に聞いてあげたい。何故なら私と美空は「親友」、だから。

 でもまずはやっぱり、聞き続けるのが正解だ。何か意見があったとしても、その順番は最後にしよう。きっと田所なら、そうする。

「その日は土曜日だったんだけど、カイくんには誰もいなくて、二人で一緒に映画観ていたの——」

「何の映画?」

「ゴ○ラ」

「ぶっ! ご、○ジラね? うんうん」

「それで、なんか、そういう雰囲気になっちゃって……」

 ——ご、ゴジ○で、そういう雰囲気……! いや、よそう。きっとそーゆーコトも、あるのかも。

「カイくんにギュッとされた時は、なんかしあわせ……や、やっぱやめよ? 話してて恥ずかしくなってきた」

 ——だろうね?

「美空が話したくないならそれでも良いけど、そのために、あたし『達』は視聴覚室にまで来たんだよ? 拒絶ってワードまで出されたらあたしだって、そりゃあ続きが気になるんだけど」

 そう、すでにこの話は美空だけのものではなく、「私達の話」に変化しているのだ。美空が私に「話を聞いてくれる?」と言ったその時から。

「う、うん、そうだよね。わかった。瑞稀には全部話す——」


 というわけで、話は続行。トゥービーコンティニュード、である——————。

 

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