36:キミ、だれ?


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 ちひろさんから連絡を受けた俺は、急いで先輩が運ばれた病院に向かった。正直、頭の中では先輩が事故にあったことを全然受け止められなくて、心臓だって今までにないぐらい激しく動いている。


 土屋先輩の容体はわからない。ちひろさんもまだわからないことが多すぎて混乱しているようで、俺に病院の場所を教えるので精一杯だったようだから。きっと先輩のことだから、大丈夫。そうだ、土屋先輩はいつも元気いっぱいで、明るい人だから……きっと、大丈夫……。


 そう何度も何度も自分に言い聞かせた。でも、身体は馬鹿正直で涙が勝手に溢れ出してしまう。走りながら何度も手で涙を拭っても、止まる気配は全くなかった。


 いやだ! まだ、俺は土屋先輩と一緒にいたい!


 誕生日だってまだ祝えてない。一緒に美味しいご飯を食べに行って、一生懸命選んだプレゼントを渡したい。それに、俺の思いだってちゃんと伝えたい。土屋先輩のことが大好きだってこと、これからもずっと、一緒にいたいって気持ちを。


 でも、何より俺は先輩には元気でいて欲しいんだ。幸せでいて欲しい。もう、俺なんかがどうなっても構わないから、神様。土屋先輩のことを助けてください! あの人がまだまだずっと、笑って日常を過ごせるようにしてください。


 絶対、こんな形で終わるのなんか……ダメだ。


「さ、真田くん!」


 そしてようやく、俺は先輩が搬送された病院までついた。ちひろさんのところまで行くと、彼女はハンカチで涙を抑えながら俺に現状を教えてくれた。


「お、お姉は大丈夫だったよ……命に別状はないって」


 それを聞いた瞬間、身体の力が一気に抜けて俺は膝から倒れ込んだ。先輩が無事だったってことがわかって、これ以上ないぐらい安心したから。本当に良かった、本当に……。


「さ、真田くん、大丈夫!?」


「だ、大丈夫です。先輩が無事だって知って身体の力が抜けちゃったみたいで」


「……そっか」


「でも、怪我とかは大丈夫なんですか? 骨折とかは……?」


「大きな怪我はしてないみたい。だけどお姉、おばあさんのことを助けるために無理して事故にあっちゃったみたいだから……頭は強打しちゃったの」


「先輩……。で、でも頭を打ったってことはもしかして記憶喪失とかに……」


「……私たち家族のことも、自分のこともお姉は覚えてたよ」


「よ、良かった……」


 頭を強く打ってしまって、記憶喪失になってしまったって話は聞く話だ。それもなさそうだとわかると俺はホッとした。だけど、ちひろさんの表情は一向に上向かない。どうしたんだろう、まだ何か心配なことがあるのかな?


「……ねぇ真田くん。これは……やっぱり伝えないといけないことだとは思うんだけど……。覚悟をもって、聞いてもらえる?」


「え?」


 ちひろさんは涙をポロポロと流しながら、俺の目をしっかりと見て何かを伝えようとした。間違いなく、悪いことが伝えられる。それでも俺はそれを受け止めないといけない、そう覚悟を決めた。


 けど。


「……お姉、真田くんのことだけ覚えてない」


「……………………え」


 あまりにも、その事実は俺にとって……残酷すぎる。


「え……ちょ、ちょっと待ってください……な、何で……そ、そんな……」


「……どうして出かけたのかわからなかったみたいだから、真田くんと一緒にお出かけしていったんだよって教えてあげたんだけど……わかってなかった」


「…………!」


「さ、真田くん!」


 血の気が一気に引いていく。先輩が俺のことを忘れてしまったなんて事実を受け止めることなんて到底できる気がせず、俺は反射的に先輩のいる病室に入っていった。


 きっとそんなの悪い冗談だ。先輩が俺のことを忘れるはずがない。そう、信じたかったから。


 だけど、その望みはすぐに打ち砕かれる。


「…………キミ、だれ?」


 キョトンとした表情で顔面蒼白状態の俺を見つめる先輩は、無慈悲にそう言った。それを見てしまった瞬間、俺は起きてしまった現実を真正面から突きつけられてしまう。


 本当に、先輩は俺のことを忘れてしまったんだ。今まで一緒に働いてきたことも、楽しかったことも、全部。


 声をあげて泣き出してしまいそうだった。脳はもうまともに機能していないのは明白で、何も思考がまとまらない。俺は一体、どうしたらいいんだろう。


「…………」


 沈黙が続いてしまう。先輩は困惑した様子を見せていた。それもそうだ、今の先輩からしてみれば知らない奴が勝手に病室に入ってきて、黙り込んでしまっているんだから。


 何か言わないといけない。それだけははっきりとわかっていて……でも、何を言えばいいのかはさっぱりわからない。


 だからもう、無意識にこんなことを言っちゃったんだ。


「……土屋先輩のことが大好きな、バイト先の後輩です!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る