ストーンヘンジのロマン

イギリスのストーンヘンジ。

言わずと知れた、イギリス南部に存在する世界遺産。

巨大な石が環状に立ち並んでいる、あの遺跡である。


ストーンヘンジはその景観というより、未だ明らかにならない「謎」に大きな魅力がある・・・と、わたしは思っている。


『一体、この巨石はどこから来たのだろう。誰が、いつ、どうやって並べたのだろう』と、大いなる謎に思いを馳せ、ロマンを感じる。それこそが、ストーンヘンジの楽しみ方なのだ。


あれは、撮影スポットなどではない。

目に見える印象ではなく、目に見えないストーリーを想像することに価値がある・・・なんて、そんな芝居がかった言葉は既に他の人達が百万回くらい言っていそうだけど。


今も多くの研究者達が、ストーンヘンジの謎を解き明かそうと研究を続けている。

「ストーンヘンジ」と調べてみると、何やら難しい言葉や文章がたくさん出てきて、読んでみようかなと思ってはみるけれど、やっぱりいいやと断念してしまう。

だから、その辺の研究について、わたしは何も知らない。


このまま技術が進歩していけば、いつの日かストーンヘンジの謎も誰かに解き明かされてしまうのだろうか。

その分野に携わっている人にしてみれば、それはきっと素晴らしいことなのだろう。

でも、謎が解き明かされてしまうのは、少し寂しいことのように思える。


正直言って、謎は謎のままであってほしい。

だって、無茶苦茶な説がいっぱい出てきた方が面白いし。

好き勝手に想像・妄想を膨らませたいじゃないか。


「こういうことでした」という結論が出てしまったら、それっきりになってしまう。


懸命に研究をおこなっている人達がたくさんいるのだから、勝手な意見を声高に主張しようとは思わない。

だけれども、もしも「どう思う?」と聞かれたら、わたしはひっそりと小声で答える。

「謎を解き明かすなんて野暮だし、解明されたらつまらない」と。



それはともかく、わたしにはストーンヘンジにまつわる悲しい思い出がある。



イギリスに短期留学した時。

通っていた語学学校のアクティビティ──つまりは遠足に参加し、ストーンヘンジに連れて行ってもらった。


その時に起こった話だ。


ストーンヘンジを見学した後、ビジターセンターの外にあるテーブルで、わたしは一人のクラスメイトと休んでいた。


そのクラスメイトとは学校でもよく言葉を交わしており、その遠足では朝からずっと行動を共にしていた。


二人で休んでいると、隣のテーブルに座っていたご婦人が話しかけてきた。

ご婦人は「あなた達、二人で来たの? お友達?」というようなことを、英語で尋ねてきた。


その質問に対して、クラスメイトは「いえ、友達ではありません」と英語でキッパリと答えた。

答えを聞いたご婦人は、気まずそうな顔をしていた。

わたしも、なんだか気まずい気持ちになった。


クラスメイトはおそらく『友達ではなく学校のクラスメイトで、学校の遠足で来たのです』というようなことを答えたかったのだろう。

あるいは、母語ではない英語のやりとりだったから、何らかのすれ違いがあったのかもしれない・・・いや、それにしては見事なまでに明瞭な否定だった。


翌日からも、そのクラスメイトとは学校で楽しい時間を過ごした。他のクラスメイトも連れ立って、街までご飯を食べに行ったこともあった。


だが、彼女に「友達」と認められたかどうかは、彼女が語学学校のコースを修了して帰国してしまうまで、結局明らかにはならなかった。



友達というのは難しいものである。

いつか、ストーンヘンジの謎が解き明かされる日が来たとしても、複雑な人間関係の謎が解き明かされる日は永遠に来ないだろう。

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