第5話 飛翔しろ

 眼前に、刻々と真っ黒な奈落の底が迫っていた。

 このまま前へ進み続けると死んでしまう。待ち構えているのは転落死なのだ。そう理性が強く告げている一方で、走り続けるに従って鈍い耳鳴りと頭痛は収まり始めていた。そして、その頭痛と入れ替わるようにして、高い耳鳴りが起こり、脳が暖かく包まれていく。僕の目は、真っ黒な崖底を真っ直ぐに捉えていた。


 どういうことだ。さっきは崖下に片足を踏み出そうとしただけで、強烈な耳鳴りと頭痛を伴う指示、警告が発された。それなのに、奈落の底に向かって走り続ける今の僕に対しては、暖かな包容、つまり「突破口はここだ」という指示、お告げが出されている。

 僕の頭はひどく混乱していたが、脳内の暖かな液体が、その混乱を徐々に鎮めていく。


 従うしかない。またしてもそう思った。僕はこいつらの指示に従うしかないし、従わない理由もないのだ。こいつらに従えば生き永らえ、逆らえばその命は失われる。簡単なことだった。

 僕は黙って頭痛を治め、脳を暖かくするために

言いなりになればいい。すべきことはそれだけなのだ。


 操られるままに、崖に向かって駆け続ける。キノコの青白い光が前方から後方へ流れていき、漆黒がさらに迫ってくる。

 恐怖心は無きに等しくなっていた。高音のやわらかな耳鳴りと、暖かな脳内物質のおかげだ。


 両足により一層力を込めて加速する。あと数歩で奈落の底だ。しかし、もう迷いはない。


 大きく息を吸い、そして崖っぷちで右足を踏み込み、強く地面を蹴った。

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