第29話 アッシムリィ

 季節が移ろい、残暑が厳しかった九月から十月に入って秋めいてくると、大洗の日の出は五時半前後、日の入も十七時前後になり、こうした変化に伴って、自然時間に則った運営をしている河倉(かわくら)漁具店もまた、開店は朝の五時から六時に、閉店は夜の八時から七時に変更する事が叔父から告げられ、仁海も、肉体的には少しだけ〈ラク〉になったのであった。


 九月の一か月間の河倉漁具店・大洗店は、五時から二十時の十五時間(十月は六時から十九時の十三時間)が営業時間だったのだが、その間、絶えず来客があった分けではないように感じられていた仁海は、来客の傾向を知ろうと思い立って、営業時間を三十分ごとに分割して、いずれの枠に、どんな客が何人来たかをエクセルでデータ化してみる事にした。

 

 その結果分かった事は、開店直後・閉店直前に来店するのは、ほとんどが〈卸し〉のお客さんで、例えば、早朝に来るのは、自分の店の開店前に、なるべく新鮮なエサを仕入れたいが為であるらしかった。

 そして、夕方六時過ぎに店に来るのは、自分の店の閉店後に、翌日のエサを仕入れに来るケースで、多くの場合には、その日のエサの売れ行きが予想以上に良くて、売るべきエサのストックがなくなった事が来店の理由のようであった。

 さすがに、一か月近く、祖母の代わりに店に立っていると、孫の仁海の事を認知し始めてきたのか、卸しのお客さん達とも少しずつ話をするようになってきて、そうした会話の流れから、単にエサを売るだけではなく、彼等の来店理由を仁海は知るようになったのである。

 ちなみに、卸しの場合、まず鹿島店の叔父に予約の電話が入って、叔父から、何時に誰が来店し、何をどれくらい仕入れてゆくのか連絡が入るので、仁海もエサの準備のための予定を組み易い。


 実を言うと、あの敬老の日の閉店間際の出来事以降、叔父と仁海の間に、例の〈150〉号の銅付き錘の件が俎上に上がる事は一度もなかった。しかし逆に、話題にしなかったが故にか、お互いの間に見えない亀裂のような物が入ってしまっていて、叔父から予約注文の連絡を受ける際にも、軽口や冗談を交える事無く、用件だけを伝え聞くような感じになってしまっている。

 こうした状況の修繕には、もうしばらく、時間がかかりそうに仁海には感じられていた。


 卸しのお客さんに対して、小売り客の来店は、データによると、午前十時くらいから午後一時くらいの日中の三時間に集中している。

 もちろん、開店直後の早朝や夕方に来る、まずめ狙いの〈ガチ〉系の釣り人も確かにいるのだが、一般的な客は、太陽が照っている時間帯に、アウトドアのレジャーの一環として、釣りをする目的で、その前に店にエサを買いに訪れるようなのだ。

 太陽がサンサンと照っている間に、数時間釣りを楽しまんとするのならば、午前中に、遅くとも昼時にはエサを調達して、日中に釣りに興じるという流れなのであろう。


 一か月間、店に立ってきた経験と集めたデータによって、忙しい時間帯と、比較的暇な時間帯の傾向が分かって来た仁海は、客の少ない時間帯に、エサの手入れをしたり、帳簿を付けたり、初めて対応した事について調べたり、釣りの勉強をしたり、あるいは、掃除や洗濯などの家事をしたりと、多少なりとも、少しは上手に時間を使えるようにはなっていた。

 だがしかし、当初の予定では、客が凪ぎっている時間帯に、学校の勉強や受験勉強をしようと考えていたのだが、本来の彼女の本分である勉強に費やせる時間は、思った程には持ててはいないのが実情なのだ。

 店の運営と受験勉強の両立のためには、今の状況にもう少し慣れて、その上で、時間配分を、もっとうまく調整できるような、〈たった独りの冴えたやり方〉を考案せねば、とてもじゃないが、店長(仮)と高校生の両立はできないように、仁海には強く感じられていたのであった。


                  *


 十月八日の土曜日に祖母の四十九日の法要を終えた後、続く九日・日曜日と十日の祝日の連休は、通常通り、大洗の祖母の家に独り残った仁海が、独りで店を切り盛りしてゆく事になった。

 エサの手入れや、情報のSNSへのアップなど、開店後の早朝の業務を終えた仁海は、朝九時過ぎ、日曜日に放映されている〈テレビ朝日スーパーヒーロータイム〉を観ながら、やがて間もなく訪れる〈十時から十三時〉という釣具店のコア・タイムに備えて、お茶漬けでチャッチャと朝食を済ませようとしていた、まさにその時である。

 来客を告げるピンポンの音が鳴ったのだ。


「ヘヘヘ、アッシが来たあああぁぁぁ~~~! なんちゃって」

 そこに居たのは、高校の同級生で、中二の時に、仁海を夏アニに付き合わせ、彼女をアニメ・ミュージックの世界に引き摺り込んだ、ヲタク友達、〈淑子(よしこ)〉であった。

「あれ、〈シュッコ〉、突然、一体どうしたの?」

「実はさ、今日の午後、水戸のライヴハウスで、アッシの〈おし〉君が所属してるグループのライヴがあるんで、ちょっと早めにイバラキ入りして、ヒトミンの様子を見に来たってワケ。ヘヘヘ」

 そういえば、わたしの方は、夏アニ以来、全く〈現場〉に行けてないや。

 イヴェントがあるのは、基本、学生や社会人が休みの土日や祝日なんだけど、レジャー産業の釣具屋が、そもそも、土日祝に休めるわきゃないのよね。

 もう、わたしが〈現場〉に通える未来はあり得んし、イヴェンターを卒業するしかないかもだけど、やっぱ、〈現場〉に行ける人が羨ましいや……。


「でさでさ、うちのオシ君のグループ、今、〈関東制覇ツアー〉の真っ最中なんよぉ。で、この三連休が北関東三レンチャンで、昨日が群馬、今日が茨城、そんで明日が栃木なんよ。ヘヘヘ」

 仁海が、ちょっとしたジェラシーを覚えている間も、淑子は、ずっと自分の〈おし〉の事を語り続けていた。

 仁海をアニソン好きにしたのは、他ならぬ、この淑子なのだが、当の〈シュッコ〉の方は、アニソン界隈から、ライヴ・アイドル界隈に完全に興味が移ってしまい、華麗なる〈転生〉を果たしていた。

 ちなみに、ライヴ・アイドルとは、〈会いに行けるアイドル〉を売り文句に、ライヴ・ハウスを中心に活動しているアイドルの事で、ライヴ・ハウスの多くが地下にある事から、〈地下アイドル〉とも呼ばれている。


「そうなんだ。シュッコのオシ、水戸でライヴなんだね」

「そっ。でさ、ヒトミン、毎週末、大洗って言ってたしいぃ、水戸からなら大洗まで近いしいぃ、なら、来てみようって、思ったワケ」

 店の出入り口付近で、二人の女子高生は立ち話をしていたのだが、その最中に、お客さんがやって来たので、仁海は淑子にこう言った。

「お店、今からちょっと忙しくなりそうなんで、シュッコの事を、しばらく放置しちゃうかもだけど、家に上がって、テレビでも観てまったりしていてよ。パソコン、起ち上げっ放しだから、使ってもいいよ」

「モーマンタイ」


 それから、仁海は、淑子には家に上がってもらい、自分はジーンズ製のエプロンを着け、客対応を始めたのであった。


 この日のコア・タイムは、三連休の中日の日曜日という事もあってか、多忙を極め、小売り客がひっきりなしにやって来ていた。そんな状況下に、叔父から連絡が入って、いつもは、早朝や夕方の卸しの予約注文が入ってしまったのだ。

 十一時来店予定で、青三〇パックとの事である。

 青三〇は、今の仁海には何て事はない数字なのだが、小売りの客対応をしながらの、イソメのパック詰め作業になるので、あまりにも忙し過ぎて、仁海は、かなりテンパってしまい、完全に淑子の事を忘れてしまっていた。


「ねぇえ~、ヒトミン、ちょおぉ~忙しそうだけど、アッシも、なんか手伝おっか?」

 そう言いながら、淑子は、仁海が作業している店の奥のエサ場にまで入ってきたのだ。

「えっ! いいよ、いいよ、本当に、シュッコはお勝手でテレビを観ていてくれて大丈夫だから」

「ヒトミン、遠慮しないでよ。中学からのアッシとヒトミンの仲じゃん」

 そう言いながら、淑子はアオイソメが泳いでいる水槽の中を覗き込んでしまったのだ。


「ヒャアアアァァァアアア~~~!!!」

 店の中に淑子の絶叫が響き渡った。

「むり、ムリ、無理、これは、絶対にアッシにはムリィ」

 カシャっ!

 そう言いながら、淑子は目を逸らし、身体を水槽から遠ざけながらも、手に持っていたスマフォで、水槽内のアオイソメを写真に撮っていた。


 そして、スマフォをポケットにしまいながら、淑子は仁海に言った。

「そういえば、アッシ、今、思い出したんだけど、オシ君、ライヴの前に先行物販があって、そこでチェキ会があるの、すっかり忘れてたわ。

 じゃ、ヒトミンも頑張ってね」

 そう早口で捲し立てると、淑子は店から疾風のように出て行ってしまった。


「そりゃ、普通の女子高生には、アオイソ、無理よね……」

 そう呟きながら、仁海は、淡々と作業を続けていたのであった。

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