第27話 オモリコウカイ
「なんとか無事に乗り切れそうね」
十八時を過ぎ、仁海の初の店長代理としての三日間は終わりを迎えつつあった。
最初の土日は、店を二〇時に閉めていたのだが、最終日の祝日の閉店時刻は十八時だ。というのも、水戸駅発の最終の高速バスに乗るために、仁海は、遅くとも十九時半に大洗駅を出る鹿島線に乗らなければならないからである。
通常よりも二時間も早い閉店なのだが、とはいえども、この土日の日没後に来店したのは、初日に、潮見表の有無を訊いてきた前橋からの客だけだったので、夕方の六時に店を閉めても、問題はないように仁海には思えていた。
そして、仁海が閉店しようとしたまさにその時、来客があった。
「まだ大丈夫っすか?」
仁海がシャッターに手をかけていたので、大学生と思しき若者が、おずおずと尋ねてきた。
「えぇ。構いませんよ」
そういえば、店を閉めようとした時に限って、お客さんって来るものなのよって、よくバアバも言っていたわね。大洗を早めに出て、水戸で食事をしようと思っていたけど、まだ十八時を少し過ぎたばかりだし、帰りのバスは時間的には大丈夫だしね。
「もう、どこのお店にもエサが無くって困ってたんすよ」
「そうなんですね。ところで、何をお売りいたしましょうか?」
「イソメを二〇パックください」
「えっ!」
小売りでアオイソメが二〇も一度に売れるのは珍しい。どうやら、大洗に旅行に来ているサークルの仲間十名くらいで、夕方と朝方のまずめに釣りをやるそうで、代表者がエサを買うために、町内の釣具店を探し回っていたらしい。
しかし、連休最終日の閉店間際だったので、仁海の店でも、表のエサ場に出してあるアオイソメはほとんど無くなってしまっていた。
そのため、クーラー内に保存中の明日以降用のイソメを洗ってから、急遽、表のエサ場に出し、それからパック詰めをする事になる。それゆえに、エサ場での通常の作業よりも時間がかかってしまう。
「数が多いので準備に時間がかかりますが、大丈夫ですか?」
「無問題っす。待ちます」
初日の早朝時に比べたら、仁海の作業速度も上がってはいたものの、それでも、二〇パックを作り切って、客対応を終えた時には、時刻は十八時半を過ぎてしまっていた。
十九時半の鹿島線に乗るためには、遅くとも十九時十五分には店を出る必要があるので、割とギリギリの時刻である。
そして再び、仁海がシャッターに手をかけた時、店の前に車が止まって、そこから、初老の男性が下りてきて、店に向かってきたのであった。
えっ、まじ! このタイミングで。わたし、もう、あんまり時間ないんだけれど。
そう思いながらも、仁海は笑顔で客を迎えた。
「いらっしゃいませ」
「オモリ、見せてくんろ」
その客は、慣れている風に奥の商品棚に直行していった。
常連ではない客から質問攻めにされたら、むしろそっちの方が大変だったかも、そんな風に思いながら、仁海は、常連客が商品を選び終わるのをレジ横で待ち続けたののであった。
その客は、床の上に置かれている錘の袋を出し入れし続けた後で、奥の方に眠っていた大きな袋を取り出したのであった。
「あったっ! ごれっ!」
封も切られていない薄汚れた袋に、鉄アレイのような大きく太い錘が十数本入っていた。
「ネぇぢゃん、ごれ、二づな。ふぐろ、開けでくんろ」
老客に言われ、仁海は、その汚れた袋から錘を二つ取り出した。
袋に少し触っただけで仁海の手が汚れる程、袋は埃まみれであった。
「んで、いぐら?」
「ちょっと待っててくださいね」
袋の表面の埃をティッシュで拭き取ると、その下から、「150」と印字されたシールが出てきた。
えっ!
この鉄アレイみたいなの、一本一五〇円なの? 安すぎない?
でも、そういえば、オイちゃんが、ジイジが沢山仕入れた古い道具をワゴンセールで安売りしているって言ってたわね。
この重そうなの、〈150〉って錘そのものに刻まれているし、中古の錘って一号一円って発想なのかしら?
念のため、仁海は叔父に電話を入れてみたのだが、折り悪く、話し中で叔父は電話に出なかった。
時計を見ると、もう十九時近い。
さすがに、乗るべき鹿島線の発射時刻のリミットが近付いてきた。
「ネぇぢゃん、まんだ?」
老客にせかされてしまった。
袋に「150」ってシールが貼ってあるし、もうその値段でいいや。
「一本、一五〇円です」
「んじゃ、三〇〇万円なっ!」
そう言った老客は、三枚の百円銀貨を渡してきたのであった。
それから、ようやく仁海が店を閉めようとした時、叔父から折り返しの電話が掛かってきた。
「どうした? ヒトミ、そろそろ帰る時刻じゃなかったっけ?」
「そうだよ。でも、店を閉めようとした間際に、お客さんが連続できちゃって、お店を閉めるの今になっちゃった。バアバが言ってた通りだったね。お店を閉めようと思うと、お客さんが来るって」
「ハハハ、それな。で、何が売れた?」
「アオイソ二〇パック」
「卸?」
「いや、小売りで、ヨソから来た大学生っぽい人」
「それは大変だったな」
「うん。あと、錘。昨日、今日と色んな錘が売れたよ。ナツメの八号が一袋、カミツブシとかガン玉が入った円いのとか」
「分かったか?」
「うん。なんとか。あと、さっき、〈一五〇〉って鉄アレイみたいな錘が売れたよ?」
「はっ?」
仁海には叔父の口調が突然変わったように思えた。
「そんな錘、売り場に出してないはずなんだけど」
「なんか、常連っぽいお客さんが、冷凍庫の脇の棚の下を物色してた」
「ちょ、ちょっと、それって、オヤジの頃の物じゃね?」
「そんなの分かんないよ。でも、めっちゃ、袋が埃まみれだった」
「そんで、〈一五〇〉、幾らで売ったんだよ」
「オイちゃんが、商品には全てシールが貼ってあるって言ってたんで、一五〇円だけど」
「ば、ば、ば、バッキャロォォォ~~~、何やってくれたんだよっ! それは、一五〇号って意味だよ。〈胴付き〉が、たった〈一五〇円〉のわきゃねぇだろっ!」
「だって、おいちゃん、エサだけ売ってれば構わないって言ってたし、道具は値札の通りに売れって言ってたじゃない……」
「ったく、勘弁してくれよ。一本、その約三倍の五〇〇円だっつぅ~のっ! 今、鉛の値段も上がってるってのに、一体どんだけの損失だと思ってんだよ。まさか、袋ごと売ってねぇよなっ!?」
「袋ごとは売ってない」
「そんで……」
「『そんで』?」
「何本、売ったんだよ」
「に、二本……」
「は、はっあぁぁぁ~~~」
叔父の、怒り混じりのため息がスマフォから聞こえてきた。
「勘弁してくれよおおぉぉぉ~~~」
「でも、わたし、道具の事は何もキいていないし……」
「ったく、五〇〇円の利益をあげんの、どんだけ大変か、分かってのかよっ! これだから素人は」
「わかったわよ。悪かったのは、袋のシールの数字のまま売っちゃった、このわたしだからっ! じゃ、もう電車の時間だから、キルねっ! ごめんねっ!」
謝罪の言葉を捨てセリフのように言い放って、仁海はそこで叔父との電話を断ち切ってしまった。
今回の件で悪かったのは、たしかに、五〇〇円の商品を中古品と勘違いして一五〇円で二個も売ってしまった仁海であるのは間違いない。
未知の釣道具を売る時に、こんなに安いの? と疑問を抱いたのに、叔父からの折り返しの電話を待たずに、汚れた袋に貼られていたシール上の数字そのままに、商品を売ってしまったのだから。
だけど、だ。
叔父は仁海に、釣り具に関しては覚えなくても大丈夫だから、と言って、エサの研修しかしないままに、いきなり、独りでお店に立たせていたのだ。
しかも、道具に無知な、たしかに素人の仁海ではあったが、可能な限り、多忙で疲労困憊の叔父を煩わせないように、隙間時間や就寝前に独学したりして、仁海なりに独り奮闘してきたのだ。
それなのに、オイちゃん、あんな風な言い方をしなくてもいいじゃないっ!
でも、腹立ちまぎれにに電話を切ってしまった仁海ではあったが、少し頭が冷えてくると、今度は、店に損失を出してしまった自分の事が自分で許せなくなってきた。
どうしたら、この責任をとれるの?
これが、自分なりのケジメよ。
仁海は、財布から七〇〇円を取り出すと、一五〇号の錘の損失分に相当する、その金額を、売り上げ袋に入れ、それから、急ぎ、大洗駅に向かったのであった。
十九時半発・水戸行きの列車の発車直前に鹿島線に乗り込んだ仁海は、その後、水戸駅南口から東京駅行きの帰りの高速バスに乗った。
祝日の最終バスの乗客は思った程には多くはなく、奥の方の席に座った仁海の近くには他の乗客は一人もいなかった。
バスが出発した後、仁海は、スマフォで、在りし日の祖母の動画を何度も何度も繰り返し視た。
「ば、バアバ、わたし、やらかしちゃったよ。この先、わたし、お店、独りでやっていけるのかな……」
そんな仁海の呟きの後、スマフォのディスプレイの上には、雫が零れ落ち続けていたのであった。
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