第11話 萌えび? いや〈藻エビ〉だそうです
銀兵(ギンペイ)の説明の後で、叔父は、さらに店の奥へと仁海を連れて行った。
「ヒトミ、ウグイみたいな活き餌(いきえ)こそがうちの主力だから」
「オイちゃん、その『いきえ』って何?」
「活動の〈かつ〉に、餌って書いて〈いきえ〉、生きているエサの事さ」
店の最奥に、扉が二つある部屋があった。
「ここっていったい何?」
「クーラーだよ」
「『蔵』? 何かしまってあるの?」
「その『蔵』じゃなくって、この部屋が丸ごと冷蔵庫になってんのさ」
「まじでぇぇぇ~~~。なんで、こんなクーラー部屋が必要なの? 普通のエアコンじゃアカンの?」
「ダメなんだな、これが。つまり、活き餌ってさ、熱すぎると弱ってダメになっちゃうんで、冷やした所に入れて保存しておかなきゃなんだよ」
そう言いながら、叔父は、厚手の長袖の衣類を仁海に差し出した。
「いらないよ。わたし、平気だから」
まだまだ暑さが残る九月の初めだったので、仁海は、このままクーラー部屋に入るくらいが、ちょうど良い、と思ったのだ。
「アカン、アカンて。クーラーの冷えを、舐めたらアカンで。身体の芯までくっから」
叔父にそう言われて、渋々ながら、仁海は、長袖に腕を通した。
汗ばんだ腕に生地が貼り付き、仁海は不快感を覚えた。
(だから、ヤダって言ったのに……)
「じゃ、こっちの部屋のエサから説明すっから」
「ヒャッ!」
叔父が左の扉を開けるや、冷気が流れ出てきて、仁海の頬を撫でていった。
「こ、これは、涼しいって言うよりも冷たいね。むしろ寒いね。さっきの白い箱がヒャドなら、こっちは範囲魔法の〈ヒャダイン〉だよ」
「だろ、クーラーに入る時は、厚手の衣類が必要なのは、この冷気のせいなんだよ」
「分かったよ」
仁海は(わたしが間違ってました)と、声には出さすに叔父に謝罪したのであった。
左側の部屋には、手前に、四つのプラスチック製の水槽が、奥には、五つの大きなポリバケツが置かれていた。
仁海が水槽を覗き込むと、そこには、薄い茶色の半透明の小さなエビのような生き物が沢山いて、そのうちの何匹かは、元気よく跳ね回っていた。
「わかったっ! これって、生きたアミエビだ。ね、そうでしょ?」
「残念ながら、違うんだな、これが」
「えっ! 違うの?」
「オキアミやアミエビ、〈アミ〉って、ナリはエビみたいだけど、実はエビじゃないんだよ」
「そう言えば、さっき言ってたね。たしか、三センチくらいまでが〈アミエビ〉で、それより大きい六センチくらいまでが〈オキアミ〉で、両方ともプランクトンだったよね」
「それな。まあ、プランクトンが何かは知らんけど」
「ざっくり言うと、『プランクトン』ってのは、水面や水中を漂っている生物で、水の流れに逆らって泳ぐ力がない、そうゆう、例えば、ミジンコやミドリムシ、アオミドロとかみたいな、生態系のピラミッドの最下層の微生物の事だよ」
「なるほど。さすが、現役の女子高生だな」
「てへへ」
仁海は、照れ笑いを浮かべたのであった。
「でも、エビに似ているアミエビやオキアミがプランクトンなのは、ちょっと意外だったよ。このエビみたいなの、改めて冷静になって考えてみたら、普通に水槽の中で泳いでいるんだから、プランクトンに分類されているアミエビやオキアミじゃないよね。
あっ、そうかっ! うちでは冷凍のエサとしては売ってはいないけれど、これって〈アキアミ〉だ。そうでしょ? たしか、アキアミはサクラエビ科に分類されているエビの一種だったから、この生きているエビは、アキアミに違いない、間違いない。どう、当たりでしょ?」
「ブッ、ブッゥゥゥ~~~ですの」
「ん? 『ですの』?」
仁海には、叔父の渾身の冗談が全く通じなかったようだ。
コホンと咳ばらいを一つして、何事もなかったかのように叔父は説明を再開した。
「残念ながら、このエビは、アキアミじゃないんだな」
「じゃ、いったい何なの?」
「これは、モエビだよ」
「『萌えび』? 何それ? たしかに、かわいいエビだけど、これに萌える釣り人がいるのかな?」
「漢字で書いたら、〈も〉は、クサカンムリの下に、左にサンズイ、右に口を三つ書いて、その下に木って書く、漢字の〈藻(も〉〉で〈藻海老〉だから。同じクサカンムリでも、下に〈明〉って書いちゃダメだから」
「そんなの、わ、わかってるよ。オイちゃん。〈萌え〉なエビなんて、冗談に決まってるじゃん。たしかに、もえぇぇぇって感じで可愛いエビちゃんだけど」
「そんじゃ、話、続けっから」
叔父は、先ほどの仁海の無反応の仕返しとばかりに、口の端を少しだけ上げて、冷淡に応じたのであった。
「モエビってのは、種類的にはクルマエビ科に分類されているんだけど、〈アマモ場〉で採れるんだよ」
「『あまもば』って何?」
「要するに、〈藻場〉ってのは、海藻が茂っている場所の事なんだけど、その藻場の中でも、波の静かな平坦な砂泥底のアマモ場って所でモエビは採れるんだよ」
「つまり、藻が茂っている所で採れるエビだから〈藻エビ〉って理解でファイナル・アンサー?」
「それで、だいたいOK牧場」
叔父は、仁海にサムズアップしてみせた。
「このモエビは売れ筋なんで、お客さんが来たら、ガンガン売って欲しいんだよね。ちな、〈一杯〉五十五グラムで千円だから」
「『いっぱい』? 五十五グラムって沢山なの?」
「〈一杯〉ってのは、エサを売る場合の単位ね? で、エビは小さい網で掬ってくれ」
「重さは、どうやって測ればよいの?」
仁海に訊かれて、叔父はクーラー室内の台座に置かれていた、料理する時に材料の重さを測る際に使う〈計量計〉を指さした。
「これ、おかしを作る時に粉とかを測る器具に似ているんだけど」
「まさしく同じ物だよ」
「マジ?」
「まじ。これに入れ物を載せてボタンを押せば、容器の分を除いて、重さがゼロにセットされるから、その後は、五十五になるように、調整しながらエビを入れてゆけばよいって事」
「なるほど。材料の重さを測る時と同じ要領だね」
「それな」
「で、売る時には、水槽に、お亡くなりになったエビもいるから、それをお客さんに売らないようにしてくれ」
「生きたエビと死んだエビって、どうやって見極めればよいの? わたしでも分かる?」
「死んだエビは色が白くなっているから、すぐに分かるよ」
「なるほど。でも、売る時に、白くなったエビを入れないようにしたり、取り除くのって、急いでいる時とかに、そんな細かい作業を、やっている時間ってあるの?」
「だから、こまめにクーラーに入って、水槽の中の白くなったエビとか、抜け殻とかを取り除くんだよ」
「『抜け殻』?」
「モエビは脱皮するのさ」
「そ、そうなんだ」
「ところで、オイちゃん、モエビが欲しいってお客さんがいたら、測って売れば、それだけでいいの?」
「実は、俺が、鹿島に行っている間にやっておいてもらいたい事があるんだ」
「何?」
「仕入れてきたばかりのエビって、すぐには売り物にならなくって、ちゃんと調整しないと、すぐに弱っちゃうんだよね」
「その『調整』ってどんな事やるの?」
「モエビを水槽に移して、部屋の水や外気とエビをなじませるんだよ」
「なんか、〈シャンブレ〉みたいだね」
「『シャンブレ』?」
「チチが言っていたんだけど、赤ワインはコルクを抜いた後に、すぐに飲まずに、部屋にしばらく置いて、その部屋の室温になじませた方が美味しくなるんだって。で、フランス語で部屋のことを〈シャンブル〉って言うので、ワインを部屋の温度になじませる事を〈シャンブレ〉って呼ぶそうなの」
「つまり、兄貴風に言うと、モエビを〈シャンブレ〉させるって事さ。で、そのシャンブレは調整が難しいし、仕入れた直後にやんなきゃいけない事なので、これは俺がやるべき仕事だから、ヒトミは気にする必要はないよ」
「じゃ、わたしは、オイちゃんがいない間に何をやればいいの?」
「モエビって、まあ生きている分けだから、水槽の中で泥とかを吐き出したりするんだよ」
「そうなんだ」
「つまりさ、モエビを数時間そのままに置いておくと、水槽が茶色く濁ってくるんだよね。そうなると、モエビはすぐに弱ってゆくんだ」
「なるほど」
「だから、数時間おきに、水槽の水を取り替える必要があるのさ。
俺がずっとこっちにいられれば、水の入れ替えは俺がやるけど、土日祝日は、泊りで鹿島の店に行きっぱなしだから、ぶっちゃけ、それは不可能」
「そりゃ、そうだよね」
「だから、俺がいない間のエビの水の入れ替えは、ヒトミにやってもらいたいって話なのさ」
「頻度は?」
「仕入れた直後は、めっちゃ泥を吐くんで、数時間おきなんだけど、ヒトミに来てもらう時には、あらかた泥は吐き終わっているので、店を開けた後と店を閉める前にやってくれれば十分かな」
「で、具体的には? 何時? 何時?」
「開店後の六時と、閉店前の七時かな」
「へっ!」
仁海は、開店時刻の早さに、思わず、驚きの声を上げてしまったのであった。
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