第12話 シティ・オブ・ハンニバル(3)

「……それは非常に困りましたね、お客さん」

 期待とは裏腹にウェイターは小難しい表情をした。


「ああ、なんだったら働いて返しますよ。ちょっと今日は疲れているのであれですが、必ずEXPは支払います。信じてください」


 わざとらしい程の真摯な眼差しをウェイターに向ける。


 あわよくば、もう一品ただで貰ってやろう、そのような邪な気持ちがあったからだ。労働を条件にしたので、先ほどの願望より少しグレードアップさせてやった。


「いや、信じている、いないは良いとしてね。お客さん。ところで、あなたのジョブ名を教えて頂けますか?」

 小難しい顔をしながら、ウェイターが妙なことを訊いてくる。

「え、ジョブ?」思いもよらぬ単語に俺は首を傾げた。すぐにスノハラへ助けを求める。「おい、スノハラ。ジョブっていうのは何だ?」


 俺の言葉を耳にしたせいか、ウェイターの眉間に深く皺が寄る。

 この態度から鑑みると、どうやらジョブというのはこの世界では常識的な概念のようだ。RPGでそのようなものが出てくるのは無論知っているが、俺はこの世界にあるジョブの種類を一切知らない。となると、どうやっても誤魔化しようがない。

 そのような常識知らずを信用してただで飯を奢ってくれる既得な者などこの世には存在しないだろう。

 ここに来て、トランス・マイグレーションルームやダコタ・チュートリアルで、設定確認をおざなりにしてしまったつけが回ってきたようだ。


 ま、まずい。ただ飯を恵んでもらうどころか、これでは完全に話がこじれてしまっている。

 もしかすると、無銭飲食の罪で逮捕されてしまう、なんてこともありうるのだろうか。

 仮想空間に転生したばかりなのに、いきなり恐ろしく程度の低い罪状で捕まるなんて洒落にならない。

 

 冷や汗が喉元を通り過ぎた。

 

「すいません、僕たちは職業――ジョブには就いてません」

 そこにロンギヌスの槍のような神のひと声が放たれた。


 スノハラの堂々たる振る舞い。まるで自分達には非がないような態度だった。このように自信に満ち満ちているやつを、今まで人生の中で見たことがない。

 さらに俺が困ったタイミングで、間髪を入れず助け舟を出してくるとはーーさすが、スノハラ。俺の頼れる友人だ。

 胸の内で素直に彼の行動を称賛した。


「……ということは、ジョブセレクトに行ってらっしゃらないということですか」

「ええ、そうです。しかし、明日にはジョブに就く予定です」

 スノハラは引き続き、自信満々な表情で言う。


「お客さん、ジョブセレクトに明日行くということでしょうか? それは不可能ですよ、ご存じの通り」

「……? ところで、ジョブセレクトとは?」


 話が若干噛み合っていないようだ。

 何か雲行きが怪しくなってきたような気がするぞ、頼れる友よ。


「お客さん、理由は深くは訊きません。クレア・ザ・ファミリアへの転生後、初回にファーストシティに訪れた時に行われるジョブセレクト以外で、ジョブを選べるのは一年に一度……もし、お客さんがジョブを今何も選択されていないのであれば、こちらがEXPを頂けるのは来年ということになる」


 ウェイターの話が事実であるとすると、ジョブが選択可能であるのは一年に一度……これは、俺たちがその期間ジョブにつけないということなのだろう。

 なんというすがすがしい程の無茶なレギュレーションなんだ。


 しかし、それは通常であれば、だ。

 俺のスノハラなら何とかしてくれる。

 そう考えた俺はすかさずスノハラに視線を送った。が、思いも寄らぬウェイターの台詞だったのか、彼の表情も若干崩れていた。


 つまり俺のスノハラでさえこの情報は知らなかったということなのだろう。

 前々から思っていたが、なんて頼れない男なんだ。

 というか、おまえのせいでファーストシティに行けなかったんだ。

 責任を取れ。


 ウェイターは渋い表情をして頭を振った。

「いや、こちらも余裕がないのですよ。特に今は過去にないほどの不景気ですからね。でなければ無銭飲食如きでここまで目くじらは立てないのですが……」

 

 その表情から鑑みると、どうやら本当に困っているらしい。

 が、それにもかかわらず、俺たちふたりを警察に突き出そうとする気配はなかった。

 文言からすると、こちらが捕まってしまうとEXPが貰えないからとかいう理由からなのだろう。


 というか、不景気というのは何のことなのか。ただの経験値であるはずのEXPに景気も不景気もないような気がするのだが……

 クレア・ザ・ファミリアに来てからというもの、俺のレトロゲームにおけるEXPの概念がすべて破壊されていく気がする。


 そう俺が首を捻った瞬間だった。

「では、軍隊に入りましょう」

 と、ウェイターの真横から女の声が聞こえてきた。


 見ると、黒髪のポニーテールに前髪をぱっつりと一直線に切った日本人らしき女。

 女は身につけているライトシルバーのワンピースの裾をひらっとさせたかと思うと、すぐに頭を下げ、「オトハ・エムエル・リュウノオトハネです」と、舌を噛みそうな長い名前を述べながら、俺たちに挨拶をしてきた。


「あ、どうも」

 何だ、こいつ、と思いながらも、俺とスノハラは声を揃えて会釈を返した。


 オトハと名乗った女は顔を上げてから思いもよらぬ提案をする。

「ウェイターさん。ここは私が払いますので、ご心配には及びません。どんとお任せください」

「え……」

 俺とスノハラは同時に薄い声を漏らした。


 そのような俺たちの態度を意に介した様子もなく、オトハはウェイターの顔の前へと手をかざす。


「いつもありがとう、オトハちゃん。それではお客さん、ごゆっくり」

 これでEXPでの支払いが済んだのだろうか、ウェイターは満足した様子で後ろを振り返った。


「積もる話がありますので、ゆっくりさせて頂きますよ。店長さん」

 オトハがウェイターに声をかける。


 というか、店長だったのか。この人。

 俺のウェイターを見る目が少し変わった。


「はいはい、オトハちゃん。いつも通りだね。ところで……」

 歩き始めたウェイターが、チラリとこちらを見やった。

「はい、何でしょう、店長さん」

「でも、大丈夫なのかい? 彼らをリクルートして。どうやらビギナーみたいだよ」

 ウェイターが意味不明なことを確認する。

「ええ、もちろん。大丈夫ですよ」

 オトハはそう言ってから、天使の導きかと見紛うほどの笑みを頬に浮かべた。

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