第5話 ダコタ・チュートリアル(4)
「エクスピー?」
俺は聞き返した。ゲーム以外では耳慣れない単語だった。
これに対し何も知らないんだなといった感じで、スノハラは大げさに肩をすくめる。
「経験値だよ、経験値」
と、言う。
「経験値……EXP――ああ、レベルを上げようっていうんだな」
確かに、と腹落ちした。
通常のロールプレイングゲームではつきものの作業だ。そして、クレア・ザ・ファミリアは元はただのゲーム。常識的に考えて、レベルは多ければ多い程その後の展開で特をする。
ゆえに人に先んじて経験値を稼ごうというせせこましい輩がいても不思議ではない。
「おいおい、ハヤト……おまえ、ちゃんと学校の授業聞いてたか? レベル制は遠くの昔に――いや、クレア・ザ・ファミリアが、まだ、ただのVRMMOだった時代に廃止されたよ」
俺の思惑に反してスノハラが次に意外な台詞を述べる。
「廃止された、だって?」
学校の授業の件は良いとして、経験値というステータスが存在するのにもかかわらず、レベルが存在しないとはにわかに信じ難い。それこそレトロゲームへの冒涜である。が、それもおいておこう。
となれば、このEXPという名を持つ経験値はどこかしらに貯蓄する一方ということなのだろうか。いや、それも考えにくい。クレア・ザ・ファミリアは、仮想空間――元VRMMOとはいえ、現在人類のほぼすべてが転生――入植するサーバーだ。数百年前からVRMMOに必要だったゴーグルさえ不要で、今は身体自体がその世界に溶け込むことができる唯一無二の世界。入植者全員がゲーム好きというわけではないのだから、現実世界にある程度則している必要があるはず。
だから、そのような無駄なステータスがこの世界にあるはずもない。
ということは、おそらく何かに使うはず……考えられるのは稼ぎ。そう、それを何かの――売買に使用するといった感じで使うのではないだろうか。
「お金みたいなものなのか?」
俺は率直に訊いた。
すると、まあ、そんなもんだな、とスノハラが何やら曖昧な台詞を返してくる。
「とは言いつつも、その辺は俺も良くは知らないんだ。断っておくが勉強不足なわけではない。学校で習わなかったんだ。いずれにせよ、実際EXPは様々な物の交換に使えることは間違いない」
「ふーん、そうなんだな」
スノハラの台詞に対し、俺は無感動な感想を述べた。
その瞬間だった。ポーっと汽笛のような音が鳴った。
この音に焦りを感じた俺は、急いで腕にはめている時計を見やった。
もう二時間も経ったのか――というより、並んでいる大勢の人間を置いて船が出るとはどういうことだ。今日中にこの街から退去しなければならないというのに――
「心配いらないぜ。ひとつ逃してもまた三時間後に船は出る。夜中までずっとな」
俺の焦りを見透かしたかのようにスノハラは説明した。
「で、だな――」
とその時、続けて話を進めようとする彼の声を消し込むかのように、ゴゴゴゴっと地鳴りが鳴り響いた。
地面がひどく揺れている。
こ、これは地震か――
俺がそう思った矢先、巨大な木製の飛行船が港の波止場の下から浮かび上がってきた。
「飛行船……船じゃなかったのか」
それが飛び立つ光景に目を丸くする俺。すぐに後ろから大きな吐息が聞こえてきた。
「船じゃない……海船じゃないってことか? 当たり前だろ」
スノハラは注意するような口調で言った。
彼曰く、この世界の交通手段は主に飛行船であるとのことで、船――俺が思う海に浮かぶ船――は、レジャーやサーバー間の通商目的で航海するために利用される以外、基本的に使われないらしい。また、この世界での海は、サーバー間を繋げるために存在する擬似的な海であり、サーバー容量を逼迫してしまうため、サーバー間以外の場所に海を再現することは不可能だそうだ。
数百年前の人間から現在の人間までこのクレア・ザ・ファミリアで生きている――その人数分データとしてサーバーに存在しているのだから、それくらいの制限は当然なのかもしれない。
この男の情報がどこまで信頼できるかはわからないが、何も知らない俺としては今のところ彼の言質を信じる他方法はない。
ゆえに俺は勝手にそう納得することにした。
そうこうスノハラとやりとりをしている内に、飛行船は透き通るような青い空の彼方へと消えていった。
「ごほん」スノハラがわざとらしく咳払いをする。「これでようやく本題に入れるな」
「EXP稼ぎの件か? だったら――」
何か嫌な予感がした俺は断ろうとした。
が、言葉の途中で、いや、というスノハラの声に遮られた。
「ハヤト。なあ、ハヤト。先に行った奴らを出し抜こうとは思わないのか? 俺が推測するに、ここはより早く参加した奴の方が得をする世界だ。後発組の俺たちがまともにやっていては、とてもそいつらと勝負にならない。考えてもみろよ。俺たちは永遠にここで暮らしていくんだぜ。だったら、よりよいスタートを切る必要があるだろう? でないと、悲惨な目に合う可能性だってある。俺たちは、そう考えるべきじゃないのか?」
先に参加した方が有利……なるほど、オンラインゲームの鉄則だ。
いくら現実に近いとはいえ、クレア・ザ・ファミリアも似たようなもののはず。永遠の命が保証されているとはいえ、所詮は人間。少しばかりの貧富の差のようなものはあるかもしれない――
まあ、この点においてはスノハラの言う通りだろう。
俺は心中で深く頷いた。
「俺以外に誰か誘ったのか?」
何気なく質問を投げかけた。
「それは......他の奴らが誘っている。この作戦に参加する条件は、必ずひとりは仲間を連れてくることだからな」
「なるほど。だから俺が必要というわけか。でも、なんでひとりも仲間がいないのに、自らそんな妙な条件をつけたんだよ」
「条件は俺が考えたわけじゃない――実は、このEXP稼ぎ......EXPハントは、俺のアイデアじゃないんだ。発案者は、この作戦でリーダーを務めるトラビスって奴だ」
スノハラは首を横に振りながら、そう述べた。
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