第13話

 食堂から教室に戻る前に、もう一回だけ四階を見ておこうと思った。何かトリックが仕掛けられていたのかもしれない。奥に隠し部屋……は流石に学校だからないか。行き止まりに見えて、隠れられる場所があったのかもしれない。これはまだ可能性がある。ちょうど死角になっていたとか。


「!?」


 階段を昇っているとその当事者、哀夢が先に昇って居た。昼休みの間は教室から動いていないと思っていたけど……。また呼び出されたのだろうか?

 どんよりとした背中は階段を同じリズムで昇っていく。哀夢は四階まで昇って、また更に階段を昇っていった。


「屋上?」


 何をしに行くつもりだ? もしかしてぼっち飯?。

 それにしてもわざわざ自分から空に近づこうとする人は、今日日珍しい。それに、屋上は立入禁止で、施錠されているはず。

 だから、わたしはあいつが引き返してくることを想定して、四階、正確には四階より少し手前で立ち止まった。しばらく待っても戻ってくる気配がない。


「行くか」


 おそるおそる、屋上への階段を昇っていく。屋上の扉が開いていたのか、それとも扉の前にいるのか。

 踊り場まで昇って、上を確認する。階段にはいない。扉は閉まっている。

 なら、屋上に出た……と考えるのは早計で、一応、ここから死角になる場所がある。昇った真正面に扉があるけど、その右側に少しだけ空間があるように見える。

 左の壁に触れながら、身構えつつ屋上を目指す。もし、右側の空間に隠れていて、襲われたらどうしよう。

 いまはまともな武器を持っていない。頼りになるものがない。ここからじゃ大声出しても気づいてもらえるかわからない。昼休みだから学校も少し騒々しいし。

 一段登る毎に、鼓動が速くなった。心臓が口から飛び出そうだった。鼓動で、胸だけじゃなくて、身体全体が波打っているよう。慎重に足を運びすぎて、逆にバランスを崩して、転びそうになった。

 残り四段。三段。二段。一段。

 そして、この警戒心と、緊張感は杞憂に終わった。

 哀夢はいなかった。つまり、屋上に出たということだ。

 どんだけ静かに扉を開け閉めしているのだ、まったく。


 わたしはドアノブを掴んだ。もし、これで開いていなかったら、またあいつは消えたことになる。いや、そうか、向こう側から閉めることができるかもしれないから、そうとも言えないかとか考えている最中に、ドアノブを時計回りに回すとあっさり扉は開いた。


 立入禁止のくせに施錠されていないのはいかがなものだろう。

 屋上に出る。磨いたような銀の空から、寒さが吊るされていて、制服の上から染み込んできた。


 ――嗚呼、もう冬になろうとしている。


 屋上は、地面がところどころはげていた。風雨に曝され続けているのだから、こんなものなのかもしれない。

 憧れの屋上がこんなぼろぼろの場所だと少し残念……。あと、フェンスもなくて、たしかにこれでは立入禁止だ…………。


 ――そこに哀夢はいた。屋上の縁に立っていた。


 思わず、声を出しかけた。でも、逆に驚かせてしまって落ちてしまったらサイアクだ。わからない、まさか、自殺する気なのだろうか……。


 足音をできるだけさせないように、にじるように一歩、一歩近づいていく。


 してもおかしくない……か。学校中で変な噂が流されて、昨日は殴られ蹴られのいじめを受けて、見たところ友達とかもいそうにない。孤独。ひとりぼっち。


 そうなってくると、少し目の前の男の子が可哀想に見えてきた。

 わたしは少しずつ、少しずつ、彼に近づいていた。さすがに目の前で自殺されると気分が良くないし、昨日、いじめを看過してしまったこともあって、少し、後ろめたい。


 ――いや、そんなことより、


「あっ……」


 あと、四歩のところだった。彼は時計の秒針のように前に倒れていって、屋上が作る地平に吸い込まれた。すると、彼の姿は忽然と消えた。


「ウソでしょ!?」


 ほんとうに飛び降りた!?

 いや、まさか。ほんとうに?

 言葉にできなかった質問の回答の代わりに、ドンッ! と一際大きな音がした。

 嫌な汗をかいた。じわりと肌の内側からにじみ出てきて、泥のように背中を流れた。


「うっ……」


 ……間に合わなかった。


 思えば距離として短い四歩だった。駆ければ、急げば、間に合った。

 無力感を背負わされて、ある種の慣性から、四歩だけ歩かされる。わたしも同じところに立った。

 風が下の方からヒュンと吹き付けてくる。髪が煽られてふわりと浮いた。その風の出処のほうを見れば、見える。この高さから落ちたらひとたまりもない。

 砕けたミートボール。落とされ割れた皿。絵の具で描かれた花火。

 どうなっているのか、見たことがないからわからない。わたしはまだ下を見ていない。

 間違って落ちないように、(あと、スカートが捲れ上がらないように)ゆっくりしゃがんだ。下を見たら、引き込まれて落ちてしまいそうな気がしてしまったから。

 わたしは下を見る気でいる。


「ふぅ…………」


 深呼吸をする。息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く。ちょっと涙が出そうになった。

 おもむろに視線を下げていく。

 校庭にあるのは死体だけど、あくまでさっきまでクラスメートだったやつのものだ。それが動かなくなって、ちょっと壊れただけのものだ。そう、死体に変わりない。

 そんなもの、クラスメートの死体なんて何度もいくらでも見てきたじゃないか。

 でも、両目は開かずに片目だけ開く。固唾を飲む。とうとう下を覗いた――――。


「…………あれ?」


 ついで、両目を開く。覗き込む。

 くらりとした。危うくわたしも落ちかけた。しゃがんでいて良かった。

 わたしは逃げるように、後退あとずさった。


「またなの……」


 眼下に広がっているのは汚れた鏡みたいになっている校庭。それはいつも通りの校庭だった。


 ――ない。死体なんてものは、ない。


 また、あいつは消えた。昨日は遠目だったからかもしれない……そんなことはない!

 たしかに見たはずだ!

 今日は間近で見た! 音も聞こえた!

 そのまま仰向けに倒れた。もう考える気さえ起こらない。


「「マジでなんなんだァァァ!」」

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