第11話

 どこかの教室に入ったのかもしれない。四階の教室は使われていないから、施錠もされていない。たぶん簡単に出入りできるはず。

 わたしはそろりそろりと忍び足で一番手前の教室に近づき、中を確認する。


「……うわ」


 数多の机やら椅子やらが乱雑に置かれていて、天井には蜘蛛の巣まで張っている。もの凄く埃っぽくて、さながら廃墟のようだった。実際に入るまでも無いと思う。ここにはいない。

 怪しいのはさっき哀夢が倒れていた近くの奥の教室だ。


 でも、一応、全教室を確認しておこうと思い、一つ一つ教室を覗き見していく。どの教室も同じようなもので、教室によっては黒板が割れていたり、干からびた水槽がロッカーの上に置いてあったり、人工物の中なのに人の手が行き届いていなかった。


 わたしは最後の教室の前にたどり着いた。他の教室はドアが開けっ放しだったけど、この教室だけ閉まっている。あいつが襲われていたときは開いていたか思い出せないけど、もし開いていたのなら、哀夢は絶対にここにいる。


 わたしは突っつくようにしてドアを少しスライドさせた。

 やはり、施錠はされていない。

 少しずつドアをスライドさせていく。心臓がバクバク騒いでいた。十中八九この教室に哀夢がいることはわかっている。

 唾を飲む。息の音をミュートする。

 あれだけ痛めつけられていたのだ。襲ってくることはないはず。そもそも動けないはず……。

 でも、あいつは得体のしれない何かだ。殺人犯なんて言われている。罠が仕掛けられているかもしれない。


 ――人の気配!


 わたしはさっと後ろを見た。どこまでも静かな寂しい廊下が続いている。


「ふぅ……」


 誰も居ない。だいじょうぶ。気張りすぎだ。相手はぼろぼろなのだぞ。だいじょうぶ。あいつはこの教室にいる。背後から襲撃されるようなことはない。落ち着け自分。

 ゆっくり呼吸をして心臓を落ち着かせる。


「よし……」


 また二センチ、三センチと教室のドアを少しずつ、少しずつ開けていく。窓際隅に一組だけ机と椅子が置いてあるのが見える。


 ――あれ?


 中を覗き込むと、異様な光景がのびのびと広がっていた。

 また少し、ドアをスライドさせる。そうすると、それだけ教室の中が見えるようになるはずなのに、新しい情報が入ってこない。なぜか、この教室だけ、全然物がない。

 人一人通れるくらいまで開けて、教室に忍び込む。


「……い、いない⁉」


 目の前にはリノリウムの床が広がっているだけで、哀夢はいなかった。引越し前の家みたいに何もないから、隠れられる場所もない。まるで狐につままれた気分だ。


「でも、どうしてここだけ」


 他の教室はあれだけ雑然と学校の備品が散らかっていたのに。あと、物が少ないからか、この教室だけ埃っぽくもない。

 そんなことより、哀夢だ。あいつは何処に行ったの?

 一度、廊下に出て、もう一度他の教室を探そうと思った時、違和感を覚えた。


「…………?」


 直感に引っ張られるように下を見た。


「おかしい」


 そう、おかしいのだ。この廊下、きれいすぎる。


「血は?」


 わたしは慌てて、血が付いていたはずの地窓を見た。色は少しだけ黄ばんだ白だ。赤はない。

 あれだけ容赦なく蹴り続けられて、血が出ていないわけがない。実際、遠目からでもあいつが血塗れになっていたのは見えた。


 血だけじゃない。唾液とか吐瀉物とかも飛び散っていていいはずだ。

 そうだ、髪の毛。あれだけ引っ張られていたのだから、何本か落ちていていいはず……。

 なのに、廊下には血も髪も、全く、暴力の痕跡が残ってない。どうやってこんなきれいさっぱり痕跡を消したのだろう。しかも、この短時間に。


 そもそもどうして消したのだろう。普通なら証拠として残しておいて、「いじめられた」と大人たちに言うこともできる。


 実際、あの三人は所謂「不良」で玉兎先輩にも気をつけろと言われている人たちだ。いまのところ実害は被っていないけど。

 だから玉兎先輩に訴えたら、おそらく味方をしてもらえるはずなのに。

 そのあと、もう一度、最大限に警戒しながら、教室を一クラスずつ確認していく。


「いない……」

「いない……」

「いない……!?」


 わたしは階段の前に戻ってきていた。哀夢はもう四階のどこにもいない。跡形もなく消えやがった。どうやってやったのか、わたしには全くわからないけど、一つ言えることがある。

 わたしは知っている。倒すと、跡形もなく――それこそ血も残骸も残さないものを……。

 

 ――奇しくも、外では陽が沈んで、「夜」がやって来ようとしていた……。

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