第5話

 ココアを飲もうと、マグカップに触れたら、ドーナツに変わった。早く食べないとマグカップに戻ってしまうので、急いで食べた。

 パクパク食べると、ドーナツの穴だけが残って、どうやっても穴が食べられない。

 不意をついて噛みつこうとしても、歯がカツンとなる。指にはめて食べようとしても、指に歯型がつくばかりだ。うーん、とふにゃふにゃ思案している。

 ああ、これは夢だ。


「んっ、んん〜」


 伸びをする。この伸びをしている時の少しぼーっとなる感じが心地いい。


「今日もお疲れさまでした。自分」


 時計を見たら、とっくに午後の授業が終わっていた時間だった。

 いやぁ、よく眠ってしまった。

 何故か、無性にドーナツを食べたい。どうしてだろう。

 教室にはまだ人がポツポツといた。みんな談笑している。聞けば聞くほどくだらない話だ。


「あ、哀夢」


 わたしはバッと後ろを振り返る。でも、あいつの姿は忽然と消えていた。


『罪状は殺人だとか……』


 本当なのだろうか。哀夢とはそもそも話したことも、目を合わせたこともないからわからない。

 でも、学校にいられるということは、転校してきてからは少なくとも人は殺してないのだと思う。

 とりあえず哀夢を探そうと思ったけど、あいつのことを知らなさすぎて、あいつがいそうな場所が皆目見当つかない。

 なら、街頭インタビューだ。


「ねぇ、ちょっといい?」

「ん、なんだ?」

 楽しそうに話していた男子二人組に話しかけてみる。

「哀夢ってどんなやつか知ってる? あの前髪が長いやつ」


 聞くと二人共揃っていい顔はしなかった。


「直接関わったことはねぇから知らねぇが、暗い噂は聞くよな。なぁ?」

「ああ」

「あ、やっぱり?」

「ま、でも、ここで暴れてもあんな細けりゃ、すぐ俺たちで制圧できるさ。心配することはない。安心してくれ。なぁ?」

「ああ」

「そう。ありがと」


 確かに、哀夢は全体的に細い。高校生なのだろうけど、中学生に喧嘩を挑んでも返り討ちにされそうなほどの細身だ。そんな哀夢に殺人が可能だろうか。やっぱり噂は噂か。

 いいや。別に殺人に腕っぷしは絶対に必要なわけじゃない。毒殺とかあるかもしれないし、夜襲だってあり得る。体つきだけで決めるのは早計だ。


 それから、何人かに聞いてみたけど、返ってくる答えはどれも的を射ていなくて、的の周りをふわふわ浮かんでいるようなものだった。

 噂を知らない人はいなかったけど、噂の真偽を知っている人もいなかった。

 みんな噂のせいで、哀夢と関わらないから、深く知っている人がいない。


「うーむ」


 自席に座り直して、顎に手を当てて考える。さながら探偵ホームズ気分。

 もし、哀夢が殺人犯でなかったとしたら、誰かがわざと噂を流したことになる。


 でも、そんな噂を流すメリットは?


 あれは嫉妬されそうには見えない。そんな噂を流さなくとも積極的に関わりたいなって思えるような見た目じゃない。


 それに哀夢を貶めたい人が居るとして、悪い噂を流すとしても、寄りにもよって「殺人」なんて選ぶだろうか。


 もっとなんか「マゾ変態ブタ」とか「特殊性癖の持ち主パラフィリア」とかの方がダメージは大きそうなものだし、そっちの方が妙にリアリティがあって信じさせやすい気もする。わたしだったらそうするし。いや、まあ、しないけど。


 「殺人」なんて、数ある罪のうちでも極悪なもの、信じるにはハードルが高すぎると思う。現にこうしてわたしが半信半疑なように。

 なら、考えられることとして、誰かが言った他愛もない軽い冗談が広まった?

 それにしてはこの広まり方からして、悪意が強すぎるようにも思える。

 そしたら、本当に殺人犯だったのだろうか。ニュースで報道されたとか?

 そしたらそしたら、噂なんてものじゃすまなくて、真偽がはっきりしているのだから、事実として広まりそうなものだけど………。


 手っ取り早いのは哀夢に直接聞くことだけど、相手は人を殺しているのかも知れないし、そもそも何処に行ったのかがわからない。


 トントントンと人差し指で顳顬こめかみをノックする。でも、知恵は外出中らしい。中にいた試しもない。

 そうこう考えているうちに、陽が沈み始めた。わたしは席から立ち上がって、教室の外へ走って出た。

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