第4話

 チャイムが学校中に鳴り響く。


「ふわぁぁ……終わったぁ…………」


 うーん、と目一杯伸びをする。


「給食行こー」

「はいはい」


 教室を出ようとした時、一人の生徒が目に入った。


「あれ、あいつ食堂行かないのかね」

「ん? ああ……あれはいつもああだよ」


 その生徒は教室の左隅奥の席に座っていた。ちょっと猫背で、長い前髪が目にかかっていて、どこを見ているのだかわからない。逆に何も見ていないのかもしれない。

 暗鬱な雰囲気で、こころなしか、周りの空気も澱んでいるように見える。


「食堂の場所はさすがに知っているよね。やっぱり転校してきたばかりだと、喉に通るものも通らなくなるもんね」


 だとしても、食べられる時に食べておいた方がいい――と言おうとしたら、


「いやいや、あいつ、あんたより前からここにいるわよ」

「え、ウソだ〜」

「だから、いま『いつも』って言ったんじゃない。そうね、大体あんたが来る一……二週間くらい前に転校してきたんじゃなかったかしら。てか、あいつ大体毎日教室にいるわよ」

「マジか。全然気づかなかった」


 ハルカが嘘を吐いているようには見えないし、そもそも冗談すらほとんど言わない。

 そのちょっと派手なルックスに対して意外と根は真面目ちゃんなのだと思う。


「まぁ、暗いしね、あいつ。でも、一度気がつくとなんか知らないけど鬱陶しいくらい視界に入ってくるのよね。多分呪いの類よ」

「それ、あいつのこと好きなんじゃないの? 恋の呪い?」

「ないない。これは心の底からの嫌悪感」


 茶化してみると、即真顔で否定された。もっと面白い反応を期待していたのに。


「あんなつまんなそうに、怠そうにされると、こっちもなんか疲れてくるじゃない? ほんとやめてほしい。てか、せめてあの鬱陶しい前髪切ってほしい。あのみてくれで教室に来ないでほしい」


 堰を切ったように毒が吐かれていく。滅多に人の悪口を言わないハルカに、ここまで言わせるのもすごい。あいつ、何かハルカにしでかしたのだろうか。


「へー。で、あいつ名前はなんていうの?」

「えっと……哀夢あわゆめじゃなかったかしら」


 あわゆめ……か。


「でも、あいつとは関わらない方がいいわよ。いろいろ良くない噂聞くし。それに、あいつ言葉が通じないから」

「日本語がわからないってこと?」

「ううん。話が通じないの」


 ああ、そういう。


「噂ってどんな?」

「噂は噂よ。でも、なんか犯罪して、捕まってたらしいのよ」

「……少年院に居たってこと?」


 聞くと、ハルカは眉をひそめて、耳元で小声で答えてくれた。こんな仕草でも、もし、わたしが男子だったらドキッとしちゃうのだろうなとか思う。


「うん。それも罪状はだとか……」


 殺人⁉

 思わず声を出しそうになった。突拍子がないにも程がある!

 窃盗とか、詐欺とか、酷くて暴力沙汰とかだと思っていたけど、まさか殺人だなんて。

 そう言われると、哀夢がシリアスキラーにも見えてきた。脳内に「通り魔」という言葉が掠めた。


「それ、本当なの?」

「ただの噂よ。真偽は知らないわ。でも殺してても違和感ないわよね」

「でも、どうしてそんな噂が?」

「やっぱ、見た目じゃない?」


 元も子もない……。

 でも、確かに、雰囲気は鬱々としているし、禍々しいオーラが出ている……ようにも見える。


「でも、火のないところに煙は立たないって言うし……。なんか薄暗いものはあるわよね、絶対」


 わたしは少し考える。同じ教室に人殺しがいることを。

 殺人犯……他者の人生を乱暴に踏みにじって、でも、その自分はのうのうと暮らし続けている。そんなやつが同じクラスにいる……?

 それって、普通のことなのだろうか。異常なことなのではないか? 

 そんな異常の中で、わたしは当たり前の日常をこのクラスの中で過ごしていけるのだろうか。そんな日常を、普通のあたりまえの日常と呼んでいいのだろうか?


「もう……あいつの話なんてやめよ? ご飯がまずくなるぅ」

「え、そこまで?」


 わたしは冗談交じりに返した。正直、罪状が重すぎて、その噂は半信半疑だ。

 でも、確かめなきゃいけない。

 使命感、義務感、衝動、どれでもあって、どれでもないような。

 哀夢について確かめなくちゃいけない。そうしないと、わたしの日常が揺らいでしまう気がした。


 ――わたしはワイシャツの上から、リングをぎゅっと握った。

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